【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―


 第二調査局――夜のロビーには、昼間とは違う硬い静けさが満ちていた。

 魔石ランプの灯りは温かいはずなのに、どこか冷たく見える。
 隅に置かれた一鉢の観葉植物は、昼にも増して存在感が希薄だった。

 その静かな空間の片隅に、一人だけ、人影があった。

 ソファに腰掛けたその男は、煙草を吸いながら、使い込まれた手帳に何かを書き込んでいる。

 ――レルガ・ディンベル。

 要領が良く、腰も低い彼は、平民の出でありながら、第二調査局の誰からも信頼されていた。


「よぉ、レルガ。 相変わらず忙しそうだな」

 声を掛けてきたのは、顔見知りの先輩捜査員。

「あ、リカルド先輩! こんばんッス!」

 すぐさま煙草を揉み消し、立ち上がって先輩に挨拶を交わすレルガ。

「おお、邪魔したか?」
「そんな事ありゃーせん! 煮詰まってたんでちょうど良かったッス」

 特に煮詰まってはいなかったが、調子を合わせるレルガ。
 彼は、そういった所作が周りに好かれるコツだと、自然と理解していた。

「随分高そうなモクだな? ゼオファルド卿に貰ったか?」
「ええ、そうなんスよ。 貰いモノらしいッスけど、隊長は煙草が嫌いですし」
「隊長……お前また副局長をそんな呼び方すると」
「あ、黙っといてくださいね? つい呼んじゃうんスよ」

 大げさに、人差し指を口に当てるレルガ。

「……ところでよ、ゼオファルド卿は戻ってるか?」

 リカルドの声色から、雑談が目的では無い事を察した。

「いいえ。 今日はプライベートで何かあるらしくて、夕方から外してるッス」

 先輩の声色につられ、レルガも表情を引き締める。

「ああ、すまん。 身構えなくていい。 副局長に言伝があるだけだ」
「……そうだったんスね。 言伝なら部下のオレが預かっておきやスよ?」

 二人とも表情を緩める。
 そのやりとりで、これが緊急では無い事をお互いに理解した。

「セーヴラン局長からの呼び出しさ。 ゼオファルド副局長を呼んでこい……ってさ」
「局長、戻ってたんスね。 四、五日先だと伺ってたんスけど」
「ああ、こっちでの急ぎの用事が入るかもしれないから念のため、だと」
「……ふーん、そうなんスか。 なんの用なんスかね?」 

 まるで分からないフリをしているが、心の中で当たりを付けているレルガ。
 彼は、違って欲しい、と小さく期待した。

「お前が今携わってる事件あるだろ。 副局長が主導してるって聞いたぜ? その件で少し聞きたい事があるみたいでよ」
「……へぇー、そうなんスね。 わかりやした。 夜に戻ってくるかもなんで、そん時に伝えておきやスよ」
「おお、伝えたからな。 頼んだぜ。 ……あと、トリサちゃんにもよろしくな!」

 片手を上げ、早々に立ち去るリカルド。

 レルガの妹であるトリサは、身内の強みと、とある異能を買われ、調査局で働かせてもらっている。
 リカルドがトリサをあからさまに贔屓してるのは、周知の事実だった。
 嫌いな先輩ではないだけに、レルガは複雑な思いを抱いていた。

