【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―



 舞踏会の夜が明けた。

 緩やかな丘の向こう、遠く静かに佇むアルテノット男爵邸。
 昨晩の大騒ぎが嘘みたいに、朝陽を受けて白く輝いて見えた。

 入り口の辺りには、何人かの衛兵や調査局員が慌ただしく出入りしているのが見える。
 時折、風に乗って届く喧騒も、ここまで離れると遠い波音みたいだった。

 昨夜、あそこにいたんだな、と、あたしは他人事みたいに思った。

 鼻先を撫でる風には、今でもカモミールの香りが残っている気がした。



―――――――



 アルテノット男爵邸から少し離れた丘の上。

 事件後の処理もひと段落して、あたし達は休憩がてら、ここまで足を延ばしてみた。

「……ドレスも似合っていたが、やはりキミにはその姿は馴染むな」
「でしょ?」

 ドレスやタキシードは、あの騒ぎで大分ボロボロになってしまっていた。

 あたしは普段着に、ヴァルさまはいつもの官服に着替えていた。

 あたしの普段着はシャリエナが持ってきていた。
 何かあった時のために、と。
 さすエナ……

「眼帯、つけないの?」

 見慣れた青い官服に戻ったヴァルさまの左眼には、いつもの眼帯がなかった。

「……ああ」
「大丈夫?」
「……正直、怖い。 だが、キミがいつも見ている景色を、私も同じように見たくなった」

 エモパレに慣れなよ、と言ったのはあたしだった気もするけれど。
 それでもやっぱり心配は心配。

 顔を覗き込むあたしに、ヴァルさまは「大丈夫だ」という顔を返した。

「ここは気持ちいい場所だね」
「……そうだな」

 雲一つない青い空。
 丘の上から広がる景色を見ているだけで、なんだか心がスッキリしていく。
 さわさわと草を駆ける風の唄が、心地よく耳をくすぐる。

 原っぱに腰を下ろし、気になった事をまとめてヴァルさまに聞いてみることにした。

 まず、アルテノット夫妻は調査局に一旦身柄を預けられた。
 けれど、オルヴェリス公爵家の横槍が入り、処分については相当に揉めるらしい。

 ルシアンさまとギルトハルトさんは治療院へ。
 どちらも命に別状は無いと聞いて、あたしはようやく肩の力が抜けた。

「あたしは、リセリーナさんの事は嫌いじゃないんだけどな」
「私は大嫌いだ」
「あはは! ヴァルさまはそうかもね」
「……抱き着かれた時は正直吐きそうだった」
「え~? ホントは、嬉しかったんじゃないの?」
「そんなはずなかろう! ……抱き着かれるのはキミだけでいい」
「っ! お、おごごご……」

 急にノロケてくるヴァルさまに不意打ちを食らった。


 オジさまはリセリーナさんの処遇が不満みたい。
 だけど、あの人を罰した所で、彼女が懲りる姿なんて全然想像できない。
 うーん……天災だと思って飲み込もうよ。

「ルシアン殿はキミに謝罪をしたいそうだ」
「うーん、別にあたしはもう気にしてないんだけどな」
「……そうか。 ならば断っておこう」
「いいの?」
「……私が会わせたくないのだ」

 なんだろう。
 ヴァルさまの気持ちがさっきから剥き出しだ。
 意外には思ったけれど、新たなヴァルさまの一面が見れて嬉しくなった。

「ふふっ、会わせたくないって。 いや、ヴァルさまも謝ろうよ。 ぶん殴っちゃったんだから」
「……ハルネがそう言うなら、けじめとして謝罪はする」
「うん!」
「だが、許すつもりはない」
「んもう」

 拗ねるヴァルさまが、ちょっとかわいい。
 でもルシアンさまは侯爵の息子さんだし、ヴァルさまに何かあったらイヤだな。
 まぁ、いざとなれば、ルシアンさまならあたしが謝り倒せば許してくれそうな気はする。

