ショックだった。
頼れる落ち着いたおねーさんのリオーネさん。
話しやすくてシゴデキなレルガさん。
そんな二人が……我を忘れて、互いに掴みかかっている。
ノクスミア……
感情を増幅するだけだなんて軽く考えていた。
でもこれは、想像以上に恐ろしい物なんだ……!
「……ハルネっ!」
「はっ……!」
ヴァルさまの声で我に返る。
そうだ。 今なら戻す手段はある!
「えいっ!」
「つめたっ……!」
「な、なにがっ!」
二人の腕から、力が抜けた。
それでも互いを睨む目には、まだ怒気が残っていた。
「リオーネさん! レルガさん! しっかりして!」
呼びかけると、ようやく二人の瞳に理性が戻る。
顔色が戻り、表情もみるみる内に正気に戻っていく。
すっごい効き目! やっぱりそうだ。
カモミールカームはノクスミアに対する特効薬だ。
「あぁ、ハルネちゃん……」
「うぅ……ボス」
二人の表情が、たちまち後悔に染まった。
今しがたの自分たちの行いを、あらためて思い出したようだった。
「……ご、ごめんなさい。 言い訳のしようも無いわ……」
「……すまねぇッス。 ノクスミア……正直、甘く見てたッス……」
二人だけじゃない。
あたし達はみんなどこか甘く見ていた。
毒性も少なく、感情を高めるだけの、軍の研究の失敗品……そんなレッテルを貼っていた。
今はまだ犠牲者が少ないけれど……これからどうなるのか分からない。
「甘えるなっ!!」
「ひくっ!」
「「……っハイっ!」」
「後悔は後だ! 今は動け! 報告っ!」
ヴァルさまの突然の檄に、あたしだけはびっくりしてしまったが、二人は背筋を伸ばしていた。
「夫人のスピーチの後、ホールの扉が閉ざされて開かなくなったの」
「すぐに確保に動いたんスけど、衛兵に邪魔をされちまいやして……どうやらリセリーナ夫人の催したイベントと思っているようッス」
「逃げてる人が妙に少ないと思ったら、そういう事だったんだね」
相変わらず視界は薄紫色の霧に遮られている。
けれど、エモパレで視る感じ、招待客は皆あんまり動いていない。
「扉を開けるのに手間取ってたら、霧の魔導方陣が発動して……」
「速攻で扉の衛兵は制圧しやしたが、ノクスミアの充満の方が早く……この有様っス」
扉の横を確認すると、二人の衛兵が転がっている。
即座に対応できたレルガさんは流石なんだけど、あのトラップは会場内にいたら避けようが無い。
振り返ると、レルガさんは自分に掛かった液体の匂いを嗅いでいた。
「こりゃあリンゴ……いや、カモミール? ノクスミアにはカモミールが効くんスか!?」
「ノクセラ草はいっぱい研究したからね。 もしかしたらと用意してたんだけど……」
「……これは本当にお手柄だわ。 もしもハルネちゃんがいなかったらと思うと、ゾッとする……」
リオーネさんが両腕で自分を抱くようにして、蒼褪めていた。
自分の手柄を誇るつもりは無いけれど、本当に運が良かった。
でなければ、あたしとヴァルさまだって、まださっきの場所でどうなっていたか分からない。
ん? ヴァルさまは?
見回してヴァルさまを探すと、扉の前にいた。
二人の話だと扉は固く閉ざされているはずなんだけど……
ヴァルさまが、ほんの少し身体を捻ったかと思うと……
「ふっ!」
短い呼気とともに、ヴァルさまの蹴りが扉に突き刺さる。
ズドォォンという鈍い轟音と共に、歪んだ両開きの扉が吹き飛んだ。
……ずいぶんと頑丈そうな扉だったと思うんだけど。
「リオーネ。 レルガ。 貴様らは外の局長の部隊と合流し、突入せよ!」
「「ハッ!」」
「私とハルネはここで衛兵の足止めと客の誘導を行う! 行け!」
玄関ホールへ続く扉の奥へと消えていく二人を見守る。
「……ハルネ、客の誘導を頼む。 衛兵は私が抑える。 気を付けろ」
「オッケー。 大丈夫! 香房武器だってまだいっぱい持ってるんだから!」
ドレスの隠しポケットを、スカートの上からポンと叩く。
持ってきたのはカモミールカームだけじゃないのよ!