 くだらない逡巡を振り払い、頭を切り替える。

「やっぱり可能性が高いのは、ハル姐さんのお店の件っスよねぇ……」

 ノクセリウム事件――今調査している事件だが、少なくとも、市井に対しては大きな事件となるようなモノではない事が分かってきた。

 セーヴラン局長が自ら確認したい……その意味をレルガは考える。


「隊長も心配ッスけど、とりあえずリオ姐さんを巻き込んで相談ッスね」


 持っていた手帳をそそくさと胸ポケットに仕舞う。

 行動も足も素早いレルガの影は、すぐに廊下の奥へと消えていった。



―――――――



 柔らかい照明に照らされたテーブル。

 その上に並ぶ、鈍色に輝く二つの鉄板のステーキ皿。

 ハルネの目の前の皿には、もう肉は残っていなかった。
 焦がしバターと肉汁の混じったソースだけが、鉄板に薄く残されている。

 ハルネは黙ったまま、そのソースをフォークの先に付けては舐める行為を繰り返していた。

 向かいに座るヴァルグレイは、それを咎めなかった。

 ハルネの、あまりに物悲しい表情に、それがマナー違反だと指摘する事は出来なかった。


「もう無くなっちゃった……」

 ついに声が漏れ出たハルネに、タイミングを見計らってヴァルグレイは声を掛ける。

「……もう一皿、頼むこともできるが?」
「ううん、もう、おなか一杯なの……」

 すでに二つの皿を平らげていたハルネ。
 その声は、名残惜しさに満ちていた。

「……キミが望めば、またココに連れてくる事は出来る」
「ホントっ! 約束だよ!?」
「……ああ、無論、毎日とは行かないが」
「へへ、やったね!」

 機嫌が戻り、ハルネに笑顔が戻る。

 その表情にホッとし、タイミング良しと、ヴァルグレイは話を切り出す事にした。

「……ハルネ嬢、ここへは礼とお詫びのために来た、というのは間違いではないのだが、もう一つ目的がある」
「え? ……あ~っ! 事件の話! そうだった!」

 あたしは行きの馬車で、その話をある程度は聞いていた。
 事件の話もしたい、と。
 牛フィレステーキにすっかり心を奪われてた。

 むしろそっちが本題なのに!

 あたしは、改めて座りを正し、聞く姿勢を作った。

「……もう公言できる情報はあるが、機密もある。 だが、もはやキミは関係者だ。 情報の共有は、シャリエナ嬢あたりまでで、止めてほしい」
「うん、わかった」

 シャリエナはOKしてくれる辺りがオジさまの優しさだ。
 気遣いが嬉しい。

「結論から言えば、サフラン香房の営業停止を解いたのは、事件の発生源ではなく、ほぼ安全だと分かったからだ」
「ん? どゆこと?」

 事件と関係ないのは当然だ。
 なぜならそれはあたし達自身がよく知っているからだ。

 巻き込まれただけで、何もやってない。

「……事の発端は、西街での路上の婚約破棄事件。 聞いた事は?」
「あ~、なんかリゼラちゃんから前に聞いた気がする。 真昼間の往来で貴族の人が浮気を公言して婚約破棄されたっていう」

 それくらいしか知らない。
 ついでにいえば、あんまり覚えてない。

「そうだ。 ただの婚約破棄ならば第二調査局が動くまでもない。 しかし、子爵家が口を出してきた。 息子があんな事をするはずが無い、と。 奇妙な点も見つかったので、そのまま調査局の管轄となった」
「奇妙な点?」
「……ああ。 一つ目は、なぜ自身の秘密を大声で公言したのか。 二つ目は、事件直前に子爵家の跡取り令息が、誰かに貰ったという『勇気が出る薬』」
「『勇気が出る』……? なんかどこかで聞いたような」

 満腹なお腹にいくらか思考が奪われてはいたが、あたしは顎に手を当てて考え込む。

「キミの店を襲ったヒョロイ男がいただろう? あの男も同じことを証言した。 「勇気が出る薬を買った」と」

 ヒョロキモ!

 なんだかこの数日、色々ありすぎて、随分前の事みたいに思えるけど……

 そういえば、なんか薬を飲んだみたいな事は言ってたよ! 確かに!

「……跡取り小僧が薬を買ったという路上の商人は見つからなかった。 そこで我々は薬の正体から辿ろうと考えた。 それが「ノクセリウム」だ」
「ノクセリウム……」

 何度か耳にした、ノクセラ草が原料という薬。

「……兵の戦意を高揚させる目的で、軍で開発された「ノクセリウム」。 しかし、出来たのは感情を高揚させるだけの失敗作で、そのまま開発方法ごと死蔵された」
「え~~!? 感情を高揚させるだけ!? そんなワケないでしょ! 香房をあんなに壊してくれちゃって!」

 思わず大声で乗り出した。
 オジさまに諫められながら、座り直す。

 う~~、今だって思い出すとムカツくのに!

「キミの言う通りだ。 改造が施されているのは間違いない。 しかし、サフラン香房は原料のノクセラ草を扱っており、調合できる薬師が存在する。 そこへ、あからさまな襲撃。 ……あまりにも符号が揃い過ぎていた」
「だから営業停止にしたのね……」
「…………」

