【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―



 あれは、サフラン香房が襲われた日……

 お姉ちゃんが懸命にわたしを守ってくれて、ヴァルグレイさんが犯人をやっつけてくれた。
 でも、あんな薬の影響を受けた人が、あちこち出たらイヤだな、怖いなって、ずっと思ってた。
 ところがその後さっぱりと、事件らしい事件は何も起きなかった。

 あれは、作戦会議の日……

「……使うための”舞台”が用意された」
 ヴァルグレイさんがそう言った時、わたしはピンときた。

 ある時、お姉ちゃんがイベントセールを企画していた時に、商品の一部を取り置いているのに気が付いた。
 それをお姉ちゃんに聞いてみると、

「ふっふっふ……来たるべきセールの”舞台”を整えているのよ」
 なぜだか悪そうな顔でそう言っていたのを思い出した。


 もしかして、あんな怖い事件が今まで全く無かったのは――あとで大量に使うため?


 舞踏会の日、お姉ちゃんはドレスだ。
 わたしが香房武器とかをいっぱい持っていけば、手助けになるんじゃない?

 そう思ったわたしは、レルガさんに相談して、衣装とワゴンを用意してもらった。


 そして、昨夜のこと……

 夜通しでお姉ちゃんと一緒に、カモミールを濃縮したお薬をいっぱい作った。

「本当に効くかは分かんない。 でも、用意はしておかないとね!」

 ……お姉ちゃんはそう言ったけれど。

 こんなに必死になって作ってるお姉ちゃんの薬が、効かないはずがない。
 わたしは、そう思った。

「もし効いたら、この量じゃ足りないんじゃない?」
「その時はその時よ。 濃縮だけだから簡単には作れるけれど……どっちにせよ、香房にある材料分でしか作れないしね」

 ……足りない。
 絶対、足りないよ。

 作業している時も、なんだかずっと楽しそうだったお姉ちゃん。
 そんなに舞踏会が楽しみなのかな?
 その笑顔に、水を差せなかった。
 だから……

 舞踏会当日。

 朝、お姉ちゃんが着付けの準備に調査局へ向かった後、わたしはリゼラっちの農場へ走った。
 足りない材料を求めて……

 お姉ちゃんにできない分は……わたしが、やるんだ!



―――――――



「これ、全部カモミールカーム!?」

 シャリエナが、ワゴンに積んでいた大きな布袋の口を開く。
 中には、見覚えのある小瓶がびっしりと詰め込まれていた。

「そうだよ。 お姉ちゃんの作った分だけじゃ足りないと思って、追加で作ったの」
「シャリエナがアタシの農場に来た時は驚いたよ。 「ありったけのカモミール頂戴!」って。 薬を作るのまで手伝わされてさ」

 燭台を肩に担いだリゼラちゃん。
 メイド姿にしては勇ましいが、長物を振り回す姿は何故か似合っていた。

 リゼラちゃんもシャリエナも、揃って可愛らしいメイドさん姿。

 あたしはその姿を見て、なんだか張りつめていたものが、一気に解けた気がした。

 ヴァルさまにも頼れなくて、もうダメだって思って……
 そんなあたしの目の前に、最高のおみやげ付きで、助けに飛び込んできてくれた。

 安心した。 嬉しかった。
 いろんな気持ちが込み上げてきて、目元がじんわり熱くなった。

「ごめんねお姉ちゃん。 ギリギリまで作ってたから遅くなっちゃった。 レルガさんに聞いたけど、やっぱりお薬は効いたんだね!」

 二人からは、しっかりとカモミールの香りがした。
 こんな危ない場所に妹を連れてくる手配をしたレルガさんに、ちょっと思うところはあった。

 けれど、そんなのは後回しだ。
 これだけの量があれば、なんとかなるかもしれない!

「肝心のレルガさんは? 調査局の人たちにも渡さないと!」

 ノクスミアがまだ充満している一階のホール。
 平常でいられる手段は、今のところ、このカモミールカームしかない。

 燭台を肩に担いだリゼラちゃんが、ホールの奥を顎で示した。

「そのレルガさんって人も、すぐにこれが対抗手段って気づいたみたい。 何本か持っていったよ。 本隊と合流するって」

 よしよしよしっ!
 良い流れになってきたじゃないのさ!

 ああ、もう……なんて頼りになる妹と親友なんだ!