―――――――
玄関のホールへと出れば、霧が晴れるとリオーネとレルガの二人は思っていた。
しかしその思惑は外れ、大広間ほどではないがこちらにも薄紫色の霧が充満していた。
正面玄関の大扉の方面から、大勢の衛兵の怒号が聞こえてくる。
「レル坊、ナイフを一本よこして。 くすねてきたんでしょう?」
「ほいッス」
応じるや否や、レルガは一本のナイフをリオーネに渡す。
リオーネは、お仕着せのスカートに、ためらいなくナイフを走らせた。
裂けたスリットから露わになった脚で、無造作に一歩を踏み出す。
「あらら、本気ッスね姐さん」
「もう失敗はごめんだわ」
リオーネはガーターに固定していた短い杖を手に持つ。
それが合図とばかりに、二人は大勢の声が響く玄関扉へと駆け出した。
二人に気付いた衛兵らが、恐慌状態で襲い掛かってくる。
「う、うああぁぁ! だ、誰であろうとここは通さん!!」
「ぜ、絶対に通すな!! リセリーナさまの命令は絶対だぁ!!」
衛兵はノクスミアの効果で、我を失いかけていた。
目は座り、冷静な感情など一欠けらも持ち得ていない様子がうかがえた。
「攻撃魔法は得意じゃないけど……援護なら任せな!」
リオーネは走りながら、杖に魔力を籠め始める。
「この人たちも被害者よ! 殺しは厳禁! 行きな、レル坊!」
「了解」
レルガが前方に躍り出て、テーブルナイフを両手に構える。
「うああああぁぁぁっ!!」
恐慌状態のまま剣を振り下ろす衛兵の一人を、レルガはあっさりと躱す。
「らぁっ!」
「ぐはっ!!」
そのままタックルで大きく横に跳ね飛ばす。
もう一人の衛兵が、レルガの後隙を狙う。
「もらったっ!!」
「敏捷の付与(エアリアルギフト)!」
しかし、リオーネの補助魔法を受けたレルガは、目にも止まらぬ速さで躱し、残像を残す。
「なっ! ど、どこだ!」
「おせぇっ!」
いつの間にかレルガは衛兵の背後へ回り、衛兵の腿裏を切りつけた。
「わりぃな。 こっちは急いでんだわ。 ……死にゃしねぇよ」
いつもの人懐っこい笑みは消えていた。
目を細め、倒れた男を冷ややかに見下す。
「アンタ……戦闘になると人が変わるわね……」
二人の衛兵があっさり倒れた事で、後詰の彼らの表情が恐怖に染まる。
「ひ、怯むな! リセリーナ様の命令を守れぇ!!」
隊長格が発破を掛け、衛兵たちの士気が持ち直した。
「これだけの兵に命令をしていたって事は……」
「どうやら夫人は誰も逃がす気は無かったようッスね」
「かかれぇッ!!」
大勢の衛兵が一斉にこちらへと向かってきた。
「いいわ、押し通るっ! 合わせな! レル坊!」
「応ッ!」
リオーネが杖を構え、レルガが飛び出す。
衛兵たちが飛び出したレルガへ、集中攻撃を仕掛けようと襲い掛かる。
「神経妨害干渉(パルス・ディスラプション)!」
剣を振りかぶった衛兵たちが、一瞬痺れたように足がもつれて態勢を崩す。
その隙を逃さず、レルガは膝蹴りや肘打ちを、次々と衛兵へと叩き込む。
身体を回転させ、まるで踊るような乱舞であっという間に一人を撃退する。
レルガはそのまま、呆気に取られていたもう一人の方へ大きく跳躍した。
