南街から中央街へ向かう大通り。
貴族向けの商店や邸宅区画に差しかかる、ちょうど入り口の角。
磨かれた真新しい看板が、最近出来た店だという事を示している。
――高級リストランテ「ペルディーノ」
入り口の重厚な扉は、外界との音をそこで断ち切る。
扉の内側に広がるのは、南街の賑わいとは明らかに異なる、上質で静かな空間。
貴族の隠れ家――そんな印象を抱かせる店だった。
―――――――
オジさまからのデートのお誘い?を快諾したあたしは、一度、香房へと戻った。
夜に迎えに来てくれるという。
お迎え……待ち合わせ……
その言葉だけで、胸の奥がぽわぽわして落ち着かなくなった。
だけれど、浮かれてばかりもいられない。
まずはシャリエナと作戦会議だ。
「お姉ちゃん、すぐ、わたしに相談するよね。 そういうの」
「いいじゃないのさ! 手伝ってよ!」
部屋で余所行き用の服をひっくり返し、アレがいいだのコレがいいだのシャリエナと相談した。
選んだのは、春らしい薄ピンクの、シンプルなAラインドレス。
シャリエナの提案で、胸下に大きなシルクのリボンをつけることにした。
いつも着けてる前髪の桜ブローチも外し、細いカチューシャで前髪を上げる。
髪もいつもより丁寧に梳かし、綺麗に下ろす事にした。
シャリエナにOKを貰い、鏡の前で何度も確認する。
うん、あたしがいつも通りふくふくしている以外は……大丈夫! たぶん……
緊張を解そうと、鏡の前でほっぺをうにうにしていたりしたら、いつの間にか待ち合わせの時間になっていた。
香房の入り口に佇むオジさまを見て、まず思ったのは――制服じゃない。
そこには、私服姿のオジさまが立っていた。
ハイネックのシャツにロング丈のジャケット、それに細身のパンツ。
全体をダークトーンで固め、一目で仕立てが良い物だという事は分かる。
飾り気があまり無いのもオジさまらしかった。
首元は少しさびしい感じはする。
けれど、そこからのぞく喉仏が、男性を強く意識させた。
めちゃめちゃ渋くてカッコイイ……
噛み締め過ぎて、思わず顔を伏せてしまった。
はぁ~~……ヤバい。
再び顔を上げ、オジさまを見る。
はぁ~~~~~~……ヤバい。
さっき鏡の前でうにうにしていたほっぺが引き攣る。
また顔を伏せ、堪える。
だ、ダメだ、ニヤけちゃダメだ。
手に持った小さな手鞄を握る手に力が入った。
握りこんだ自分の手に気がついて、我に返った。
……こんなステキなオジさまに、あたしが並んでも大丈夫なの?
あたしなんかが……
「……似合っている」
えっ?
理解が及ぶ前に、嬉しさが先に跳ねた。
オジさまの顔を見ると、目が合った。
その琥珀色の瞳に見惚れていると、ふいに視線が横へ逸れた。
その仕草がなんだかオジさまの照れくささに見えて、胸がじんわりと温かくなった。
「ふふ……」
思わず笑みが浮かんだ。
顔をのぞかせかけていた劣等感は、いつの間にか奥へと引っ込んでいた。
……………
「今日はお泊りでも構わないからね、お姉ちゃん」
「ばっ……! アンタ! 何言うのさ!」
「……必ず送り届ける」
シャリエナのからかうようなセリフを、オジさまは特に意に介さなかったようだ。
「……食事だけなので、そう遅い時間にはならないはずだ」
手配してくれた馬車での道中、オジさまは真摯にそう言った。
さきほどのシャリエナの言葉の裏の意味を、何も受け取らなかったらしい。
……そういう所も、オジさまらしくてちょっと安心した。
そうだよね。
あんまりそういう事は考えず、今日は楽しもう。
だって……ずっと行きたかったし!
庶民の耳に届くほど話題の、貴族向け高級レストラン。
一体どんなお味なのか、本当に楽しみ!
気づけば、楽しみ過ぎてふんふんと鼻唄が零れていた。
オジさまはそんなあたしを茶化しもせず、柔らかい表情で見つめていた。
……………
ご機嫌だったあたしのルンルンは、すぐに引っ込んだ。
明らかにお金が掛かっているであろう入り口の重厚な扉を見た時に、そういう予感はしていた。
高級リストランテ「ペルディーノ」は、まさしく貴族向けのレストランだった。
入るとすぐに、外の喧騒が遠のいた。
店内の静けさとのギャップに耳が少し痛くなった。
中は少し暗く、天井が低いながらも空間は広い。
一席一席の区画が大きく取られているみたいだった。
カチコチに緊張していたあたし。
それに気付いたオジさまは、優しくあたしの背中に手を当てて、
「……大丈夫だ」
と、言ってくれた。
予約してあったのは本当のようで、スムーズに席へと案内される。
テーブルが大きく、座席も椅子ではなくソファ。
なので、オジさまとは真正面でなく、少し角度をつけて向かい合う。
ちょっとみっともないと思いつつも、改めて周りを見渡してみる。
各席の様子は、光の具合であまりよく見えない。
あたしたちが座っている席も、低めの衝立があって、隣の席とはそこそこ距離がある。
「ここは商談や密談でも使われる」
きょろきょろしていたあたしの疑問に、オジさまが答えてくれた。
なるほど。
聞こえるのは食器の触れ合う微かな音。
会話の輪郭は聞こえるが、言葉の中身までは分からない。
密談に都合が良いというのには納得した。
他の席にいる人も見えづらいしね。
……うーん、でも、エモパレを使えば視えそうな気はする。
感情色が暗闇も透かすのは、ヒョロキモと戦った時でも確認済み。
「……ハルネ嬢」
思わず眼を意識してエモパレを発動したのを、オジさまは見逃さなかった。
「ごめんなさい」
はい、すいません。 みっともない真似でした。
恥ずかしい気持ちも湧いたけど、オジさまに注意されたのが妙に嬉しかった。
えへへ……怒られちった!