 オジさまは答えず、ほんの少しだけ視線を伏せた。
 いつもの無表情の奥に、どこか済まなそうな色が滲んでいた。

 オジさまの感情も、エモパレを通さずとも、なんとなく分かるようになってきた。

 大きな声も出したので、一息、喉を潤したくなった。

 会話の切れ目を見計らったように、薔薇の香りのするハーブティーが音もなく置かれていた。
 さすが高級店。 給仕にもスキがない。

 高貴に香るローズヒップが、情報の量に疲れた頭をすっきりさせてくれた。
 それにしても美味しい。
 お水も美味しかったけども、お茶も素晴らしい。

「うん、いいよ。 続けて? オジさま」

 ちょっと偉そうだったかなと思ったけれど、オジさまは特段気にしていないようだった。
 よかった。

「……我々はサフラン香房の有様を見て、まず組織的な襲撃を警戒した」
「人をあんなに変貌させる薬が、市井にたくさん出回ったら……コトだものね」
「……しかし、サフラン香房の襲撃を最後に、めっきり音沙汰がなくなった」
「あれ? でも犯人は分かってるじゃん。 あたし達で見つけた「アルテノット男爵」」

 そうだ。
 オジさまとバディを組んで明らかにした、ノクセラ草の最終仕入先である、アルテノット男爵。

「そうだ。 キミの活躍で判明したエドリック・アルテノット男爵。 調べた結果、彼は錬金術を扱う心得もあるようだ。 間違いなく彼が、薬を改造した犯人だ」
「じゃあ、その人をタイホしちゃえばもう事件は終わりじゃないの?」
「……まさに今、確保するための証拠と情報を揃えている最中なのだ。 時間の問題ではある」
「そうなんだ……」

 エドリック・アルテノット男爵。

 間接的に、その人がサフラン香房を営業停止にしたとも言える。

 そう考えると腹は立つけど…………なんか引っ掛かる。

「……アルテノット男爵は、社交性も低く、顔を知る者も少ない。 仕入れたノクセラ草の量から考えて、そこまで多くの薬を作り出せるとも思えない」
「うん」
「目的はまだ不明だが、おそらく単独犯。 危険性は……ゼロではないが、高くはないという判断を下した」
「……だから、サフラン香房の営業停止も解除になった、と」

 アルテノット男爵……どんな人なんだろう?

「……以上が、現在までのノクセリウム事件の進捗だ」
「ノクセリウム事件、かぁ」

 お店が壊されたり、あたしがケガしたり、営業停止にされたりと、散々な事件だった。

 ……でも、オジさまと出会わせてくれた。

 なんだかその一点だけで、全てを許せてしまえそうな気がした。

 話がひと段落し、オジさまもあたしも、再びハーブティーを一口。
 バラの香りが、事件に関わる色んな余韻をかき混ぜた気分になった。

 まぁ、どっちにしてもさ。

 幾日もしない内にお店も再開できて、アルテノット男爵もいずれは捕まえてくれる。
 あたしとしては、ひとまずはそれでいいやという気分になった。

 ……ちょっと投げやりかな? 満腹で気が緩んでいるのかも。

「うん、とにかくお話と顛末は理解したよ」
「…………」

 話は終わったはず。

 なのに、オジさまは何か言いたげな表情。

 ……なんだろう。 なんとなく、ピンときた。

「ねぇ、オジさま。 まだ何かあるんでしょ?」
「……さすがだ、ハルネ嬢」

 もう、かなり分かるようになってきた。
 明らかに、オジさまは言い淀んでいる。

 嫌な予感がする。

「……実は、キミに頼みたい事があるのだ」
「頼みたい事?」

 随分引っ張るじゃん。

 なにさ?

 ……もしかして告白とか?

 いや、それは無いよ。

 ふと、昼間、お互いに踏みとどまった事を思い出す。

 あの時の、胸を締め付けるような切なさが蘇る。

 あぅ、ダメだ。
 今、そんな風に言われたら。
 あたしは、どうしたらいいのか分かんないよ……

 ……ってぇ!
 そんなワケ無いんだから!
 そんな心配する意味もないよ!

 確かに今この場は、ロマンチックな、ステキなレストランだけどさ?

 柔らかい照明も良い雰囲気出してくれちゃってるけどさ?

 そういう空気じゃないのよ、今は。

 ……ああ、でも、もしもそういう事を言われちゃったら。

 あたしは……「はい」と応えるの?

 いや、だから! 
 そんな心配する必要無いんだってば!

「…………はぁ」
「……ハルネ嬢、どうかしたのか?」
「ん~ん、何でもない。 で、何さ? 頼みたい事って」

 無意味な葛藤に疲れて、おざなりな返事をしてしまった。

 で、何だろう? 頼みたい事って。

 お金貸してとか?


「……ハルネ嬢」

「うん……」


 ちょっと気の抜けたあたしと対照的に、どこか妙な緊張感を見せるオジさま。



「…………私の、妻になってくれないか?」