あれは、サフラン香房が襲われた日……
お姉ちゃんが懸命にわたしを守ってくれて、ヴァルグレイさんが犯人をやっつけてくれた。
でも、あんな薬の影響を受けた人が、あちこち出たらイヤだな、怖いなって、ずっと思ってた。
ところがその後さっぱりと、事件らしい事件は何も起きなかった。
あれは、作戦会議の日……
「……使うための”舞台”が用意された」
ヴァルグレイさんがそう言った時、わたしはピンときた。
ある時、お姉ちゃんがイベントセールを企画していた時に、商品の一部を取り置いているのに気が付いた。
それをお姉ちゃんに聞いてみると、
「ふっふっふ……来たるべきセールの”舞台”を整えているのよ」
なぜだか悪そうな顔でそう言っていたのを思い出した。
もしかして、あんな怖い事件が今まで全く無かったのは――あとで大量に使うため?
舞踏会の日、お姉ちゃんはドレスだ。
わたしが香房武器とかをいっぱい持っていけば、手助けになるんじゃない?
そう思ったわたしは、レルガさんに相談して、衣装とワゴンを用意してもらった。
そして、昨夜のこと……
夜通しでお姉ちゃんと一緒に、カモミールを濃縮したお薬をいっぱい作った。
「本当に効くかは分かんない。 でも、用意はしておかないとね!」
……お姉ちゃんはそう言ったけれど。
こんなに必死になって作ってるお姉ちゃんの薬が、効かないはずがない。
わたしは、そう思った。
「もし効いたら、この量じゃ足りないんじゃない?」
「その時はその時よ。 濃縮だけだから簡単には作れるけれど……どっちにせよ、香房にある材料分でしか作れないしね」
……足りない。
絶対、足りないよ。
作業している時も、なんだかずっと楽しそうだったお姉ちゃん。
そんなに舞踏会が楽しみなのかな?
その笑顔に、水を差せなかった。
だから……
舞踏会当日。
朝、お姉ちゃんが着付けの準備に調査局へ向かった後、わたしはリゼラっちの農場へ走った。
足りない材料を求めて……
お姉ちゃんにできない分は……わたしが、やるんだ!
―――――――
「これ、全部カモミールカーム!?」
シャリエナが、ワゴンに積んでいた大きな布袋の口を開く。
中には、見覚えのある小瓶がびっしりと詰め込まれていた。
「そうだよ。 お姉ちゃんの作った分だけじゃ足りないと思って、追加で作ったの」
「シャリエナがアタシの農場に来た時は驚いたよ。 「ありったけのカモミール頂戴!」って。 薬を作るのまで手伝わされてさ」
燭台を肩に担いだリゼラちゃん。
メイド姿にしては勇ましいが、長物を振り回す姿は何故か似合っていた。
リゼラちゃんもシャリエナも、揃って可愛らしいメイドさん姿。
あたしはその姿を見て、なんだか張りつめていたものが、一気に解けた気がした。
ヴァルさまにも頼れなくて、もうダメだって思って……
そんなあたしの目の前に、最高のおみやげ付きで、助けに飛び込んできてくれた。
安心した。 嬉しかった。
いろんな気持ちが込み上げてきて、目元がじんわり熱くなった。
「ごめんねお姉ちゃん。 ギリギリまで作ってたから遅くなっちゃった。 レルガさんに聞いたけど、やっぱりお薬は効いたんだね!」
二人からは、しっかりとカモミールの香りがした。
こんな危ない場所に妹を連れてくる手配をしたレルガさんに、ちょっと思うところはあった。
けれど、そんなのは後回しだ。
これだけの量があれば、なんとかなるかもしれない!
「肝心のレルガさんは? 調査局の人たちにも渡さないと!」
ノクスミアがまだ充満している一階のホール。
平常でいられる手段は、今のところ、このカモミールカームしかない。
燭台を肩に担いだリゼラちゃんが、ホールの奥を顎で示した。
「そのレルガさんって人も、すぐにこれが対抗手段って気づいたみたい。 何本か持っていったよ。 本隊と合流するって」
よしよしよしっ!
良い流れになってきたじゃないのさ!
ああ、もう……なんて頼りになる妹と親友なんだ!
