あたし達がいたのは、ちょうどリセリーナさんと戦った場所だった。
廊下の絨毯には焦げ痕があったり、エドリックさんが放ったノクスミアの染みもあった。
ガンマ……だっけ?
心の封を切ったような、あのどうしようもない衝動は、もうすっかり消えていた。
でも、ヴァルさまを好きな気持ちは、さっきよりずっと心にいっぱいに残っていた。
今も繋がれている手がその証拠。
ヴァルさまのあったかい手に、また、胸の奥の好きが弾けた。
突然、階下から大きな喚声が聞こえた。
ヴァルさまと一緒に、張り出し部分から一階のホールを見下ろす。
「ん? 気のせいかな? なんだか、ノクスミアの霧が薄くなっているような?」
「……気のせいではないな。 見ろ、正面扉から風が入ってきている」
さっきまでは、まさに濃霧って感じだったが、ポツポツと人影が垣間見えるくらいになっていた。
ヴァルさまが指した正面扉の方を見る。
見慣れた金髪のメイド服の女の子、そしてお仕着せを着た紫髪の女性がチラっと見えた。
「リゼラちゃんと……リオーネさんだ!」
「……リオーネが戻って来たという事は、局長の部隊が入ったようだな」
ピンチにピンチを重ねたこの大騒動も、どうやら決着が見えてきた。
「……だが、部隊が入れるほど霧が薄くなったようには見えん。 リオーネはどうやって……」
「きっとシャリエナとリゼラちゃんが持ってきたカモミールを使ったんだね。 いやー、我が妹ながら、もうホント有能」
「……シャリエナ嬢がいたのはそういう事か。 まったく……キミ達姉妹には、頭が上がらんな」
「んふー。 そうでしょ?」
胸を張ってドヤ顔をキメたあたしに、ヴァルさまが頭をポンポンと撫でてくれた。
お、おごごご……
これが、両想いの頭ポンポン……!
想像以上に嬉しくて……恥ずい!
「……まだ終わったワケではない。 我々も急ごう」
「う、うん。 ……あっ! ルシアンさまはどうするの!?」
ちょっと離れた所には、ヴァルさまにガチ気味に殴られてしまった仰向けのルシアンさまが……
「……ほうっておけ。 加減はした……とは思う。 命に別状は無い……ハズだ」
「え? でもさ……」
さっさと先を行くヴァルさま。
あたしは、念のためにルシアンさまに駆け寄り、呼吸だけは確認した。
……うん。 生きては、いる。
ルシアンさまは心配だけど、確かにまだ終わったワケじゃない。
あたしは傍に落ちていたリーフシールドステッキを拾って、ヴァルさまの後ろに付いていく。
ヴァルさまはちょっとだけ不機嫌そうだった。
―――――――
一階に下りる頃には、随分と視界が良くなっていた。
「お姉ちゃん!」
「ハルネっ!」
降りてくるあたし達が見えたのか、シャリエナとリゼラちゃんが駆け寄ってくる。
勢いよく飛びついてくるシャリエナ。
「う~~」
「ちょっとシャリエナ。 グリグリしないで」
「無事だったんだなハルネ。 ルシアン様に連れていかれた時はどうなる事かと思ったけど……」
「うん。 ヴァルさまがすぐに助けてくれてさ。 二人も無事でよかった!」
この二人が来なかったらきっとまだ混乱が続いてたと思う。
感謝してもしきれない。
「それにしても、やけに霧が薄くなったな?」
リゼラちゃんが辺りを見回す。
「もしかしたら、ゼラちゃんたちがカームをあちこちに撒いたせいかも。 カモミールは、かなり強くノクスミアを中和するから」
「そっか。 アタシたちも、お役に立てたんならなによりだよ」
「お役どころじゃないよ! 救世主だったよ!」
「……お姉ちゃん」
「ん? なにさ」
リゼラちゃんと話しているあたしの顔を、じぃっと見るシャリエナ。
「……涙の後。 でも、なんだかスッキリした顔してる」
「……うん」
「うまくいったんだろ? 良かったじゃない!」
バンバンと背中を叩いてくるリゼラちゃん。
ちょっと、ドレスは生地が薄いんだから……痛いよ。
あたし達がいつもの空気で喋っている横で、ヴァルさまは白髪の紳士の人と何かを話していた。
「ヴァルグレイ! 無事だったか」
「……はい。 状況は?」
「レルガくんが持ってきた薬で、少数だが突入する事が出来た。 客の避難ももう終わる。 大方は収束しつつあるが……」
「……何か問題が?」
ヴァルさまが畏まっている姿を見るのは、エスタラン侯爵さまの時以来だ。
ということは、アレが調査局の局長さんかな?
