「やだ、やだ、やだ!」
「……落ち着け!」
「やだっ! 離して!」
ヴァルさまの言葉を聞きたくない。
言ってしまった。
全部、全部言ってしまった。
知られたくない事、聞かれたくない事。
なにもかも全部言ってしまった。
「どうせ幻滅したんでしょ!」
「何を言う!?」
「ヴァルさまばっかり責めたてて……臆病で、卑怯で、自分勝手なあたしに幻滅したんでしょ!」
早く。
早く、嫌いになって。
「キミが勝手に言っている事だろう! 私はそんな事は思っていないっ!!」
「ウソだ! 早く嫌いになってよ! あたしに期待……させないでよ!」
ヴァルさまを突き放そうと、腕を突っ張るたびに胸が痛くなる。
自分が何を言ってるのかも、何をやってるのかもよく分からない。
あたしの心はぐちゃぐちゃだった。
「話を聞けっ! ハルネ!」
ヴァルさまがあたしの両腕を捕える。
腕を突っ張れなくなった代わりに、今度は身体を捩って暴れた。
「離してよ! ほっといてよ! 早く言ってよ! デブなあたしに好かれて迷惑だって言ってよ! 醜いあたしなんて結構だって言ってよ! あたしが嫌いなあたしをハッキリ嫌いって……んんむぅ~~~っ!!」
柔らかい感触。
何が起こったのか分からなかった。
突然目の前に迫ったヴァルさまのお顔。
あまりの衝撃に、頭が真っ白になった。
今、何をしていたのかも忘れて固まった。
息を呑んだまま、身動き一つ出来ない。
跳ねまわっていた感情が、ぴたりと足を止めた。
やがて、触れていた熱がゆっくりと離れる。
「……はぁっ」
「…………」
苦しさから一息。
すぐに、今起こった何かを確かめるように唇を指でなぞった。
唇に残った熱が妙に鮮明で、なぜだか涙が出そうになった。
「な、な、な……」
段々と処理が追いつく。
遅れて顔が熱くなる。 頬が熱くなる。 耳も熱くなった。
両腕は、もう離してくれていた。
でも、ヴァルさまが、フイっと視線を逸らした。
その仕草が、なんだかカチンと来た。
「い、いきなり、何すんのさっ!」
「…………すまない」
「すまないじゃないよっ!」
「では、私はどうすればよかったんだ!!」
「ひくっ……」
急に叫んだヴァルさまに、言葉が引っ込んだ。
「何を言っても届かない! 何を否定しても、自分を傷つける言葉ばかり!!」
「あぅ……」
「……私だって……どうすれば良いのか、分からないんだ」
「ううぅ……でも! だからって……初めてだったのにぃ!」
「……」
黙ってしまったヴァルさまに、怒りが再燃する。
「う、うぐぐぐっ……ヴァルさまの、バカっ!」
叫んだ勢いのまま、胸を叩こうとした拳が腕ごと掴まれた。
また、逃げられなくなった。
「バカっ! アホっ!」
せめて罵倒をぶつける。
「……ああ」
「へ、変態っ!」
「……否定はせん。 無理やり奪ってしまった。 罵倒ならば、あとでいくらでも聞く」
「ひ、開き直るなよぅ……!」
あたしは、すっかり勢いをなくしてしまった。
「…………」
「…………」
沈黙。
なぜか、お互いに黙ってしまった。
静寂が痛い。
なんでヴァルさまは何も言わないのよ。
何か言わなきゃ……でも、何を言えば?
こうやって迷った時、あたしはいつも何をしてたっけ?
そうだ。 相手の……色を、視て……
「……なぁ、ハルネ」
「……っ!」
なぜだか、急に怖くなった。
ヴァルさまの声に、今考えていたものが霧散する。
パニックがぶり返し、足が勝手にヴァルさまと反対方向へと向かい出す。
「待てっ! 逃がさんっ!」
後ろから、ぎゅっと抱きとめられた。
背後から回された腕に、再び心臓が慌ただしく脈打つ。
また……逃げられなかった。
「……私の話を、聞いてくれ……」
耳元でささやくヴァルさまの声。
それは、今まででいちばん弱々しく聞こえた。
「……同じ、なんだ」
「……へっ?」
思わぬ言葉に、素っ頓狂な声が漏れ出た。
「……私は、守るだけでいたかった。 キミを求めるなど……あってはならないと思っていた」
あたしを、求める?
