舞踏会の夜が明けた。
緩やかな丘の向こう、遠く静かに佇むアルテノット男爵邸。
昨晩の大騒ぎが嘘みたいに、朝陽を受けて白く輝いて見えた。
入り口の辺りには、何人かの衛兵や調査局員が慌ただしく出入りしているのが見える。
時折、風に乗って届く喧騒も、ここまで離れると遠い波音みたいだった。
昨夜、あそこにいたんだな、と、あたしは他人事みたいに思った。
鼻先を撫でる風には、今でもカモミールの香りが残っている気がした。
―――――――
アルテノット男爵邸から少し離れた丘の上。
事件後の処理もひと段落して、あたし達は休憩がてら、ここまで足を延ばしてみた。
「……ドレスも似合っていたが、やはりキミにはその姿は馴染むな」
「でしょ?」
ドレスやタキシードは、あの騒ぎで大分ボロボロになってしまっていた。
あたしは普段着に、ヴァルさまはいつもの官服に着替えていた。
あたしの普段着はシャリエナが持ってきていた。
何かあった時のために、と。
さすエナ……
「眼帯、つけないの?」
見慣れた青い官服に戻ったヴァルさまの左眼には、いつもの眼帯がなかった。
「……ああ」
「大丈夫?」
「……正直、怖い。 だが、キミがいつも見ている景色を、私も同じように見たくなった」
エモパレに慣れなよ、と言ったのはあたしだった気もするけれど。
それでもやっぱり心配は心配。
顔を覗き込むあたしに、ヴァルさまは「大丈夫だ」という顔を返した。
「ここは気持ちいい場所だね」
「……そうだな」
雲一つない青い空。
丘の上から広がる景色を見ているだけで、なんだか心がスッキリしていく。
さわさわと草を駆ける風の唄が、心地よく耳をくすぐる。
原っぱに腰を下ろし、気になった事をまとめてヴァルさまに聞いてみることにした。
まず、アルテノット夫妻は調査局に一旦身柄を預けられた。
けれど、オルヴェリス公爵家の横槍が入り、処分については相当に揉めるらしい。
ルシアンさまとギルトハルトさんは治療院へ。
どちらも命に別状は無いと聞いて、あたしはようやく肩の力が抜けた。
「あたしは、リセリーナさんの事は嫌いじゃないんだけどな」
「私は大嫌いだ」
「あはは! ヴァルさまはそうかもね」
「……抱き着かれた時は正直吐きそうだった」
「え~? ホントは、嬉しかったんじゃないの?」
「そんなはずなかろう! ……抱き着かれるのはキミだけでいい」
「っ! お、おごごご……」
急にノロケてくるヴァルさまに不意打ちを食らった。
オジさまはリセリーナさんの処遇が不満みたい。
だけど、あの人を罰した所で、彼女が懲りる姿なんて全然想像できない。
うーん……天災だと思って飲み込もうよ。
「ルシアン殿はキミに謝罪をしたいそうだ」
「うーん、別にあたしはもう気にしてないんだけどな」
「……そうか。 ならば断っておこう」
「いいの?」
「……私が会わせたくないのだ」
なんだろう。
ヴァルさまの気持ちがさっきから剥き出しだ。
意外には思ったけれど、新たなヴァルさまの一面が見れて嬉しくなった。
「ふふっ、会わせたくないって。 いや、ヴァルさまも謝ろうよ。 ぶん殴っちゃったんだから」
「……ハルネがそう言うなら、けじめとして謝罪はする」
「うん!」
「だが、許すつもりはない」
「んもう」
拗ねるヴァルさまが、ちょっとかわいい。
でもルシアンさまは侯爵の息子さんだし、ヴァルさまに何かあったらイヤだな。
まぁ、いざとなれば、ルシアンさまならあたしが謝り倒せば許してくれそうな気はする。
と、心の中でいくつかの算段をつけていると、ヴァルさまが急に神妙な顔になる。
「……今回の一連の事件で、キミ……ならびにサフラン香房には大変な負担をかけた」
「うん……」
今回のノクスミア事件。
ヴァルさまと出会えたのは幸運だったけど、本当に色々と大変だった。
「……だから、壊してしまったサフラン香房の日常を、今度は一緒に立て直したい」
真っ直ぐにこちらを覗く、琥珀色の二つの瞳。
「こちらの都合で営業停止にしたにも関わらず、事件の解決にも大きく貢献してくれた」
