【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―



 ショックだった。

 頼れる落ち着いたおねーさんのリオーネさん。
 話しやすくてシゴデキなレルガさん。

 そんな二人が……我を忘れて、互いに掴みかかっている。

 ノクスミア……

 感情を増幅するだけだなんて軽く考えていた。
 でもこれは、想像以上に恐ろしい物なんだ……!

「……ハルネっ!」
「はっ……!」

 ヴァルさまの声で我に返る。
 そうだ。 今なら戻す手段はある!

「えいっ!」
「つめたっ……!」
「な、なにがっ!」

 二人の腕から、力が抜けた。
 それでも互いを睨む目には、まだ怒気が残っていた。

「リオーネさん! レルガさん! しっかりして!」

 呼びかけると、ようやく二人の瞳に理性が戻る。
 顔色が戻り、表情もみるみる内に正気に戻っていく。

 すっごい効き目! やっぱりそうだ。

 カモミールカームはノクスミアに対する特効薬だ。

「あぁ、ハルネちゃん……」
「うぅ……ボス」

 二人の表情が、たちまち後悔に染まった。
 今しがたの自分たちの行いを、あらためて思い出したようだった。

「……ご、ごめんなさい。 言い訳のしようも無いわ……」
「……すまねぇッス。 ノクスミア……正直、甘く見てたッス……」

 二人だけじゃない。
 あたし達はみんなどこか甘く見ていた。

 毒性も少なく、感情を高めるだけの、軍の研究の失敗品……そんなレッテルを貼っていた。

 今はまだ犠牲者が少ないけれど……これからどうなるのか分からない。

「甘えるなっ!!」
「ひくっ!」
「「……っハイっ!」」
「後悔は後だ! 今は動け! 報告っ!」

 ヴァルさまの突然の檄に、あたしだけはびっくりしてしまったが、二人は背筋を伸ばしていた。

「夫人のスピーチの後、ホールの扉が閉ざされて開かなくなったの」
「すぐに確保に動いたんスけど、衛兵に邪魔をされちまいやして……どうやらリセリーナ夫人の催したイベントと思っているようッス」
「逃げてる人が妙に少ないと思ったら、そういう事だったんだね」

 相変わらず視界は薄紫色の霧に遮られている。
 けれど、エモパレで視る感じ、招待客は皆あんまり動いていない。

「扉を開けるのに手間取ってたら、霧の魔導方陣が発動して……」
「速攻で扉の衛兵は制圧しやしたが、ノクスミアの充満の方が早く……この有様っス」

 扉の横を確認すると、二人の衛兵が転がっている。

 即座に対応できたレルガさんは流石なんだけど、あのトラップは会場内にいたら避けようが無い。

 振り返ると、レルガさんは自分に掛かった液体の匂いを嗅いでいた。

「こりゃあリンゴ……いや、カモミール? ノクスミアにはカモミールが効くんスか!?」
「ノクセラ草はいっぱい研究したからね。 もしかしたらと用意してたんだけど……」
「……これは本当にお手柄だわ。 もしもハルネちゃんがいなかったらと思うと、ゾッとする……」

 リオーネさんが両腕で自分を抱くようにして、蒼褪めていた。

 自分の手柄を誇るつもりは無いけれど、本当に運が良かった。
 でなければ、あたしとヴァルさまだって、まださっきの場所でどうなっていたか分からない。

 ん? ヴァルさまは?

 見回してヴァルさまを探すと、扉の前にいた。
 二人の話だと扉は固く閉ざされているはずなんだけど……

 ヴァルさまが、ほんの少し身体を捻ったかと思うと……

「ふっ!」

 短い呼気とともに、ヴァルさまの蹴りが扉に突き刺さる。

 ズドォォンという鈍い轟音と共に、歪んだ両開きの扉が吹き飛んだ。
 ……ずいぶんと頑丈そうな扉だったと思うんだけど。

「リオーネ。 レルガ。 貴様らは外の局長の部隊と合流し、突入せよ!」
「「ハッ!」」
「私とハルネはここで衛兵の足止めと客の誘導を行う! 行け!」

 玄関ホールへ続く扉の奥へと消えていく二人を見守る。

「……ハルネ、客の誘導を頼む。 衛兵は私が抑える。 気を付けろ」
「オッケー。 大丈夫! 香房武器だってまだいっぱい持ってるんだから!」

 ドレスの隠しポケットを、スカートの上からポンと叩く。

 持ってきたのはカモミールカームだけじゃないのよ!