 と、心の中でいくつかの算段をつけていると、ヴァルさまが急に神妙な顔になる。

「……今回の一連の事件で、キミ……ならびにサフラン香房には大変な負担をかけた」
「うん……」

 今回のノクスミア事件。
 ヴァルさまと出会えたのは幸運だったけど、本当に色々と大変だった。

「……だから、壊してしまったサフラン香房の日常を、今度は一緒に立て直したい」

 真っ直ぐにこちらを覗く、琥珀色の二つの瞳。

「こちらの都合で営業停止にしたにも関わらず、事件の解決にも大きく貢献してくれた」
「うん」

 けっこう頑張ったよ、あたしたち。

「……なので、謝礼と補償が出る」
「マジ!?」

 お金が出ると聞いて、思わず下品な返事が出た。

「……ああ。 カモミールの買取やキミへの依頼も含めて、そこそこの額が出るはずだ」
「ああ、よかった~! 実はちょっと厳しかったんだよね……」

 香房は、結構長いこと営業を止めてしまっていた。

 お店を開ければいくらでも稼げる自信はある。
 だけど、やっぱり収入が無い中で目減りしていくお金は、精神的に気持ちの良いものではなかった。

「……それに加えて、私個人でも補償をしたい」
「えっ、そこまではいいよ! 調査局から出してくれるんだったらそれで十分……」
「……そうだな、キミは受け取らないと思った。 だから補償ではなく、投資だと思ってくれ」
「投資?」
「サフラン香房はもっと大きくなる。 キミならそうするだろう」
「まあね? ヴァルさま見る目あるじゃん」
「それに私もしばらく現場を外される」
「えっ!?」
「……営業停止の件と、その他諸々でな。 局長に休暇を投げつけられた。 しばらく大人しくしていろ、と」
「それは……」
「……だから、新装開店するサフラン香房を、私にも手伝わせてほしい」

 待って、整理させてよ。
 つまり、ヴァルさまが金銭的にも人手的にも手を貸してくれる、と。

「いいの?」
「……仕事ばかりで使い道のなかった資産と、暇を持て余す中年男でよければ、遠慮なくこき使ってくれ」
「ヴァルさまをこき使う気はないけれど……」

 お金はぶっちゃけありがたい。
 手伝ってくれる申し出も嬉しい。

 でも、なにより……
 「一緒に立て直したい」――その言葉がいちばん胸にジンときた。

「じゃあ……手伝ってもらっちゃおうかな! いっぱい仕込んであげるよ!」

 有能なヴァルさまなら、お母さんよりはずっと働いてくれるハズ!
 それに……

「ヴァルさまが調査局をクビになっても、あたしが養うから安心してね!」
「それは……ふっ、頼もしいな」
「でしょ? 大丈夫! あたし、稼ぐ女だから!」

 いざとなったら調査局からトリサちゃんを引っ張ってこよう。
 いくらでもお金を稼ぐアイデアはある。


 ヴァルさまがお店の事もちゃんと考えてくれるのが嬉しかった。

 戻ってくる日常の予感に、なんだか胸の奥がむずむずする。

 嬉しくて、安心して、でもじっとしているには少しだけ騒がしい。

「ねぇ、ヴァルさま!」

 あたしは沸き立つ気持ちの勢いのまま、立ち上がる。

「……なんだ?」
「踊ろうよ!」

 せっかく気持ちの良い原っぱなのだ。
 何だか無性に身体を動かしたくなった。

「……踊る? 急に何を……」
「だってさ、せっかくの舞踏会だったのに、全然踊れなかったんだよ? 二回も行ったのに!」

 エスタラン侯爵邸とアルテノット男爵邸。
 舞踏会という催しに二度も参加したのに、どっちもそれどころじゃなかった。

「ほら! 立って!」
「……キミがそう言うのならば」

 ヴァルさまの手を取って無理やり立ち上がらせる。

 手と手を取り合って、身体を揺する。
 そよ風が鳴らす草を楽器に、あたしの鼻唄を音楽に。

「ふんふ~んふんふふふん、とぅんとぅ、とぅたたん」
「……」
「ふんふふん……何、その顔」

 踊ろうとか言っても、舞踏会の楽曲なんて実は全然知らない。
 適当に歌って、適当にヴァルさまを振り回しているだけだった。

「……いや、あまりにもその、愛らしくて」
「い、いいじゃないのさ! 別に誰も聞いてやいないし、誰も見てないんだから!」
「……そうか」
「そうだよ。 何だっていいの!」
「……キミが楽しければそれでいい」
「うん、楽しいよ!」

 あたしの鼻唄と適当ダンスにヴァルさまが懸命に合わせてくれる。

 ときおりクルっと回ってみたり、しがみついて甘えてみたり。

 豪華なドレスも、煌びやかなシャンデリアも無い。
 いつもの普段着で、下手っぴなダンス。

「あはは!」

 とっても楽しくて、気持ちが良い。

 今のあたしは何色なんだろう?

