【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―



「どうかね?」
「これは、いわゆるひとつのバッキバキ……」
「うん?」
「あっ……いえ! ……ほ、骨は砕けていますが、命に別状は無いと思います」

 セーヴランとリオーネは、仰向けに倒れたギルトハルトの様子を窺っていた。
 薬の作用が薄れたのか、異様に膨れ上がっていた筋肉は萎み、元の姿へと戻っていた。

「ちょっと痛々しいので治癒魔法は施しますが、完全に治すのはカームを使ってからですね。 シャリエナちゃんを呼ばないと」
「ああ、今暴れられなければそれでいい。 それにしても……」

 セーヴランが横を向く。
 その視線の先には、会話している二人の姿があった。

 一生懸命何かを語っているハルネに、満足そうにそれを聞くヴァルグレイ。

「くっくっく……ハッハッハ!」
「ど、どうしました?」

 急に笑い出すセーヴランに、引いた様子をみせるリオーネ。

「リオーネくんも見たまえよ。 仏頂面しか見せなかったヴァルグレイの、あの顔を、さ」
「ええ、そうですね。 ……よかった」

 胸の奥が、ほんの一瞬だけちくりとした。
 けれど、その痛みよりも、長年見てきた男がようやく穏やかに笑っている事に、安堵した。

「……実はね、私はずっと気にしていたんだよ。 本人の意向があったとは言え、心を蝕む異能を使わせ続ける事をね」
「ええ……」

 一度は命令で使用を制限させた事もあった。
 しかし、ヴァルグレイの強い意志は、まるで自分を傷つけるように、仕事にも捜査にも熱心だった。

「それがどうだい? あのヴァルグレイが! あんな愉快な口上に真顔で付き合う日が来るなんてね! ハッハッハ!」

 手を叩いて笑うセーヴランに、少し引き攣るリオーネ。

「アレは……だいぶハルネちゃんの影響だとは思いますけれども……」
「うん、そうだね。 いい娘を見つけたねヴァルグレイは。 私も嬉しいよ」

 セーヴランは、温かい親心を思わせる目線を二人に送った。

「ところで局長。 こんな所で油を売っていて良いんですか?」
「なにがだね?」
「”本命”の確保がまだですが」
「ああ、それも時間の問題だろう。 さきほどリカルドとレルガくんに追わせた」



―――――――



「いたか?」
「いないッス。 あんな一瞬でどこ行っちゃったんスかね?」

 数名の調査局員と共に、リカルドとレルガはアルテノット夫妻の行方を捜していた。

 屋敷の出入り口はすべて固めてある。
 袋のネズミのはずだった。

「くそう……逃げられるハズはないんだがな」
「ハル姐さんから聞きやしたが、ルシアン侯爵令息様が二階でぶっ倒れてるみたいっス」
「……エスタラン侯爵令息まで行方不明ってのは勘弁願いたい。 二階を探すぞ」

 二人は二階を見上げる。
 するとそこには、手すりに手をかけてホールを見下ろす、白いドレスの影があった。

「見つけたぜっ! あそこだ!」



―――――――



「楽しかった宴ももう、おしまいですわね」

 すっかり霧が薄くなり、霞のような靄が舞う一階ホールを見下ろすリセリーナ。

 横に立つエドリックの顔色は、蒼を通り越し、土気色に変わっていた。
 無表情だったリセリーナは、その憔悴しきった夫の表情を見て、満足そうに微笑む。

「どうするんだい、リセリーナ……」

 エドリックは、本当は逃げるつもりはなかった。
 罠を仕掛け、この宴を開いた自分自身も、裁かれるべき存在だと分かっていた。

「どうもしませんわ。 共に制裁を受けましょう」
「せ、制裁って……そ、それが分かっていながら、なぜこんな事を……」
「そのお顔が見たかったからですわ。 フフフ」

 エドリックは、妻の屈託のない笑顔に、胸の奥を締めつけられる。

 出会った頃の、求婚されたばかりの頃の彼女と、何一つ変わっていない。

「結局……ノクスミアをもってしても、キミの愛を、確かめられなかった……」
「わたくしの愛を疑っているのですか?」
「そ、それはそうだろう! キミはいつもいつもいつも! 僕を困らせる事しかしないんだから!」

 弱気な彼に珍しく、語気の荒い言葉が出た。

 その声に、リセリーナのルビーの瞳がわずかに和らぐ。
 エドリックへと向ける眼差しに、いつもとは違う、穏やかな温度が宿った。

「ハルネさんがおっしゃっていました。 どうして男爵さまを選んだの? と」
「あ、ああ……聞いていた」
「わたくしが愛しているのは、アナタ、ただ一人ですわ。 エドリック……」
「…………」
「わたくしはアナタを選び、愛し抜く事をもう決めているのです。 何があっても離れません。 何があっても離しません」

 リセリーナがエドリックの胸にすがる。
 熱っぽい視線。

 エドリックは、リセリーナの言葉が信じられない。
 しかし、この熱烈な視線に、何度も何度も抗う事を諦めさせられてきた。

「リ、リセリーナ……」

 だが、これほどの事件を起こしたとしても。

 その思惑の行き先が自分に向いていたのであれば、その愛情はやはり本物なのでは?

 今度こそは、信じられるのでは?