「ハル姐さん!」
「ハルネちゃん!」
次に駆け寄ってくれたのはリオーネさんとレルガさん。
二人も無事だったんだ。 良かった。
「エナ姐さん、ゼラ姐さんも……ホンっト助かりやした! 先に礼をさせてもらうッス。 ありがとうございやした」
「ハルネちゃん達のおかげで、大きな被害は出ずに済みそうよ。 大金星ね! フフっ!」
レルガさんが頭を下げてくれて、リオーネさんはあたしとシャリエナをぎゅっと抱きしめてくれた。
「リオーネさん……苦しい……」
「おっぱい……」
みんなが集まって労ってくれて。
ずっと緊張していた空気が弛緩していくのが分かった。
まだ、霧もお客様も残っているから、完全には油断はできないけれど。
この後は、あたし達も出来る事を手伝ったりして。
……そんなつもりだった。
「……それは本当ですかっ!?」
一気に空気が締まる。
ヴァルさまの驚きの声が辺りに響いた。
「ああ、事実だ。 アルテノット夫妻は、まだ見つかっていない」
「えっ!?」
局長さんの言葉に、一気に背筋が伸びた。
そういえば、階段から落ちて……その後、彼女たちはどうなったんだろう?
「リ、リセリーナァッ!!」
悲痛な悲鳴が少し離れた場所から聞こえた。
今日何度聞いたか分からない……アルテノット男爵さまの悲鳴だった。
―――――――
あたし達が駆け付けた先には、壁に寄りかかりながら意識を失っているギルトハルトさんがいた。
そして、その隣は、アルテノット夫妻の両名が。
「も、もういいだろう! リセリーナっ!」
「フフフ……」
リセリーナさんは、何かの小瓶を、ギルトハルトさんの口元へと押し付けていた。
「さあ、お起きになって、トラッド将軍」
「ぅ、むっ……ごふっ!」
小瓶の中身にむせながら、ギルトハルトさんの目が覚める。
アレは……ギルトハルトさんに渡していた小瓶? どこから!?
いや、それよりも、二階で聞いたリセリーナさんとの会話を思い出した。
ま、まさかアレって……
「このβをお飲みなさいトラッド将軍。 アナタの猛りは、燃え尽きてはいません」
「わ、我は…………ぐぶっ……は、敗北して……」
「いいえ、アナタの本気はまだまだです。 そして、ヴァルグレイ様の本気もまだまだですわ」
「ゼオ……ファル、ド……っ!」
ギルトハルトさんの目に光が宿る。
「あっけなく終わってしまって、わたくしはまだ物足りませんの。 それに、将軍には悔いがお残りでは」
「悔……い」
「そう。 アナタはまだ、全力を尽くしてはいない。 これを飲み干すことで、ヴァルグレイ様と、再び戦える。 対等に……そして、全力で」
「全力……で」
リセリーナさんの、静かで凛とした声は、あたし達の耳にも染み込むようだった。
「さあ、渇望なさい。 彼を超える強さを。 力を。 心の底から……望むのです!」
リセリーナさんの一喝に、ギルトハルトさんがゆっくりと立ち上がる。
「……う、うおおおおおおおおおっっっっ!!!!」
ギルトハルトさんの雄叫びが、辺り一帯に轟いた。
それは、あたしとシャリエナには既視感のある、異様な光景だった。
歪に筋肉を膨らませ、ただでさえ大きなギルトハルトさんの身体は、より巨大な、異形の筋肉巨人と化した。
ただ立ち上がっただけで、床板が軋む。
「これはっ……」
後ろの局長さんの息を飲む声が聞こえた。
「フフフフ……たいへん結構ですわトラッド将軍。 それでいいのです。 わたくしの大好きなハルネさんと、わたくしの愛する旦那様を……もっともっと困らせてくださいませ」
「キミは……なんてことを……っ!」
微笑みを絶やさないリセリーナさん。
男爵さまは痛々しい表情のまま、彼女の腕を取り、後ろの階段を駆け上がった。
「待てっ!」
追おうとしたヴァルさまを、ギルトハルトさんが進路をふさぐ。
「……くっ。 この、おぞましき混沌の感情色」
ヴァルさまの言う通り。
あの時のヒョロキモと、同じ……
――ギルトハルトさんの感情色は、グチャグチャだった。
「お、お姉ちゃん……」
以前の記憶が蘇ったのか、シャリエナが怯えた声を出していた。
立っているだけで感じる強大な威圧感。
一瞬、誰もが異形の巨体に気を呑まれた。
「総員、距離を取れ! うかつに近づくな!」
局長さんのよく通る声が響く。
さすがは調査局の面々。
すぐに状況に対応したみたいだった。
そんな中、あたしはヴァルさまに視線を送る。
ヴァルさまも同じ思いだったようで、あたし達の蜂蜜色の視線が絡み合った。
嬉しくなって、笑顔を返す。
……うん、そうだよね。
ヴァルさまと気持ちが通じ合ってから。
なんだか、淹れたての紅茶みたいな熱が、ふつふつと心の中で湧いていた。
ヴァルさまと一緒なら……
どんな事にだって、負ける気がしないんだから!
んふふ、じゃあ、始めよっか。
これが……
最後の戦いだ!