「き、貴様らそこで何をしているっ!?」

 声を聞きつけたのか、いつのまにか衛兵の一人があたし達に近寄っていた。

「シャリエナっ!」
「あいさっ!」

 シャリエナが布袋から小瓶を取り出し、自慢の投擲術が火を噴いた。

 見事に衛兵の顔に命中する。

「ぐわっ! なんだこの液体はっ!? …………な、オ、オレは、何を……?」

 正気を取り戻した衛兵が、今の状況に混乱して立ちすくむ。

「なにしてんの衛兵さん! 事件だよ! お客さまを避難させて!」
「えっ? あっ?」
「衛兵なんでしょ! お客さまを守るの! このままじゃケガ人がたくさんでちゃうよ!」
「は、はいっ! 分かりました!」

 彼は驚くほど素直に踵を返した。

「やるじゃないかハルネ! でも、なんであんなに素直に言うことを聞いたの?」
「さっきから考えてたんだ。 こんな罠、絶対に誰も望んでない。 衛兵さんたちも、きっと知らされてないよ」

 今はノクスミアの影響下にあるから、命令に従わなきゃって感情に振り回されてしまっている。
 少しでも冷静になれば、避難を優先するに違いない、と思った。

「これならカームで一階は立て直せるかも! シャリエナとゼラちゃんはこのまま避難誘導をお願い!」
「ああ、分かった!」
「ホールの入り口に、金髪のルシアン侯爵令息さまがいたと思うの。 合流して、お客さんをカームで正気に戻しながら、避難を手伝ってあげて!」
「お姉ちゃんはどうするの?」
「あたしは……」

 少しだけ薄くなってきた薄紫色の霧。

 吹き抜けホールの二階の回廊。
 手すりの影から、白いドレスの影が見えた。


「あたしは……リセリーナさんを止めに行く!」


 カモミールカームが使えるとは言っても、このまま何も起こらないはずがない。

 もし、もう一度ノクスミアの霧トラップが発動したら、これだけあっても足りなくなる。
 そうなったらもうおしまいだ。

 その前に、あたしが彼女を、止めるんだ!

「待ってお姉ちゃん! これ持っていって!」

 シャリエナが、こちらに何かを投げて渡してきた。
 中央に葉っぱ型の小盾を備えた、見慣れた長杖。

 ああ、もう……
 さすエナ!

「ありがと! 頼んだよシャリエナ! ゼラちゃん!」
「まかしときな!」
「頑張ってね! お姉ちゃん!」

 あたしは受け取ったリーフシールドステッキを握り直し、階段へと駆け出す。

 ヴァルさまとギルトハルトさんは、変わらず互角の戦いを繰り広げている。
 激しい剣戟が途切れた一瞬を狙い、あたしは階段へと駆け込んだ。

「……ハ、ハルネっ!」
「まかせてヴァルさま! あたしがリセリーナさんを止めてくる!」

 敵についてしまったギルトハルトさん。
 あの人間離れした強さを抑えられるのは、ヴァルさまだけだ。

 だから……あたしが、なんとかするんだっ!

「余所見をするなゼオファルドォ!!」
「……ぐぅっ!」

 鋼の打ち鳴らされる音を背中で聞きながら、
 振り返ることなく、あたしは階段を駆け上がっていった。


……………


 長い階段を登るにつれ、薄紫色の霧が徐々に晴れていく。

 二階の回廊へ足を踏み入れる頃には、すっかり霧を抜けていた。
 下の喧騒が嘘みたいに、人の気配を感じなかった。

 右手へ進むと、ほどなく二つの人影が見えた。

 一人は、手すりに手をつき、じっと階下を見下ろす白銀の女性。
 その少し奥には、上等な礼装に身を包んだ、ふくよかな男性が立っていた。

 男性は虚ろな目を伏せ、何を見ているのか分からない。
 一方の女性は、場違いなほど優しく穏やかに微笑んでいた。

 こちらに気付いた彼女が、あたしにゆっくりと視線を移す。


「最初にこちらに辿り着くのは」

 真っ赤なルビーの瞳が、真っ直ぐにあたしを射抜く。

「アナタだと思っていました。 ハルネさん」

――享楽のマリーゴールドオレンジが、彼女を包んでいる。

「アレンジを加えたんですね。 今日のドレスも、可愛らしくてとってもステキよ」

 あたしのドレスを示すように、左手を優雅に広げる。
 感情色は、微塵も揺らがない。

「……ありがとう。 リセリーナさんのドレスも、白銀に輝いていて、とってもキレイ」

 階下からは純白に見えたドレスは、近くで見ればプラチナ色に煌めいていた。
 厳かで、聖女然とした彼女に、とてもよく似合っている。

 あたしは、落ち着き払っている彼女へ、リーフシールドステッキを突きつけた。

「……もう、何もさせないよ。 リセリーナさん」

 彼女は全く動じない。
 逆に、後ろにいるアルテノット男爵は、恐怖と悔恨の感情色に染まり、分かりやすく動揺している。

「ウフフ……面白そうな武器を持っていますね」

 リセリーナさんは、壁に向かって歩き出す。

 おもむろに、壁に飾られていた細身のレイピアを手に取った。
 装飾品に見えたその刃が、明かりを受けて鋭く光った。

「リ、リセリーナ……?」

 アルテノット男爵の掠れた声が聞こえた。

 ……けれど、それどころじゃない。

 え?
 ちょっと待って?

 彼女は、手に持ったレイピアをひゅん、と軽く空を薙いだ。

「ハルネさん。 わたくしと一曲……」

 そのまま、優雅に胸の前に細剣を構える。


「踊りましょうか」


 その言葉が終わるより早く、銀色の切っ先が、あたしの胸元へ走った。



~ 第7章 ―完― ~