「き、貴様らそこで何をしているっ!?」
声を聞きつけたのか、いつのまにか衛兵の一人があたし達に近寄っていた。
「シャリエナっ!」
「あいさっ!」
シャリエナが布袋から小瓶を取り出し、自慢の投擲術が火を噴いた。
見事に衛兵の顔に命中する。
「ぐわっ! なんだこの液体はっ!? …………な、オ、オレは、何を……?」
正気を取り戻した衛兵が、今の状況に混乱して立ちすくむ。
「なにしてんの衛兵さん! 事件だよ! お客さまを避難させて!」
「えっ? あっ?」
「衛兵なんでしょ! お客さまを守るの! このままじゃケガ人がたくさんでちゃうよ!」
「は、はいっ! 分かりました!」
彼は驚くほど素直に踵を返した。
「やるじゃないかハルネ! でも、なんであんなに素直に言うことを聞いたの?」
「さっきから考えてたんだ。 こんな罠、絶対に誰も望んでない。 衛兵さんたちも、きっと知らされてないよ」
今はノクスミアの影響下にあるから、命令に従わなきゃって感情に振り回されてしまっている。
少しでも冷静になれば、避難を優先するに違いない、と思った。
「これならカームで一階は立て直せるかも! シャリエナとゼラちゃんはこのまま避難誘導をお願い!」
「ああ、分かった!」
「ホールの入り口に、金髪のルシアン侯爵令息さまがいたと思うの。 合流して、お客さんをカームで正気に戻しながら、避難を手伝ってあげて!」
「お姉ちゃんはどうするの?」
「あたしは……」
少しだけ薄くなってきた薄紫色の霧。
吹き抜けホールの二階の回廊。
手すりの影から、白いドレスの影が見えた。
「あたしは……リセリーナさんを止めに行く!」
カモミールカームが使えるとは言っても、このまま何も起こらないはずがない。
もし、もう一度ノクスミアの霧トラップが発動したら、これだけあっても足りなくなる。
そうなったらもうおしまいだ。
その前に、あたしが彼女を、止めるんだ!
「待ってお姉ちゃん! これ持っていって!」
シャリエナが、こちらに何かを投げて渡してきた。
中央に葉っぱ型の小盾を備えた、見慣れた長杖。
ああ、もう……
さすエナ!
「ありがと! 頼んだよシャリエナ! ゼラちゃん!」
「まかしときな!」
「頑張ってね! お姉ちゃん!」
あたしは受け取ったリーフシールドステッキを握り直し、階段へと駆け出す。
ヴァルさまとギルトハルトさんは、変わらず互角の戦いを繰り広げている。
激しい剣戟が途切れた一瞬を狙い、あたしは階段へと駆け込んだ。
「……ハ、ハルネっ!」
「まかせてヴァルさま! あたしがリセリーナさんを止めてくる!」
敵についてしまったギルトハルトさん。
あの人間離れした強さを抑えられるのは、ヴァルさまだけだ。
だから……あたしが、なんとかするんだっ!
「余所見をするなゼオファルドォ!!」
「……ぐぅっ!」
鋼の打ち鳴らされる音を背中で聞きながら、
振り返ることなく、あたしは階段を駆け上がっていった。
……………
長い階段を登るにつれ、薄紫色の霧が徐々に晴れていく。
二階の回廊へ足を踏み入れる頃には、すっかり霧を抜けていた。
下の喧騒が嘘みたいに、人の気配を感じなかった。
右手へ進むと、ほどなく二つの人影が見えた。
一人は、手すりに手をつき、じっと階下を見下ろす白銀の女性。
その少し奥には、上等な礼装に身を包んだ、ふくよかな男性が立っていた。
男性は虚ろな目を伏せ、何を見ているのか分からない。
一方の女性は、場違いなほど優しく穏やかに微笑んでいた。
こちらに気付いた彼女が、あたしにゆっくりと視線を移す。
「最初にこちらに辿り着くのは」
真っ赤なルビーの瞳が、真っ直ぐにあたしを射抜く。
「アナタだと思っていました。 ハルネさん」
――享楽のマリーゴールドオレンジが、彼女を包んでいる。
「アレンジを加えたんですね。 今日のドレスも、可愛らしくてとってもステキよ」
あたしのドレスを示すように、左手を優雅に広げる。
感情色は、微塵も揺らがない。
「……ありがとう。 リセリーナさんのドレスも、白銀に輝いていて、とってもキレイ」
階下からは純白に見えたドレスは、近くで見ればプラチナ色に煌めいていた。
厳かで、聖女然とした彼女に、とてもよく似合っている。
あたしは、落ち着き払っている彼女へ、リーフシールドステッキを突きつけた。
「……もう、何もさせないよ。 リセリーナさん」
彼女は全く動じない。
逆に、後ろにいるアルテノット男爵は、恐怖と悔恨の感情色に染まり、分かりやすく動揺している。
「ウフフ……面白そうな武器を持っていますね」
リセリーナさんは、壁に向かって歩き出す。
おもむろに、壁に飾られていた細身のレイピアを手に取った。
装飾品に見えたその刃が、明かりを受けて鋭く光った。
「リ、リセリーナ……?」
アルテノット男爵の掠れた声が聞こえた。
……けれど、それどころじゃない。
え?
ちょっと待って?
彼女は、手に持ったレイピアをひゅん、と軽く空を薙いだ。
「ハルネさん。 わたくしと一曲……」
そのまま、優雅に胸の前に細剣を構える。
「踊りましょうか」
その言葉が終わるより早く、銀色の切っ先が、あたしの胸元へ走った。
~ 第7章 ―完― ~