 それは、うん。

 ヴァルさまの笑みを見てればわかる。

 ねぇ、もっと視てよ。
 あたしの楽しい気持ちを視てよ。

 そして、ヴァルさまも楽しくなろうよ。
 今までの不機嫌も、不幸も、何もかも吹き飛ばしてさ。

 あたしと一緒に、楽しく生きようよ?

 クルクル回って、ほら、ターン。
 段々と息が合ってくる。

 笑って、踊って、楽しんで。

 あたしの息が切れるまで、原っぱの舞踏会を、めいっぱい味わった。



―――――――



 だいぶ踊って、ふー、と一息。

 繋がれた両手はそのままに、ヴァルさまの表情が真面目に変わった。

「……ハルネ」

 上機嫌なあたしは、ふんわり応える。

「なあに?」
「……キミに、謝らなければならない事が、まだある」

 真剣なお顔で、真剣なトーンだ。

「……サフラン香房を営業停止にしたのは、私の独断で、エゴなんだ」
「あれ? 前は色々と原因が重なったからって……」
「……アレは、ウソだ」
「ウソ!?」

 ノクセラ草を唯一扱ってたり、ヒョロキモに襲われたり。
 確かにそうかもって、その時は納得したけれど……違うの!?

「……何から話せばいいものか。 サフラン香房で襲撃者を撃退したあの夜。 私にとっては、アレがキミとの初対面ではない」
「え?」
「その少し前……西街で一人歩いていたキミを見たその瞬間から、目が離せなくなった」
「な、なにそれ。 もしかして、ひ、一目惚れ、とか?」
「……今思えばそうだ。 私の人生において初めて惹かれた女性――それがハルネだ」
「おごごご……」
「だが、それだけではない。 私はその後、キミを路地裏へ追い詰め、教会で泣かせた」
「お……?」
「……自らの行為、そして泣かせてしまった事実に、血の気が引いた」
「……」

 ちょっと待って、情報量が多い。

「……それだけでは無い。 香房で異常者と戦う勇敢なキミを見て……私は、見惚れてしまった」
「アレも見てたの!?」
「……そのせいで、助けに入るのが遅れてしまった。 結果、キミに怪我まで負わせてしまい……」
「怪我って……でも、すぐに治してくれたじゃん」
「する必要の無かった怪我だ。 私は自分が許せなかった。 あの夜、私は自らの職を投げうってでも、キミを絶対に守る事を誓った」
「そういう事情だったんだ……」
「……本当に、すまなかった」

 真摯に頭を下げてくれるヴァルさま。

 いまいち腑に落ちていなかった営業停止の理由がやっと分かった。

 全部、ヴァルさまなりの、不器用な贖罪だったんだ。

「……軽蔑してくれても構わない。 罵ってくれても構わない。 キミとの約束を無に帰す覚悟も出来ている」
「そんな事しないよ! 勝手に自分で決めないでよ!」
「……すまない。 だが、沙汰は全てキミに任せる」

 急に色々と分かって、びっくりしたのは事実だけども……

「うーん、結局ヴァルさまはさ」
「……ああ」
「あたしを、す、好きだったんでしょ? ずっと。 最初から」
「……もちろんそうだ」
「うーーーーん……じゃあ、まぁいっか! 好きでいてくれるなら、それでいいや」
「……しかし」
「怖かったよ? 怖かったけども、今後はちゃんと伝えてくれるんならさ」