「うん」
けっこう頑張ったよ、あたしたち。
「……なので、謝礼と補償が出る」
「マジ!?」
お金が出ると聞いて、思わず下品な返事が出た。
「……ああ。 カモミールの買取やキミへの依頼も含めて、そこそこの額が出るはずだ」
「ああ、よかった~! 実はちょっと厳しかったんだよね……」
香房は、結構長いこと営業を止めてしまっていた。
お店を開ければいくらでも稼げる自信はある。
だけど、やっぱり収入が無い中で目減りしていくお金は、精神的に気持ちの良いものではなかった。
「……それに加えて、私個人でも補償をしたい」
「えっ、そこまではいいよ! 調査局から出してくれるんだったらそれで十分……」
「……そうだな、キミは受け取らないと思った。 だから補償ではなく、投資だと思ってくれ」
「投資?」
「サフラン香房はもっと大きくなる。 キミならそうするだろう」
「まあね? ヴァルさま見る目あるじゃん」
「それに私もしばらく現場を外される」
「えっ!?」
「……営業停止の件と、その他諸々でな。 局長に休暇を投げつけられた。 しばらく大人しくしていろ、と」
「それは……」
「……だから、新装開店するサフラン香房を、私にも手伝わせてほしい」
待って、整理させてよ。
つまり、ヴァルさまが金銭的にも人手的にも手を貸してくれる、と。
「いいの?」
「……仕事ばかりで使い道のなかった資産と、暇を持て余す中年男でよければ、遠慮なくこき使ってくれ」
「ヴァルさまをこき使う気はないけれど……」
お金はぶっちゃけありがたい。
手伝ってくれる申し出も嬉しい。
でも、なにより……
「一緒に立て直したい」――その言葉がいちばん胸にジンときた。
「じゃあ……手伝ってもらっちゃおうかな! いっぱい仕込んであげるよ!」
有能なヴァルさまなら、お母さんよりはずっと働いてくれるハズ!
それに……
「ヴァルさまが調査局をクビになっても、あたしが養うから安心してね!」
「それは……ふっ、頼もしいな」
「でしょ? 大丈夫! あたし、稼ぐ女だから!」
いざとなったら調査局からトリサちゃんを引っ張ってこよう。
いくらでもお金を稼ぐアイデアはある。
ヴァルさまがお店の事もちゃんと考えてくれるのが嬉しかった。
戻ってくる日常の予感に、なんだか胸の奥がむずむずする。
嬉しくて、安心して、でもじっとしているには少しだけ騒がしい。
「ねぇ、ヴァルさま!」
あたしは沸き立つ気持ちの勢いのまま、立ち上がる。
「……なんだ?」
「踊ろうよ!」
せっかく気持ちの良い原っぱなのだ。
何だか無性に身体を動かしたくなった。
「……踊る? 急に何を……」
「だってさ、せっかくの舞踏会だったのに、全然踊れなかったんだよ? 二回も行ったのに!」
エスタラン侯爵邸とアルテノット男爵邸。
舞踏会という催しに二度も参加したのに、どっちもそれどころじゃなかった。
「ほら! 立って!」
「……キミがそう言うのならば」
ヴァルさまの手を取って無理やり立ち上がらせる。
手と手を取り合って、身体を揺する。
そよ風が鳴らす草を楽器に、あたしの鼻唄を音楽に。
「ふんふ~んふんふふふん、とぅんとぅ、とぅたたん」
「……」
「ふんふふん……何、その顔」
踊ろうとか言っても、舞踏会の楽曲なんて実は全然知らない。
適当に歌って、適当にヴァルさまを振り回しているだけだった。
「……いや、あまりにもその、愛らしくて」
「い、いいじゃないのさ! 別に誰も聞いてやいないし、誰も見てないんだから!」
「……そうか」
「そうだよ。 何だっていいの!」
「……キミが楽しければそれでいい」
「うん、楽しいよ!」
あたしの鼻唄と適当ダンスにヴァルさまが懸命に合わせてくれる。
ときおりクルっと回ってみたり、しがみついて甘えてみたり。
豪華なドレスも、煌びやかなシャンデリアも無い。
いつもの普段着で、下手っぴなダンス。
「あはは!」
とっても楽しくて、気持ちが良い。
今のあたしは何色なんだろう?
