「突入できない?? なぜかね!?」
セーヴランの裏返った声が、夜の闇の中に響く。
「ノクスミアは、アタシたちが想定していたよりも、遥かに厄介な代物でした」
「むぅ、それほどの物か……?」
「ひとたび感情に飲まれてしまえば、まず命令系統は維持できません。 同士討ちの可能性すらあります」
セーヴラン局長の部隊へと合流を果たしたリオーネは、いかに危険な状況であるかを、冷静に告げる。
「玄関ホールにもまだノクスミアの霧が残っています。 まずはアレを完全に除去しない事には……」
「なるほどな……」
セーヴランは顎に手を当て、眉間に皺を寄せた。
「キミたちがこうして無事戻ってこれたのは、そのハルネくんの特効薬のおかげだろう? それを調達して来ることは可能だと思うかい?」
「無理……だと思います。 製法はハルネちゃんしか知らないし、彼女が持っている分も多くはないはず」
「ではキミの回復魔法はどうだい? 鎮静魔法(カーム)は使えたろう?」
「根本のノクスミアの霧を取り除かない事には、ほんの一瞬しか効果は無いと思います」
「むぅ……」
セーヴランの眉間の皺が深くなった。
淡々と答えているリオーネも、表情には苦々しい物が混じっている。
「……では、やはりノクスミアを取り除かねばならないな。 こういうのはどうだい? 風が使える術士にホールの霧を吹き飛ばさせる」
「周囲への拡散は?」
「避難範囲を広げてから行うしかないね」
「……そもそも、ここに風を扱える術士はおりますか?」
「いないね。 すぐに呼び寄せよう。 ……急がせても半刻はかかるがね」
セーヴランは隊員の幾人かに命令を伝える。
それを見たリオーネは、硬い表情を浮かべながら思わずつぶやく。
「本当に、こんなに時間がかかる策しか無いのかしら……」
「ついでに裏口に行ったリカルドを呼び寄せたよ。 後手にまわるが、こちらが罠にかかっては元も子もない。 焦りは禁物。 今出来るのは……」
そう言ってセーヴランは玄関扉の方へと視線を向ける。
幾人かの、様子のおかしい貴族たちが飛び出してくるのが見えた。
「彼らの保護だね。 ケガをしている者もいるかもしれない。 頼んだよリオーネくん」
「……了解しました」
「ああ、ところで……」
数人の隊員を連れ、玄関扉に向かおうとするリオーネをセーヴランが引き留める。
「レルガくんは? 一緒に逃れてきたのではなかったのかね?」
「レルガ坊やは……」
リオーネは一瞬どこか遠くに目線を向けた。
「『奥の手を持ってくるッス』と言って消えました」
―――――――
「あ~、もう、どうすんの!? どうすんのさ! これ!」
「……落ち着けハルネ」
「だってヴァルさま! このままじゃ……」
リオーネさんとレルガさんを送り出した後、避難誘導を続けていたあたし達は苛立ちを隠せずにいた。
……隠せてないのはあたしだけだけど。
霧の奥から、招待客らしき軍人同士の怒号と殴り合う音が聞こえてきた。
薄紫色の霧は少しずつ晴れてはきているものの、相変わらず視界は靄がかっている。
つまり、ノクスミアの効果は依然としてホール全体に及んでいるってことだ。
「あっ! あぶないヴァルさま!」
「……むっ!?」
前に出ていたヴァルさまの横から、衛兵がぬっと現れる。
「じゃ、邪魔をするな貴様らッ!!」
「邪魔してんのはどっちよ! えいっ! 小麦ボール!」
「ぐ、う、うわああぁぁっ! なんだコレはぁ!?」
単なる目くらましのはずの小麦ボールに異常に怯んだ。
まるで煮えた油でも掛けられたようなリアクションで、顔を抑えている。
「危ないハルネっ! こっちへ!」
「え? うわっ!」
大げさに怯んで暴れた衛兵の腹へ、ヴァルさまの拳が突き刺さる。
「……くっ!」
そのままあたしの腕を引き、位置を入れ替えた。
直後、背後から迫っていたもう一人の顎へ、鋭い当身を叩き込む。
そのまま、あたしたちは背中合わせになって、お互いの視界を確保する。
「……魔眼で人影がおぼろげに分かるとはいえ、この霧の中では……」
「そもそもなんで衛兵の人達はあたし達に襲ってくるのさ!? 逃げる人を助けてるだけなのにっ!」
今も何人かの招待客が、あたしの誘導で出口のココを通っていくが、全然数が少ない。
出来る事なら不安な気持ちを取ってあげたいけど、カモミールカームももう量が少ない。
「……リセリーナからそういう命令が出ているんだろう。 ノクスミアは感情を増幅させる。 命令を遂行しようとする意志まで強くなってもおかしくはない」
「ねえヴァルさま! このままここで待っててもいいの!? やっぱりあたしが招待客を集めに向かった方が……」
さっきから、ポツポツとしか招待客たちも衛兵らも来ない。
出口の方向が分からなかったり、不安で足が止まってしまったりしているんだろう。
だったらあたしが走り回って誘導すれば……
「絶対にダメだっ!!」
そんなあたしの提案に、ヴァルさまの強い制止の声が轟いた。
「キミを一人にするワケにはいかない。 何が起こるか、何を仕込んでいるか分からないのだ。 ハルネ……何があっても私の傍を離れるな」
「う、うん、分かった」
あたしを優先して考えてくれる気持ちは嬉しいけれど……
焦りばかりが先走って、落ち着く事が出来ない。
「……部隊を呼びに行ったリオーネとレルガを信じろ。 今は唯一の出入り口であるこの場所を死守するんだ」
「で、でもさ! でもさぁ! 待ってるだけなんて……!」
胸の奥で苛立ちが膨らみ続ける。
なんでこんなに焦ってるんだろう。
助けたい。
何かしないと。
不安ばかりが先走る。
……ちょっと待って。
なんで?