 そもそも教会で泣いてた件とかは、あたしの自爆も大分混じってる。
 決してヴァルさまだけのせいじゃない。

「……だが」
「もういいってば!」

 ヴァルさまは、それきり黙ってしまった。
 なんだかまだ、辛そうな顔をしている。

 それにしても、あの背筋が粟立つような感情温度がヴァルさまのものだったのは……

 アレってさ、いわゆる”そういう”視線だったよ?
 初対面のあたしに……

「……顔が赤い。 やはり怒りを感じているのか? それは当然だが……」
「い、いや違うの! あ、あたしがはしたないってだけ!」
「……?」

 うごごご……
 あの時は怖くて仕方なかった視線が、今は別の意味を持って返ってきた。

 どうしよう。
 なんだか顔が火照ってくる。
 アレがヴァルさまだって分かった途端、逆にドキドキしてきてしまった。

「ヴァ、ヴァルさまはさ」
「……なんだ」

 こんなこと、聞いちゃっていいのか分からないけれど。

「あ、あたしをその……そういう目で見てるんだよね?」
「……そういう目、とは?」
「い、言わせるなよぅ! じょ、女性として! 抱きしめてくれて……キスして……そ、その先のこと!」
「ああ、もちろんだ」

 やけに男らしく答えるヴァルさま。
 あたしはその堂々さに少し後ずさってしまった。

「あ、あたしみたいな身体でも?」
「……ハルネ。 ああ、そうか」

 どういうワケか、ヴァルさまの圧が強くなった。

「……やはりキミは、全く分かっていないようだな」
「な、何が?」
「……私が、どれだけキミに執着し、溺れ、求めているのかを、だ」

 さらに圧が強くなる。
 ズイっとヴァルさまの顔がせまったと思ったら――

――ちゅっ

「ひょおぉ~~!」
「……逃げるな」

 デコチューされた!
 デコチューされた!!

「……ハルネ。 今の私の感情の色は視えているな?」
「え、え、え、ええ!? み、視えてるよ、もちろん!」

――感情色は桜色。 その色を視ているだけでドキドキして幸せな気持ちになる。

「……キミも知っていると思うが」
「な、なにが?」
「……私は感情を抑える事に慣れている。 これがどういう事か分かるか?」
「え?」
「今も、抑えているという事だ。 なぜなら……キミを壊してしまうから」
「こわいこと言わないで」

 不意のデコチューでアワアワさせられたあたしには、ヴァルさまが何を言ってるのか分かんなかった。

「だが、良い機会だ。 もう隠す必要もない。 キミは、知っても良いハズだ」
「な、な、何を?」
「……私が、どれほど重いかを、だ」
「へ、へーんだ! やってみなさいよ! あ、あたしの方が絶対好きだもん!」

 反射的に煽ってしまった。

 だが、あたしは正直ナメていた。
 ヴァルさまの……とてつもない重さに。

「……ハルネ。 覚悟はいいか?」
「お、おう! ドンと来なさいよ!」
「では、視るがいい。 これが、私のすべてだ」

 せっかくだからと、エモパレを全開にしていたのが仇となった。

 そしてすぐに、煽り散らかしたことを後悔した。

 ヴァルさまが、何かを解放した瞬間……


「あっ……」


 一瞬で目の前が埋まった。

 それはまるで、嵐のような花吹雪。
 淡い桜色、なんて可愛いものじゃなかった。

 視界も、胸も、指先まで、全部まとめて染め上げるような。
 濃くて、熱くて、逃げ場のない。

 あたしの世界は、


――眩しいほどに濃厚な、桃色ドピンク熱波に包まれた。



……………



 ヴァルさまと出会って、初めての恋をして。

 うんと傷ついて、振り回されて、包んだり、包まれたり。
 ……でも、ずっと、あたしを選んでくれてたんだ。

 いつかの夜。
 シャリエナと一緒に適当に名付けた感情色の魔眼――エモパレ。

 エモパレは、いくつもの感情の色の物語を見せてくれる。

 けれど感情は、いつだって面倒くさい。
 嬉しくて、怖くて、恥ずかしくて、重くて、あたたかい。

 リセリーナさんの、理解できない愛情色。
 リオーネさんの、優しい慈愛の色。
 ギルトハルトさんの、渇望の赤銅色。
 シャリエナの、見慣れた呆れの黄色だって、

 みんなみんな面白くて、愛しくて。

 そしてヴァルさまの桜色。
 あたしが見つけた、世界でいちばん綺麗な――春の色。

 そう。
 あたしの世界は、きっとこれからも、
 さまざまな感情と色に、騒がしく彩られていくんだろう。



 それがあたしの、

 感情の(エモーション)……

 お祭り騒ぎ(パレード)!




 ― 完 ―