「どうかね?」
「これは、いわゆるひとつのバッキバキ……」
「うん?」
「あっ……いえ! ……ほ、骨は砕けていますが、命に別状は無いと思います」
セーヴランとリオーネは、仰向けに倒れたギルトハルトの様子を窺っていた。
薬の作用が薄れたのか、異様に膨れ上がっていた筋肉は萎み、元の姿へと戻っていた。
「ちょっと痛々しいので治癒魔法は施しますが、完全に治すのはカームを使ってからですね。 シャリエナちゃんを呼ばないと」
「ああ、今暴れられなければそれでいい。 それにしても……」
セーヴランが横を向く。
その視線の先には、会話している二人の姿があった。
一生懸命何かを語っているハルネに、満足そうにそれを聞くヴァルグレイ。
「くっくっく……ハッハッハ!」
「ど、どうしました?」
急に笑い出すセーヴランに、引いた様子をみせるリオーネ。
「リオーネくんも見たまえよ。 仏頂面しか見せなかったヴァルグレイの、あの顔を、さ」
「ええ、そうですね。 ……よかった」
胸の奥が、ほんの一瞬だけちくりとした。
けれど、その痛みよりも、長年見てきた男がようやく穏やかに笑っている事に、安堵した。
「……実はね、私はずっと気にしていたんだよ。 本人の意向があったとは言え、心を蝕む異能を使わせ続ける事をね」
「ええ……」
一度は命令で使用を制限させた事もあった。
しかし、ヴァルグレイの強い意志は、まるで自分を傷つけるように、仕事にも捜査にも熱心だった。
「それがどうだい? あのヴァルグレイが! あんな愉快な口上に真顔で付き合う日が来るなんてね! ハッハッハ!」
手を叩いて笑うセーヴランに、少し引き攣るリオーネ。
「アレは……だいぶハルネちゃんの影響だとは思いますけれども……」
「うん、そうだね。 いい娘を見つけたねヴァルグレイは。 私も嬉しいよ」
セーヴランは、温かい親心を思わせる目線を二人に送った。
「ところで局長。 こんな所で油を売っていて良いんですか?」
「なにがだね?」
「”本命”の確保がまだですが」
「ああ、それも時間の問題だろう。 さきほどリカルドとレルガくんに追わせた」
―――――――
「いたか?」
「いないッス。 あんな一瞬でどこ行っちゃったんスかね?」
数名の調査局員と共に、リカルドとレルガはアルテノット夫妻の行方を捜していた。
屋敷の出入り口はすべて固めてある。
袋のネズミのはずだった。
「くそう……逃げられるハズはないんだがな」
「ハル姐さんから聞きやしたが、ルシアン侯爵令息様が二階でぶっ倒れてるみたいっス」
「……エスタラン侯爵令息まで行方不明ってのは勘弁願いたい。 二階を探すぞ」
二人は二階を見上げる。
するとそこには、手すりに手をかけてホールを見下ろす、白いドレスの影があった。
「見つけたぜっ! あそこだ!」
―――――――
「楽しかった宴ももう、おしまいですわね」
すっかり霧が薄くなり、霞のような靄が舞う一階ホールを見下ろすリセリーナ。
横に立つエドリックの顔色は、蒼を通り越し、土気色に変わっていた。
無表情だったリセリーナは、その憔悴しきった夫の表情を見て、満足そうに微笑む。
「どうするんだい、リセリーナ……」
エドリックは、本当は逃げるつもりはなかった。
罠を仕掛け、この宴を開いた自分自身も、裁かれるべき存在だと分かっていた。
「どうもしませんわ。 共に制裁を受けましょう」
「せ、制裁って……そ、それが分かっていながら、なぜこんな事を……」
「そのお顔が見たかったからですわ。 フフフ」
エドリックは、妻の屈託のない笑顔に、胸の奥を締めつけられる。
出会った頃の、求婚されたばかりの頃の彼女と、何一つ変わっていない。
「結局……ノクスミアをもってしても、キミの愛を、確かめられなかった……」
「わたくしの愛を疑っているのですか?」
「そ、それはそうだろう! キミはいつもいつもいつも! 僕を困らせる事しかしないんだから!」
弱気な彼に珍しく、語気の荒い言葉が出た。
その声に、リセリーナのルビーの瞳がわずかに和らぐ。
エドリックへと向ける眼差しに、いつもとは違う、穏やかな温度が宿った。
「ハルネさんがおっしゃっていました。 どうして男爵さまを選んだの? と」
「あ、ああ……聞いていた」
「わたくしが愛しているのは、アナタ、ただ一人ですわ。 エドリック……」
「…………」
「わたくしはアナタを選び、愛し抜く事をもう決めているのです。 何があっても離れません。 何があっても離しません」
リセリーナがエドリックの胸にすがる。
熱っぽい視線。
エドリックは、リセリーナの言葉が信じられない。
しかし、この熱烈な視線に、何度も何度も抗う事を諦めさせられてきた。
「リ、リセリーナ……」
だが、これほどの事件を起こしたとしても。
その思惑の行き先が自分に向いていたのであれば、その愛情はやはり本物なのでは?
今度こそは、信じられるのでは?