なにかが、おかしい。
……あっ!!
ポケットに手を突っ込み、カモミールカームを取り出して頭から被る。
強いカモミールの香りがあたりを包む。
「ヴァルさまもコレをっ!」
「……むっ?」
カームの小瓶をヴァルさまに投げ渡す。
カモミールの甘い香りを嗅いでいると、さっきまでのじっとしていられない焦燥感がスっと消えていくのが分かった。
カームの効果が、薄れてきていたんだ。
「……くっ、そうか。 効果時間が……」
苦い表情で、小瓶の中身を頭から被るヴァルさま。
カームも残り少ないけれど、惜しんでいる場合じゃなかった。
「やっぱりこのままじゃ埒が明かないよヴァルさま。 リセリーナさんを止めに行こう!」
「……どうやらそれしかなさそうだな。 だがココを放棄しては……」
悩んでいたあたし達の目の前の霧の中から、感情色の影が一つ、近寄ってくるのが視える。
ノクスミアの充満するこの空間で、この落ち着いた感情の色を保てているのは……
「ハルネさん! ゼオファルド卿!」
「ルシアンさま!」
「……無事だったか、ルシアン殿」
あの後、ルシアンさまは何本か渡したカモミールカームで幾人かの招待客を誘導していたようだ。
そして、手詰まりになって出口を探していたらしい。
ヴァルさまは、ルシアンさまの姿と出口の扉を交互に一瞥する。
迷っていたのは一瞬だった。
「……ルシアン殿。 この出入り口を頼む。 私はハルネと共にリセリーナを止めに行く」
「危険では? ハルネさんもココに残った方が……」
「……連れていく」
「…………ああ、任されたよ。 私は私に出来る事をしよう。 なぁに、剣の腕はそれなりだ」
そう言って、傍らに倒れていた衛兵の帯剣を手に取るルシアンさま。
「危なくなったら逃げてね!」
「ゼオファルド卿と行くのかい? 私と一緒に残った方が……」
「気を付けてね! ルシアンさま!」
「……行くぞハルネ!」
ヴァルさまの後ろを追いかけるあたしは、残り二本となったカモミールカームの内の一本をルシアンさまへ渡す。
これで、あたしの手元に残ったのは一本だけ。
「やれやれ……これは、まいったな」
ルシアンさまの呟きは、差し迫って急ぐあたしたちの耳には届かなかった。
―――――――
ホールの奥に、大階段があったはず。
ヴァルさまと二人、吹き抜けホールの二階に上がる階段へと向かう。
途中、霧の中から衛兵が一人飛び出してきた。
ペッパーボムを顔面へと叩きつけ、怯んだ脇を二人で駆け抜ける。
悪いけど、あなたたちに構ってるヒマはないの!
霧が視界を邪魔して、足を進めるのもどうしても慎重になる。
そういえば、先にリセリーナさんの元へと向かっていたギルトハルトさんはどうしたんだろう?
こっちにいるのは確かだけど、感情色だけでは誰かを特定する事は出来ない。
フロアに何の変化がないって事は、もしかしてやられてしまったんだろうか……?
「…………」
前を駆けるヴァルさまも、きっと同じことを考えている。
その感情色を覗きかけて、すぐに目をぎゅっと閉じた。
……視たい。 ……知りたい。
ずっとずっと、そう思ってたはずなのに……
なんであたしは目を閉じたの?
……ううん、今はそんな場合じゃない。
そろそろ階段に辿り着くと思った時、
「あれ……?」
ふいに、足が鈍った。
さっきまで聞こえていた悲鳴や、怒号が。
急に、聞こえなくなった。
騒ぐ衛兵も。
泣き叫ぶ令嬢も。
まるで、階段の周囲だけ切り取った別の空間のように、静かだった。
「…………」
ヴァルさまが足を止める。
いつの間にか階段に到着していたらしい。
感情色の影が二つ。
――これは、葛藤のスモークシルバーと、鮮やかな愉悦を帯びたマリーゴールドオレンジ。
階段の途中――霧の上に立っていたのは、
ギルトハルトさんと……リセリーナさんだった。
「フフフ……」
こちらに気付いたリセリーナさんは、笑顔を見せる。
その白い指の先が、きらりと光った。
ギルトハルトさんは、その光る何かを受け取り、懐にしまった。
何だろう?
ガラスの小瓶のように見えた。
何かは分からないが、それはとてもイヤな物に思えた。
用事は済んだとばかりに翻り、彼女は階段をしずしずと上がっていく。
「待てっ! リセリーナ!」
即座にリセリーナさんを追おうとするヴァルさまを、なぜかギルトハルトさんの巨体が壁となって遮った。
ギルトハルトさんの手には、壁に飾られていたらしい、二振りの模造刀が握られていた。
「……どういうつもりだ、ギルトハルトっ!」
「ゼオファルドか……」
ギルトハルトさんの葛藤の色が、ふっと消えた。
――代わりに滲み上がったのは……赤銅色だった。
これは、初めて視る色。
名付けるならきっと……「渇望」。
強面だけど優しかったギルトハルトさん。
その表情から、いつもの豪快さが消えた。
「ゼオファルド、我はな……」
ギルトハルトさんは模造刀の一本を、無造作にヴァルさまの方へと投げ放つ。
受け取ったヴァルさまは、彼を強く睨みつける。
ギルトハルトさんが、一度だけ目を瞑る。
再び目を開けた時には、冷たい意志の輝きが宿っていた。
「我は……アルテノット夫人の甘言に、乗る事にした」