それは、うん。
ヴァルさまの笑みを見てればわかる。
ねぇ、もっと視てよ。
あたしの楽しい気持ちを視てよ。
そして、ヴァルさまも楽しくなろうよ。
今までの不機嫌も、不幸も、何もかも吹き飛ばしてさ。
あたしと一緒に、楽しく生きようよ?
クルクル回って、ほら、ターン。
段々と息が合ってくる。
笑って、踊って、楽しんで。
あたしの息が切れるまで、原っぱの舞踏会を、めいっぱい味わった。
―――――――
だいぶ踊って、ふー、と一息。
繋がれた両手はそのままに、ヴァルさまの表情が真面目に変わった。
「……ハルネ」
上機嫌なあたしは、ふんわり応える。
「なあに?」
「……キミに、謝らなければならない事が、まだある」
真剣なお顔で、真剣なトーンだ。
「……サフラン香房を営業停止にしたのは、私の独断で、エゴなんだ」
「あれ? 前は色々と原因が重なったからって……」
「……アレは、ウソだ」
「ウソ!?」
ノクセラ草を唯一扱ってたり、ヒョロキモに襲われたり。
確かにそうかもって、その時は納得したけれど……違うの!?
「……何から話せばいいものか。 サフラン香房で襲撃者を撃退したあの夜。 私にとっては、アレがキミとの初対面ではない」
「え?」
「その少し前……西街で一人歩いていたキミを見たその瞬間から、目が離せなくなった」
「な、なにそれ。 もしかして、ひ、一目惚れ、とか?」
「……今思えばそうだ。 私の人生において初めて惹かれた女性――それがハルネだ」
「おごごご……」
「だが、それだけではない。 私はその後、キミを路地裏へ追い詰め、教会で泣かせた」
「お……?」
「……自らの行為、そして泣かせてしまった事実に、血の気が引いた」
「……」
ちょっと待って、情報量が多い。
「……それだけでは無い。 香房で異常者と戦う勇敢なキミを見て……私は、見惚れてしまった」
「アレも見てたの!?」
「……そのせいで、助けに入るのが遅れてしまった。 結果、キミに怪我まで負わせてしまい……」
「怪我って……でも、すぐに治してくれたじゃん」
「する必要の無かった怪我だ。 私は自分が許せなかった。 あの夜、私は自らの職を投げうってでも、キミを絶対に守る事を誓った」
「そういう事情だったんだ……」
「……本当に、すまなかった」
真摯に頭を下げてくれるヴァルさま。
いまいち腑に落ちていなかった営業停止の理由がやっと分かった。
全部、ヴァルさまなりの、不器用な贖罪だったんだ。
「……軽蔑してくれても構わない。 罵ってくれても構わない。 キミとの約束を無に帰す覚悟も出来ている」
「そんな事しないよ! 勝手に自分で決めないでよ!」
「……すまない。 だが、沙汰は全てキミに任せる」
急に色々と分かって、びっくりしたのは事実だけども……
「うーん、結局ヴァルさまはさ」
「……ああ」
「あたしを、す、好きだったんでしょ? ずっと。 最初から」
「……もちろんそうだ」
「うーーーーん……じゃあ、まぁいっか! 好きでいてくれるなら、それでいいや」
「……しかし」
「怖かったよ? 怖かったけども、今後はちゃんと伝えてくれるんならさ」
そもそも教会で泣いてた件とかは、あたしの自爆も大分混じってる。
決してヴァルさまだけのせいじゃない。
「……だが」
「もういいってば!」
ヴァルさまは、それきり黙ってしまった。
なんだかまだ、辛そうな顔をしている。
それにしても、あの背筋が粟立つような感情温度がヴァルさまのものだったのは……
アレってさ、いわゆる”そういう”視線だったよ?