もう何度目か。
またしてもそう思ってしまったエドリックは、縋ってきたリセリーナの肩へと腕を回した。
「わたくし、今から楽しみですの」
「っ! な、なにがだい?」
回した腕が引っ込んだ。
相変わらず話が唐突で掴めない。
夫婦として長い時間を過ごしてなお、エドリックは妻の気持ちを一つも理解できていなかった。
「旦那様が、どんな制裁を受けて、どんな悲痛な顔をなさって、どれだけ辛くなってくれるのか。 もう……今から胸の高鳴りが止められません」
「なっ……キ、キミだって同じような目に遭うのかもしれないんだよ!?」
「そこにはあまり興味はありませんの」
「キ、キミという人は、本当にっ……!」
やはり妻の気持ちは理解できない。
それは生涯続くのかもしれない。
それでもエドリックには、この美しく、歪なほどに一途な妻を、愛さない事などできなかった。
エドリックの表情に諦めの色が濃くなったのを察知し、リセリーナに恍惚が浮かぶ。
「……あら、良いお顔ね。 愛していますわ、旦那様」
リセリーナはエドリックの頬を掴み、そのまま顔を寄せ、口づけを交わした。
―――――――
あたしは、二階に駆け上がっていく調査局員たちを眺めていた。
ふと、二階回廊の張り出し部分を見ると、リセリーナさんとエドリックさんの姿が見えた。
いつの間にあんな所に……
会話は聞こえない。
二人が捕まれば、この舞踏会も終わる。
やっと終わるんだと胸を撫で下ろしながら、身を寄せ合った二人をじっと見つめていた。
そして、突然、リセリーナさんが男爵さまの唇を奪った。
……え?
なんで?
どうなってそうなったの?
色んな疑問が浮かんでは消える。
でも、遠くからでも分かるリセリーナさんの濃厚な口づけに、なんだかあたしの方が落ち着かなくなった。
ざわざわした気持ちでそれを眺めていると、急に目の前に影が出来る。
ヴァルさまが、あたしの視界を塞ぐように手を差し出していた。
「……あんな狂気(モノ)は見るな」
吐き捨てるようにそう言った。
そして……
「……キミの瞳には、私だけを映していればいい」
「わっ!」
ヴァルさまらしくない言葉を言い放つと、あたしをスイっと抱きかかえた。
これは……お姫様抱っこ!
初めて会った時の事を思い出す。
助けてもらって、羽毛を抱えるように軽く持ち上げてくれて、頼もしさに安心を覚えたっけ。
あたしはもっと距離が近くなるように、そして密着できるよう、ヴァルさまの首に手を回す。
あの時のドキドキと違うドキドキに、なんだか心が躍りだしそうだった。
「重くない?」
「……軽いモノだ」
「ヴァルさまは、独占欲が強いんだね」
「……ああ、キミが引くほどにな」
「あたしも……重い女だよ? 色んな意味で!」
ヴァルさまがフっと笑う。
「……そこはキミには負けんよ。 私の方が重い」
「んふふ。 じゃあ、あたしたちやっぱり、似てるのかもね」
性格は真反対だと思う。
でも、ヴァルさまが告白してくれた時に言った通り。
同じ、なんだ。 きっと。
それが例えどんなものでも、おそろいで同じという事実だけが、あたしの胸を弾ませる。
「ねぇ、ヴァルさま」
「……なんだ」
「あたしの事、愛してる?」
「……ああもちろん。 愛している」
「あたしも、大好き! ずっと……ずーっと一緒にいてね? 一人にしないでね? 離さないでね? 約束だよ?」
「……ああ、決して離さない。 約束だ」
視線が、合わさる。
気持ちが、通じる。
感情が、わかる。
ヴァルさまの、琥珀色の……ううん、今は、ほのめく蜂蜜色の瞳。
あたしの瞳も、きっと同じ色に揺れている。
見ているものも、宿る感情も、今はひとつに重なっている。
あたし達は、ずっと違う場所にいたようで、こんなにも近かった。
「……この美しい感情の色も、この唇も、絶対に離さない」
顔を寄せたヴァルさまの唇に、
ふと、人差し指を当てて、止めてみた。
不思議そうな顔をしたヴァルさまの表情。
どこか不服そうなのが愛おしい。
いたずらが成功した事に満足して、思わずくふふと頬が緩んだ。
……ああ、くすぐったいなぁ。
好きと好きが混ざり合って、ソーダみたいにスキが弾ける。
その不満そうな顔も好き。
照れくさそうな仕草も好き。
今日も、明日も、明後日も、
一緒にご飯を食べようね。
うるさいあたしを、許してね。
泣き虫なあたしを、ぎゅってしてね。
ぽっちゃりなあたしのことも、愛らしいってちゃんと言ってね?
ヴァルさま……
あたしの好きな人。
あたしを選んでくれた人。
怖くて、優しくて、不器用な、あたしだけのオジさま。
あたしの愛する……
旦那さま!
「ありがと!」
ヴァルさまの頬に手を伸ばし、
あたしの方が重いんだぞという愛を込めて、
人生最高のキスをした。
~ 第8章 ―完― ~