衛兵は、反射的に剣で防御の体勢を取る。
「その剣、両断してしまいなさい!」
リオーネが短杖を振り、籠めた付与魔法をレルガに飛ばす。
「おらあァァっ!!」
魔力を受けたレルガの身体に、一瞬の光が灯る。
強化されたレルガの斬撃は、防御していた衛兵の剣を真っ二つに割った。
斬られた剣に呆然とする兵。
そこに、いつの間にか距離を詰めていたリオーネ。
「はぁっ!!」
スリットから伸びた脚が、大きく鋭い弧を描いた。
風切り音とともに、衛兵は派手に吹き飛び、床を滑った。
翻ったスカートを片手で軽く押さえ、リオーネは何事もなかったように脚を下ろした。
「へっ! マブいぜ、姐さん!」
「あと四人よっ!」
リオーネの掛け声とともに飛び出すレルガ。
懐から取り出したナイフを両手で投擲。
「う、ぐあぁ!!」
衛兵の一人の鎧の隙間を縫い、脚と肩口にテーブルナイフが突き刺さる。
そのままその場へと崩れ落ちた。
レルガが瞬時に横に飛び、相手の死角に入る。
正面にはリオーネが一人残されたが、既に次の詠唱を始めていた。
その隙を逃すかと、さらに二人の衛兵がリオーネに襲い掛かる。
「過剰回復促進(オーバーエイド)!」
「あ、熱いっ!!」
過剰な治癒の熱と痺れに、腕を押さえしゃがみこむ衛兵。
もう一人の男が、構うものかとリオーネに飛び掛かる。
死角から隙を伺っていたレルガが、瞬時に前に躍り出る。
「甘ぇんだよ」
目にも止まらぬナイフの斬撃が、彼の手首を素早く切りつける。
「ぐっ……!」
レルガはそのまま、剣を取り落とした男の懐へ踏み込み、肘を鳩尾へと叩き込む。
衛兵は息を詰まらせ、そのまま膝から崩れ落ちた。
「あと一人っ!」
「ま、待て!」
「もう遅ぇっ!」
戦意を失った最後の隊長格。
「ひ、ひいぃぃっ!!」
すっかり心が折れた衛兵隊長は、正面扉へと背中を押しつけた。
「邪魔よっ! どきなさいっ!!」
「は、はひぃぃっ!!」
恐怖に飲まれた衛兵隊長は、リオーネの覇気に気圧され、慌てるように扉から離れる。
「行くわよ!!」
「おうよっ!!」
二人は同時に大きく身を捩る。
「せぇぇいっ!!」
「はぁッ!」
綺麗に合わさった左右二つの回し蹴りが、重たい正面扉へと突き刺さった。
――バガァンッ!
閂ごと砕け、扉が勢いよく外へと開く。
ビュウウと吹き込んだ一陣の夜風が、二人の肺へと流れ込んだ。
夜空に輝く月明かり。
外の冷気の心地よさが、瘴気の篭もる館から抜け出した実感を、一層感じさせた。
「……ふぅ」
レルガは、思わず安堵の息を漏らす。
「一息ついてる場合じゃないわ! 中にはまだヴァルグレイもハルネちゃんも、沢山の人が残ってる!」
「っ! そうっスね! 増援が来る前に、局長の部隊と合流しやしょう!」
戦闘の余韻もそこそこに、二人は月明かりと篝火に照らされた夜の庭へと走り出す。
夜風は冷たく、虫の声さえ聞こえるほど静かだった。
その静けさの底に、細い悲鳴が混じっている。
黄金色の温かな灯火に包まれていたはずの、アルテノット男爵邸。
それが今は、窓に薄紫の明かりが滲み、まるで呪われた孤城のように、月夜に浮かび上がっていた。