リーフシールドステッキをくるくると回して構えを取る。
「シャリエナ! カモミールカームっ!」
「レルガ! 剣をっ!」
「えっ? は、はい、お姉ちゃん!」
「へい、ボス!」
あたしはシャリエナからカームを、ヴァルさまはレルガさんから剣を受け取る。
「ヴァルグレイ!」
局長さんが、ヴァルさまに声を掛ける。
「……キミ達に任せていいんだな?」
「問題ありません」
「……ああ、分かったよ。 頼んだよ二人とも!」
ありがとうね、局長さん!
カモミールカームの瓶の蓋を開けながら、心の中で局長さんに感謝した。
「ギルトハルトさんの動きは、あたしが止める。 ヴァルさまはトドメをお願いね!」
「……何か、考えがあるんだな?」
あたしは、ヴァルさまの前に陣取った。
「うん! 絶対大丈夫!」
「……分かった」
ヴァルさまが剣を半身に構える。
「……任せる」
ヴァルさまからの強い信頼の一言に、あたしの気持ちはさらに湧き立つ。
「さあ、行くよ! 頼むぞトリサちゃん!」
腰の大きなリボンを掴み、思いっきり引いた。
――バリッ、シュルルルルッ!
留められていたドレープ飾りが次々とほどけ、波打つ布が一気に伸びていく。
飾りだったはずのリボンとドレープが、その正体を現す。
それは、布帯――大きなサッシュ。
そこにカモミールカームをたっぷり染み込ませた。
あたしは左手にサッシュ、右手にシールドステッキを構え……
ヴァルさまの方へ向いて、片目を瞑りながら一言。
「ちゃんとあたしに……合わせてね?」
「……? ああ、分かった」
頷いたヴァルさまの返事に大満足。
そして、正面を向き直したあたしは……
高らかに口上を謳った!
「あたしたちの恋路を邪魔する奴は!」
「…………う、馬に蹴られて飛んで行け!」
「二人の仲を切り裂く者は!」
「……誰であろうと叩き斬る!」
「二人の瞳が輝く時は!」
「……揺るがぬ絆を、力に変えて」
「くらえっ! 夫婦の一撃!」
「……愛の」
「「アンサンブルアタックッ!!」」
ギルトハルトさんがあたし達に気づき、真っ直ぐに突進してくる!
「ゼォファル、ドっ……う、うおおおおおぁぁーーーっ!!!」
それに合わせ、あたし自身も前に出る!
「いくよ!」
左手のサッシュを、ステッキの先へと引っ掛ける。
そのまま相手の方へ突き出して……
「ウインドっ!」
風にはためき、飾り布のサッシュが宙を舞う。
「くらえっ! 舞踏会限定とっておき! ハグハグドレープ!」
留め糸が弾ける。
サッシュは大きな帆のように広がり、ギルトハルトさんの顔を上半身ごと覆い尽くす。
「む!! むぐぅぉおおおおーーっ!!!」
必死に剥がそうと布を掴み、右往左往と暴れまわる。
「接着素材だよ! 簡単には取れない!」
「むぐぁぁあぁあああーーっ!!!」
激しくもがき苦しむギルトハルトさん。
やがて、顔を覆う布から濃いカモミールを吸い込んだためか、ギルトハルトさんの動きが徐々に鈍くなっていく。
「今だよっ! ヴァルさま!」
あたしが叫ぶ一瞬前に、すでにヴァルさまは無言で踏み込んでいた。
煌めく銀の剣閃。
一瞬のうちに、変貌して膨れ上がったギルトハルトさんの両腕と太ももを、浅く切り裂いていた。
「むがっ……!」
ギルトハルトさんの異形の巨体が膝をつく。
銀の光がもう一度走り、顔のサッシュが真っ二つに裂けた。
「……終わりだ、ギルトハルト」
ヴァルさまは、大股に一歩で間合いを潰す。
露わになった顎へ、鋭い膝蹴りが突き上がる。
――ゴッ!!
鈍い骨の音。
巨大な異形の身体が、ものすごい速度で後方へと吹き飛ぶ。
一度。
二度。
床を跳ねるたび、重い振動が辺りを揺るがす。
最後はゴロゴロと転がって滑り、その巨体はようやく止まった。
「…………」
誰も、声を出さなかった。
さっきまでの、潰されるような重い威圧感もない。
耳を塞ぎたくなるような雄叫びも聞こえない。
静寂の中、切り裂かれたサッシュがひらひらと舞った。
それを、ヴァルさまがふいに掴み取る。
仰向けに倒れているギルトハルトさん。
白目を剥き、完全に意識を失っていた。
「……一撃、か」
誰かの呟きが聞こえた気がした。
そんな声に気にする事なく、あたしは急いでヴァルさまに駆け寄った。
気づいたヴァルさまがこちらを向く。
片手を高く掲げるあたし。
その意図に気づいたヴァルさま。
何かを迷うように一拍。
それでも、照れくさそうな顔をしながら、あたしと同様に手を上げる。
あたしはきっと満面の笑みのまま、その手に向かって……
「イエーーーイッ!!」
「……ああ」
ぱんっ、と二人の手が重なった。
勝利のハイタッチ!
えへへ……やったね!