「……ハルネ。 いつかキミは言ったな。 「エモパレで自分は視れない」、と」
「……うん」
そうだ。
エモパレで自分を視ても、何も映らない。浮かんでこない。
自分の感情だけは、視れない。
「……その通りだった。 私は、自分の感情が一番わからなかった」
あたしを抱く腕の力が強くなった。
まるでしがみつくように。
なぜだかそうしたくなって……
あたしはその腕に、そっと自分の手を重ねた。
「……キミが、選ばれることを怖がったように、私も……キミを選ぶ事が、怖くてたまらなかった」
「…………」
「……失いたくない。 こんなに焦がれたのは初めてだった。 初めてゆえに……どうしたらいいか分からなかった」
「……うん」
ヴァルさまの腕を、そっとさする。
その腕がわずかに強張った。
あたしを抱く力は、どんどん増していった。
「……私は、驕っていた。 キミを守るなどと保護者を気取り……上の立場でいる事で、安心したかった」
「……ヴァルさまは、あたしをたくさん守ってくれたよ?」
「違うっ! 守られているのは……私の方だった! 今も、こうやって……キミの優しさに守られている……っ!」
密着した背中から、震えが伝わってきた。
ヴァルさま……
「思えば、幾度も、キミは私を守ってくれた。 魔眼に怯えたあの夜も、感情に飲まれた先ほども、いつだってキミは、私を包み、照らしてくれた。 …………すまないっ!!」
「え?」
「……すまないっ! 本当にすまない! 何度もキミは守ってくれたのに……私は、キミを傷つけ、奪い、怯えさせっ……気持ちを言葉にするのさえ、キミに、言わせてしまった……っ!」
ヴァルさまの声には、いつもの冷静さがなかった。
それだけ必死で、本音なんだと、伝わってきた。
「……悔しいっ、情けない! ……だがな、私は、こんなにもキミを傷つけてなお、キミが欲しいんだ」
欲しい……本当に?
「……ハルネ。 私はな、自分のような男が、キミを幸せに出来るはずが無いと思っている。 今もだ」
「そんなことないよ……」
少なくともあたしは、ヴァルさまを想うのは、苦しかったけれど……
間違いなく幸せでもあった。
「……そうか。 ならばハルネ。 臆病で意気地のない私に……キミの勇気を分けてくれ」
あたしを抱いていた腕がほどけ、背中から温もりが離れた。
次の瞬間には、ヴァルさまがもう目の前にいた。
少しだけ膝を折って、あたしと同じ高さまで目線を下ろした。
いつも見上げていた琥珀色が、今はまっすぐに、目の前にある。
もう…………逃げられない。
「……選ぶという事は、”約束”する事」
ヴァルさまがあたしの手を取り、その甲へ静かに口づける。
「……ハルネ、キミを愛している。 だが、私ではキミを、幸せに出来ないかもしれん」
ここに及んでなお、前向きに言い切ってくれない。
それが、とってもヴァルさまらしいと思った。
「……だから」
手の甲から離れたその手が、今度はあたしへと差し出される。
指先は、ほんのわずかに震えていた。
「キミを不幸にするかもしれない道を、一緒に歩んでくれないか。 ……本当の、妻として」
琥珀色の二つの瞳が、答えを待つように、かすかに揺れていた。
「キミと、”約束”をさせてくれ」
妻。
その言葉を聞いて、胸がいっぱいになった。
仮、じゃない。
本当の、本物の奥さん。
嬉しい……嬉しい!
今度は、勘違いじゃない!
勢いのままに。
ヴァルさまの手を取りかけて。
止まった。
嬉しい。
涙が出そうなほどに。
だってやっと、選んでくれて。
あたしをただ一人と、選んでくれて。
この手を取れば、それが叶う。
……………………本当に?
本当に、叶うの?
ずっとずっと欲しかったもの。
二度の人生を通じて、やっとやっと手に入りそうなモノ。
嬉しいのに……
欲しいのに……!
この手を取れば叶うのにっ!!
あたしを縛っていたモノが、邪魔をする。
ほら見なさいよ、と。
ぽっちゃりで。
泣き虫で。
うるさくて。
臆病な。
そんなあたしで……
「うぅ……」
ヴァルさまがっ……
好きって……愛してるって言ってくれたのに。
約束しようって……言ってくれてるのにっ……!!