「オジさまは実は来た事あったり? このお店」
「……少し前に一度だけ。 その時は仕事も兼ねていたが」
オジさまと会話をしていると、ウェイターがメニューリストと、カゴを置いていった。
カゴには数種類の焼き立てパンが盛られていて、香ばしい匂いがお腹を刺激する。
「……そのパンは自由に取って構わない。 ……と、言うまでもなかったか」
「ひははひ、いへまふ(いただき、いてます)」
今世最速の「いただきます」からの「いただいてます」コンボが決まってしまった。
今日は、楽しみ過ぎて、お昼も抜いてオヤツも抜いてきたんだ。
あんな食欲をそそる匂いに、あたしが我慢できるはずがない。
白いロールパン、ハーブを練り込んだフォカッチャ風のパン。
特にこのオレンジピールの入ったパンが、とっても好みだった。
ああ……美味しいよぅ。
っていうか、もう素材から……小麦粉から違う。
焼き立てだからサクサクでカリカリで、もう……
「むぐっ!」
「ああ、ほら、水だ」
オジさまから渡されたお水を、んぐんぐと飲み込んで一息。
お水までクオリティが高い。 あ~~、美味しい。
ほぅ、と一息ついたところで、がっついていた自分にやっと気付いた。
「あぅ……ごめんなさい。 あまりにも美味しそうだったから……」
異性の前で、よりにもよってオジさまの前で……
お腹を空かせた子供かよぅ。 うう~。
「気にすることは無い。 好きなだけ食べるといい」
「でも……」
「……お詫びとお礼を兼ねているのだから、キミが喜んでくれるのなら本望だ」
シュンとしていたあたしに、オジさまの気持ちが優しく染みる。
「……それに………いや」
「なに? オジさま。 言いかけたなら言ってよ」
少しだけ言い淀んだオジさまに、すかさず聞き返す。
「…………キミが美味そうに食べている姿は、私にとっても心地よいのだ」
「へ?」
「……だから、私のためにも、たくさん食べてくれ」
――ぼっ!
あたしは一瞬で、顔が熱くなった。
え? え!?
それどういう意味? どういう意味!?
いや、分かる。 分かるよ。
つまりオジさまは、遠慮なんかしないで、いっぱい食べなさいねって気遣ってくれたのであって……
……あ、あはははっ!
も、もういいや! 考えない! 開き直る!
「じ、じゃあ、おかわり! このパン! 美味しいの!」
なぜか、幼児のように片言になってしまった。
オジさまは黙ってウェイターを呼び、パンの追加を頼んでくれた。
そうよ!
楽しみだったんだもの! 来たかったんだもの!
いっぱい食べなきゃ損よ!!
もう、開き直るしかないじゃないのさ!
そんな言い訳じみた気持ちは、料理の美味しさにすぐにどっかへ飛んでった。
前菜の温野菜のオリーブオイル掛けの素材の良さに感心。
コーンスープの濃厚さに感動。
そして、待ちに待った……
焦がしバターの香りが、鉄板の熱に乗ってふわりと立ちのぼる。
見ているだけで世界が幸せになれる、奇跡のお肉。
ナイフとフォークを握りしめ、まずはじっくりと目で楽しむんだ、と、よだれを溜めていると……
ふと、あたし自身にも視線を感じた。
「…………」
オジさまが、じっとこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「……いや」
それだけ言って、オジさまはグラスの方へ手を付ける。
よく分かんないけどいいや。 食べよう。
じゅうじゅうと音を立てるフィレステーキへ、ナイフを差し込む。
「なんだこれは!」
「……」
思わず大きな声が出てしまったが、スッと刃が通る感触そのものに感動してしまった。
一口大に切ったお肉を、辛抱たまらんとばかりにお口へ放り込む。
いただきます!
「……んむっ。 ……ふぁぁっ!」
「…………」
熱くしっとりとした塊が、舌の上で優しくほどける。
筋っぽさや硬さは一切感じない。
あまりの柔らかさ、そして焦がしバターとのハーモニーに、頭がとろーんと溶けてしまいそうだった。
著名なグルメ評論家のハルネちゃんさんは今日で廃業だ。
こんなに美味しいモノがこの世にあるなんて……評論なんかやってられっか!
脳内食レポすら放り投げ。
大きな舌鼓を打つ頃には、緊張なんかどこそこへ。
とにかく美味しくて、嬉しくて、幸せで……
あたしは最高のひとときを堪能したのだった。
そんなあたしを優しく見守るオジさまの目線には、
気づかなかったけれど。