―――――――



 玄関のホールへと出れば、霧が晴れるとリオーネとレルガの二人は思っていた。

 しかしその思惑は外れ、大広間ほどではないがこちらにも薄紫色の霧が充満していた。

 正面玄関の大扉の方面から、大勢の衛兵の怒号が聞こえてくる。

「レル坊、ナイフを一本よこして。 くすねてきたんでしょう?」
「ほいッス」

 応じるや否や、レルガは一本のナイフをリオーネに渡す。

 リオーネは、お仕着せのスカートに、ためらいなくナイフを走らせた。
 裂けたスリットから露わになった脚で、無造作に一歩を踏み出す。

「あらら、本気ッスね姐さん」
「もう失敗はごめんだわ」

 リオーネはガーターに固定していた短い杖を手に持つ。
 それが合図とばかりに、二人は大勢の声が響く玄関扉へと駆け出した。

 二人に気付いた衛兵らが、恐慌状態で襲い掛かってくる。

「う、うああぁぁ! だ、誰であろうとここは通さん!!」
「ぜ、絶対に通すな!! リセリーナさまの命令は絶対だぁ!!」

 衛兵はノクスミアの効果で、我を失いかけていた。

 目は座り、冷静な感情など一欠けらも持ち得ていない様子がうかがえた。

「攻撃魔法は得意じゃないけど……援護なら任せな!」

 リオーネは走りながら、杖に魔力を籠め始める。

「この人たちも被害者よ! 殺しは厳禁!  行きな、レル坊!」
「了解」

 レルガが前方に躍り出て、テーブルナイフを両手に構える。

「うああああぁぁぁっ!!」

 恐慌状態のまま剣を振り下ろす衛兵の一人を、レルガはあっさりと躱す。

「らぁっ!」
「ぐはっ!!」

 そのままタックルで大きく横に跳ね飛ばす。
 もう一人の衛兵が、レルガの後隙を狙う。

「もらったっ!!」
「敏捷の付与(エアリアルギフト)!」

 しかし、リオーネの補助魔法を受けたレルガは、目にも止まらぬ速さで躱し、残像を残す。

「なっ! ど、どこだ!」
「おせぇっ!」

 いつの間にかレルガは衛兵の背後へ回り、衛兵の腿裏を切りつけた。

「わりぃな。 こっちは急いでんだわ。 ……死にゃしねぇよ」

 いつもの人懐っこい笑みは消えていた。
 目を細め、倒れた男を冷ややかに見下す。

「アンタ……戦闘になると人が変わるわね……」

 二人の衛兵があっさり倒れた事で、後詰の彼らの表情が恐怖に染まる。

「ひ、怯むな! リセリーナ様の命令を守れぇ!!」

 隊長格が発破を掛け、衛兵たちの士気が持ち直した。

「これだけの兵に命令をしていたって事は……」
「どうやら夫人は誰も逃がす気は無かったようッスね」
「かかれぇッ!!」

 大勢の衛兵が一斉にこちらへと向かってきた。

「いいわ、押し通るっ! 合わせな! レル坊!」
「応ッ!」

 リオーネが杖を構え、レルガが飛び出す。

 衛兵たちが飛び出したレルガへ、集中攻撃を仕掛けようと襲い掛かる。

「神経妨害干渉(パルス・ディスラプション)!」

 剣を振りかぶった衛兵たちが、一瞬痺れたように足がもつれて態勢を崩す。

 その隙を逃さず、レルガは膝蹴りや肘打ちを、次々と衛兵へと叩き込む。
 身体を回転させ、まるで踊るような乱舞であっという間に一人を撃退する。

 レルガはそのまま、呆気に取られていたもう一人の方へ大きく跳躍した。