「はぁ……はぁ……」
上手く息が出来なくなる。
胸が、苦しくて、痛くなる。
「信じたい……信じたい……信じたい……!」
早く手を取れ。
とっちゃえばいいんだ!
信じられるのに!
何度もヴァルさまの手を取ってきたのに……っ!
なんで、今……こんな時に……あたしの手は……
動かないのさ……っ!
「ご、ごめんなさい……」
断りたいわけじゃない。
信じたい気持ちでいっぱいなのに。
どうしても…………
「こ、怖いの……っ!」
裏切られるのが?
この幸せが、いつかなくなるのが?
わかんない。 わかんない。 わかんない。
「ごめんなさい……ごめんなさいぃ…………」
「…………」
ヴァルさまの顔が見られなくて、あたしは顔を下に伏せる。
そうすると罪悪感で、もっと胸がいっぱいになる。
……ふと、あたしの手が何かに包まれた。
人肌。
ヴァルさまは白い手袋を外し、
両手であたしの手を包んでくれた。
優しく、そっと。
仕草だけで、ヴァルさまの愛情がたくさん伝わって来た。
「……気づいていたよ」
ヴァルさまのその言葉が、何を意味しているのか、分からなかった。
「……ハルネ。 私を視ろ。 感情の色を」
「……え?」
「これも、キミが教えてくれた。 良くも悪くも、我々の絆が教えてくれる」
「…………」
「……お揃い、なんだろう?」
ヴァルさまの左手の指が、あたしの指に絡んで、ぎゅっと握られた。
「……大丈夫だ、ハルネ。 怖くない」
――怖くない。
なんだかその言葉が、ちょっぴり懐かしかった。
「……目を、閉じて」
言われるがまま、ぎゅっと目を瞑った。
――気づいていたよ。
そうだ。
あたしは……確かめてしまうのが怖くて、一度も、視ようとは……
「……さあ、ルネ。 目を開けて。 何が視える? キミの瞳には、何色が映っている?」
……「ルネ」
その言葉が、じんわりと胸に広がって。
ヴァルさまの低くて、あったかい声に、誘われて。
あたしは、ゆっくりゆっくり、目を開ける。
そこに映っていたのは――
「ああ……」
滲んでいた涙が、ぶわっと溢れた。
そう、最初から知っていた。
知っていたのに、初めて視た、その色は……
「とっても……キレイな……桜の、春の色、だよぉ……っ!」
ああ……今、分かった。
あたしは、この色を視るために、エモパレを持って生まれたんだ。
ヴァルさまの――あたしを想う心が。
誠実さが。
一途な感情が。
陽だまりのようなあたたかさを持って、全身に流れ込んでくる。
絡められた指を、今度はあたしからぎゅっと握り返す。
すぐに、ヴァルさまの大きな身体が、ふわりとあたしを包んでくれた。
こんな……こんな簡単な答えを、ずっとずっと見ないふりしてた。
ごめんなさい。 ごめんなさい! ヴァルさま、ごめんなさい!
「う、うええぇぇっ……ほ、本当に……本当にあたしでいいの? あたしを選んでくれるの……?」
「ああ、私は、キミがいい。 ハルネがいいんだ」
「あ、あたしも! あたしもヴァルさまがイイの!」
涙も鼻水も止まらなくて、鏡を見ればきっとひどい顔。
でも今は、隠したいとは思わなかった。
嬉しくて。 やっと叶って。 心がいっぱいで。
「不幸な道、なんて……ふふっ。 ヴァルさまは、あたしが幸せにしてあげるんだから!」
「ふっ……やはりキミは、頼もしいな。 ……よろしく頼む」
「うん! えへへ……」
あたしを選んでくれたヴァルさまへのお返しの笑顔は……
涙と鼻水でぐちゃぐちゃで。
ほっぺも顔も引き攣って。
きっと可愛くないけれど。
……ううん、それでも、ヴァルさまなら。
ヴァルさまの目に映るあたしなら。
こんな、ぶさいくな笑顔だって、
ぽっちゃりなあたしだって、
ちょっとくらいは、可愛いのかもしれないって思えた。
「ヴァルさま……大好きっ!」
背伸びをして、
今度は、あたしの方から「好き」を押し付けた。