初対面のあたしに……
「……顔が赤い。 やはり怒りを感じているのか? それは当然だが……」
「い、いや違うの! あ、あたしがはしたないってだけ!」
「……?」
うごごご……
あの時は怖くて仕方なかった視線が、今は別の意味を持って返ってきた。
どうしよう。
なんだか顔が火照ってくる。
アレがヴァルさまだって分かった途端、逆にドキドキしてきてしまった。
「ヴァ、ヴァルさまはさ」
「……なんだ」
こんなこと、聞いちゃっていいのか分からないけれど。
「あ、あたしをその……そういう目で見てるんだよね?」
「……そういう目、とは?」
「い、言わせるなよぅ! じょ、女性として! 抱きしめてくれて……キスして……そ、その先のこと!」
「ああ、もちろんだ」
やけに男らしく答えるヴァルさま。
あたしはその堂々さに少し後ずさってしまった。
「あ、あたしみたいな身体でも?」
「……ハルネ。 ああ、そうか」
どういうワケか、ヴァルさまの圧が強くなった。
「……やはりキミは、全く分かっていないようだな」
「な、何が?」
「……私が、どれだけキミに執着し、溺れ、求めているのかを、だ」
さらに圧が強くなる。
ズイっとヴァルさまの顔がせまったと思ったら――
――ちゅっ
「ひょおぉ~~!」
「……逃げるな」
デコチューされた!
デコチューされた!!
「……ハルネ。 今の私の感情の色は視えているな?」
「え、え、え、ええ!? み、視えてるよ、もちろん!」
――感情色は桜色。 その色を視ているだけでドキドキして幸せな気持ちになる。
「……キミも知っていると思うが」
「な、なにが?」
「……私は感情を抑える事に慣れている。 これがどういう事か分かるか?」
「え?」
「今も、抑えているという事だ。 なぜなら……キミを壊してしまうから」
「こわいこと言わないで」
不意のデコチューでアワアワさせられたあたしには、ヴァルさまが何を言ってるのか分かんなかった。
「だが、良い機会だ。 もう隠す必要もない。 キミは、知っても良いハズだ」
「な、な、何を?」
「……私が、どれほど重いかを、だ」
「へ、へーんだ! やってみなさいよ! あ、あたしの方が絶対好きだもん!」
反射的に煽ってしまった。
だが、あたしは正直ナメていた。
ヴァルさまの……とてつもない重さに。
「……ハルネ。 覚悟はいいか?」
「お、おう! ドンと来なさいよ!」
「では、視るがいい。 これが、私のすべてだ」
せっかくだからと、エモパレを全開にしていたのが仇となった。
そしてすぐに、煽り散らかしたことを後悔した。
ヴァルさまが、何かを解放した瞬間……
「あっ……」
一瞬で目の前が埋まった。
それはまるで、嵐のような花吹雪。
淡い桜色、なんて可愛いものじゃなかった。
視界も、胸も、指先まで、全部まとめて染め上げるような。
濃くて、熱くて、逃げ場のない。
あたしの世界は、
――眩しいほどに濃厚な、桃色ドピンク熱波に包まれた。
……………
ヴァルさまと出会って、初めての恋をして。
うんと傷ついて、振り回されて、包んだり、包まれたり。
……でも、ずっと、あたしを選んでくれてたんだ。
いつかの夜。
シャリエナと一緒に適当に名付けた感情色の魔眼――エモパレ。
エモパレは、いくつもの感情の色の物語を見せてくれる。
けれど感情は、いつだって面倒くさい。
嬉しくて、怖くて、恥ずかしくて、重くて、あたたかい。
リセリーナさんの、理解できない愛情色。
リオーネさんの、優しい慈愛の色。
ギルトハルトさんの、渇望の赤銅色。
シャリエナの、見慣れた呆れの黄色だって、
みんなみんな面白くて、愛しくて。
そしてヴァルさまの桜色。
あたしが見つけた、世界でいちばん綺麗な――春の色。
そう。
あたしの世界は、きっとこれからも、
さまざまな感情と色に、騒がしく彩られていくんだろう。
それがあたしの、
感情の(エモーション)……
お祭り騒ぎ(パレード)!
― 完 ―