 もう何度目か。
 またしてもそう思ってしまったエドリックは、縋ってきたリセリーナの肩へと腕を回した。

「わたくし、今から楽しみですの」
「っ! な、なにがだい?」

 回した腕が引っ込んだ。

 相変わらず話が唐突で掴めない。
 夫婦として長い時間を過ごしてなお、エドリックは妻の気持ちを一つも理解できていなかった。

「旦那様が、どんな制裁を受けて、どんな悲痛な顔をなさって、どれだけ辛くなってくれるのか。 もう……今から胸の高鳴りが止められません」
「なっ……キ、キミだって同じような目に遭うのかもしれないんだよ!?」
「そこにはあまり興味はありませんの」
「キ、キミという人は、本当にっ……!」

 やはり妻の気持ちは理解できない。
 それは生涯続くのかもしれない。

 それでもエドリックには、この美しく、歪なほどに一途な妻を、愛さない事などできなかった。
 エドリックの表情に諦めの色が濃くなったのを察知し、リセリーナに恍惚が浮かぶ。


「……あら、良いお顔ね。 愛していますわ、旦那様」


 リセリーナはエドリックの頬を掴み、そのまま顔を寄せ、口づけを交わした。



―――――――



 あたしは、二階に駆け上がっていく調査局員たちを眺めていた。

 ふと、二階回廊の張り出し部分を見ると、リセリーナさんとエドリックさんの姿が見えた。
 いつの間にあんな所に……

 会話は聞こえない。

 二人が捕まれば、この舞踏会も終わる。
 やっと終わるんだと胸を撫で下ろしながら、身を寄せ合った二人をじっと見つめていた。

 そして、突然、リセリーナさんが男爵さまの唇を奪った。

 ……え?
 なんで?
 どうなってそうなったの?

 色んな疑問が浮かんでは消える。
 でも、遠くからでも分かるリセリーナさんの濃厚な口づけに、なんだかあたしの方が落ち着かなくなった。

 ざわざわした気持ちでそれを眺めていると、急に目の前に影が出来る。
 ヴァルさまが、あたしの視界を塞ぐように手を差し出していた。

「……あんな狂気(モノ)は見るな」

 吐き捨てるようにそう言った。
 そして……

「……キミの瞳には、私だけを映していればいい」
「わっ!」

 ヴァルさまらしくない言葉を言い放つと、あたしをスイっと抱きかかえた。

 これは……お姫様抱っこ!

 初めて会った時の事を思い出す。
 助けてもらって、羽毛を抱えるように軽く持ち上げてくれて、頼もしさに安心を覚えたっけ。

 あたしはもっと距離が近くなるように、そして密着できるよう、ヴァルさまの首に手を回す。
 あの時のドキドキと違うドキドキに、なんだか心が躍りだしそうだった。

「重くない?」
「……軽いモノだ」
「ヴァルさまは、独占欲が強いんだね」
「……ああ、キミが引くほどにな」
「あたしも……重い女だよ? 色んな意味で!」

 ヴァルさまがフっと笑う。

「……そこはキミには負けんよ。 私の方が重い」
「んふふ。 じゃあ、あたしたちやっぱり、似てるのかもね」

 性格は真反対だと思う。
 でも、ヴァルさまが告白してくれた時に言った通り。

 同じ、なんだ。 きっと。
 それが例えどんなものでも、おそろいで同じという事実だけが、あたしの胸を弾ませる。

「ねぇ、ヴァルさま」
「……なんだ」
「あたしの事、愛してる?」
「……ああもちろん。 愛している」
「あたしも、大好き! ずっと……ずーっと一緒にいてね? 一人にしないでね? 離さないでね? 約束だよ?」
「……ああ、決して離さない。 約束だ」

 視線が、合わさる。
 気持ちが、通じる。
 感情が、わかる。

 ヴァルさまの、琥珀色の……ううん、今は、ほのめく蜂蜜色の瞳。

 あたしの瞳も、きっと同じ色に揺れている。
 見ているものも、宿る感情も、今はひとつに重なっている。

 あたし達は、ずっと違う場所にいたようで、こんなにも近かった。

「……この美しい感情の色も、この唇も、絶対に離さない」

 顔を寄せたヴァルさまの唇に、
 ふと、人差し指を当てて、止めてみた。

 不思議そうな顔をしたヴァルさまの表情。
 どこか不服そうなのが愛おしい。

 いたずらが成功した事に満足して、思わずくふふと頬が緩んだ。


 ……ああ、くすぐったいなぁ。

 好きと好きが混ざり合って、ソーダみたいにスキが弾ける。


 その不満そうな顔も好き。

 照れくさそうな仕草も好き。

 今日も、明日も、明後日も、

 一緒にご飯を食べようね。

 うるさいあたしを、許してね。

 泣き虫なあたしを、ぎゅってしてね。

 ぽっちゃりなあたしのことも、愛らしいってちゃんと言ってね?


 ヴァルさま……

 あたしの好きな人。

 あたしを選んでくれた人。

 怖くて、優しくて、不器用な、あたしだけのオジさま。

 あたしの愛する……

 旦那さま!


「ありがと!」


 ヴァルさまの頬に手を伸ばし、

 あたしの方が重いんだぞという愛を込めて、

 人生最高のキスをした。



~ 第8章 ―完― ~