 衛兵は、反射的に剣で防御の体勢を取る。

「その剣、両断してしまいなさい!」

 リオーネが短杖を振り、籠めた付与魔法をレルガに飛ばす。

「おらあァァっ!!」

 魔力を受けたレルガの身体に、一瞬の光が灯る。

 強化されたレルガの斬撃は、防御していた衛兵の剣を真っ二つに割った。

 斬られた剣に呆然とする兵。
 そこに、いつの間にか距離を詰めていたリオーネ。

「はぁっ!!」

 スリットから伸びた脚が、大きく鋭い弧を描いた。
 風切り音とともに、衛兵は派手に吹き飛び、床を滑った。

 翻ったスカートを片手で軽く押さえ、リオーネは何事もなかったように脚を下ろした。

「へっ! マブいぜ、姐さん!」
「あと四人よっ!」

 リオーネの掛け声とともに飛び出すレルガ。
 懐から取り出したナイフを両手で投擲。

「う、ぐあぁ!!」

 衛兵の一人の鎧の隙間を縫い、脚と肩口にテーブルナイフが突き刺さる。
 そのままその場へと崩れ落ちた。

 レルガが瞬時に横に飛び、相手の死角に入る。
 正面にはリオーネが一人残されたが、既に次の詠唱を始めていた。

 その隙を逃すかと、さらに二人の衛兵がリオーネに襲い掛かる。

「過剰回復促進(オーバーエイド)!」
「あ、熱いっ!!」

 過剰な治癒の熱と痺れに、腕を押さえしゃがみこむ衛兵。
 もう一人の男が、構うものかとリオーネに飛び掛かる。

 死角から隙を伺っていたレルガが、瞬時に前に躍り出る。

「甘ぇんだよ」

 目にも止まらぬナイフの斬撃が、彼の手首を素早く切りつける。

「ぐっ……!」

 レルガはそのまま、剣を取り落とした男の懐へ踏み込み、肘を鳩尾へと叩き込む。
 衛兵は息を詰まらせ、そのまま膝から崩れ落ちた。

「あと一人っ!」
「ま、待て!」
「もう遅ぇっ!」

 戦意を失った最後の隊長格。

「ひ、ひいぃぃっ!!」

 すっかり心が折れた衛兵隊長は、正面扉へと背中を押しつけた。

「邪魔よっ! どきなさいっ!!」
「は、はひぃぃっ!!」

 恐怖に飲まれた衛兵隊長は、リオーネの覇気に気圧され、慌てるように扉から離れる。

「行くわよ!!」
「おうよっ!!」

 二人は同時に大きく身を捩る。

「せぇぇいっ!!」
「はぁッ!」

 綺麗に合わさった左右二つの回し蹴りが、重たい正面扉へと突き刺さった。


――バガァンッ!


 閂ごと砕け、扉が勢いよく外へと開く。
 ビュウウと吹き込んだ一陣の夜風が、二人の肺へと流れ込んだ。

 夜空に輝く月明かり。

 外の冷気の心地よさが、瘴気の篭もる館から抜け出した実感を、一層感じさせた。

「……ふぅ」

 レルガは、思わず安堵の息を漏らす。

「一息ついてる場合じゃないわ! 中にはまだヴァルグレイもハルネちゃんも、沢山の人が残ってる!」
「っ! そうっスね! 増援が来る前に、局長の部隊と合流しやしょう!」

 戦闘の余韻もそこそこに、二人は月明かりと篝火に照らされた夜の庭へと走り出す。

 夜風は冷たく、虫の声さえ聞こえるほど静かだった。
 その静けさの底に、細い悲鳴が混じっている。

 黄金色の温かな灯火に包まれていたはずの、アルテノット男爵邸。

 それが今は、窓に薄紫の明かりが滲み、まるで呪われた孤城のように、月夜に浮かび上がっていた。