窓の無い部屋を、魔石ランプの白い光が煌々と照らしていた。
正面の黒板に貼られているのは、館の大きな見取り図。
印とメモ書きが随所に走り、そのどれもが、推測と未確認で埋まっていた。
部屋の中央には、綺麗に磨き上げられた長机。
その上には、無数の書類が散らばっている。
机の上座に立つのはヴァルグレイ。
彼を挟むように、リカルドとリオーネが長机の両側を固めている。
少し離れて、椅子に座ったハルネ、シャリエナ、トリサの三人。
その中間には、レルガが立っていた。
壁際に並んだ簡素な書架。 その上に置かれた一鉢の観葉植物。
誰が置いたのかも分からないそれだけが、この無機質な部屋の、唯一の温かみだった。
翌夜に迫った、アルテノット男爵邸の舞踏会。
確実に起こると見ている”事件”を前提に、会議室には張り詰めた空気が満ちていた。
―――――――
「……大きな部隊は出せない」
ヴァルグレイの、深みのある声が部屋に響く。
「……何も起こってない以上はな」
「あくまで、ウチだけで動く必要があるのね?」
確認をとるようにリオーネが言葉を添えた。
「第一の協力も得られないんですかい? 副局長」
疑問に口を挟んだのは、リカルド・クレイフォルド。
普段は局長付きの捜査員だが、今回は局長との繋ぎで顔を出している。
「出来ない。 オルヴェリス公爵から「邪魔をするな」と釘を刺されている。 そんな中、これみよがしに屋敷の周りに部隊を配置したらどうなる?」
「……侮辱されたと怒るでしょうな。 なるほど、政治的な判断ってヤツですかい」
「……そうだ。 遺憾ながら、我々が公然と動けるのは、事が起きてからだ」
淡々と言葉を紡ぐヴァルグレイ。 その悔しさは、今は表に出ていない。
この場にいる調査局員たちも、表情を変えない。
制約だらけの任務には慣れていた。
「狙ってるんだとしたら、相当狡猾な人よね。 それにしてもヴァルグレイ、本当に事件は起こるのかしら?」
「おい、エメルラーデ。 あんまり挑発的な言葉遣いは……」
「必ず、やる。 ヤツの性格もそうだが、この状況がそう言っている」
ハッキリと確信を持ってヴァルグレイは答える。
「……ノクスミアという”道具”がある。 それを使う性質の”人間”がいる。 そして……使うための”舞台”が用意された」
ヴァルグレイの溜息が、短い間を作った。
「……これで、何も起こらない方が、不自然だ」
緊張と納得が場を支配した。
その沈黙を破るように、リカルドが口を挟む。
「そんなに……その、アルテノット男爵夫人――リセリーナ嬢ってのは、ヤバイ奴なんですかい?」
ジロリとリカルドに視線を飛ばしたヴァルグレイに、ほんの少しだけリカルドはたじろいだ。
「……昔、ヤツと見合いの席があった。 公爵からの紹介で、一度だけな」
ヴァルグレイは、リカルドから正面へと視線を戻す。
「……私は乗り気では無かったが、一度だけだと自分に言い聞かせ、花束を持って会いに行った」
両腕を組み、今度は中空へと視線を向ける。
「……目の前で、燃やされた」
再び沈黙。
「……笑っていたよ。 さも、嬉しそうに」
ヴァルグレイの眉間に、深い皺が刻まれる。
「アイツは――イカレてる」
「…………」
不機嫌を隠そうともしない言葉に気圧され、リカルドは思わずゴクリと生唾を飲んだ。
「ヴァルグレイ、あなた……花束なんて持っていったの?」
リオーネが、空気に合わない意外そうな声でツッコんだ。
「…………」
「エメルラーデ! よ、よけいな事を言うんじゃない!」
「だって、意外だったんだもの。 このクソ真面目な朴念仁でも、ちゃんと女性に気を遣えるんだ……って」
ヴァルグレイは威圧の籠もった視線を向けるが、リオーネはそれに怯むことは無かった。
代わりに第三者のリカルドの方が慌てている。
「い、いいから! 副局長を怒らせるんじゃない!」
「…………」
「あら? 図星?」
「あ、あの! ところでさっきから気になっていたんですが、なぜこの場に民間人が!?」
黙したままのヴァルグレイの圧に耐えられず、リカルドは横に座っている娘たちへと視線を向ける。
「……彼女は、関係者だ。 明日、私のパートナー役を務める……」
「ああ例の……なるほど! 実に可憐でスレンダーな美少女だ! トリサ嬢との並びもまさに珠玉の輝き!」
「そっちは妹よっ!!」
ハルネの鋭いツッコミに、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。
―――――――
「気にする事ないわよハルネちゃん。 アイツ――リカルドは、え~っと、いわゆるひとつの~……華奢な子好き?」
「リオ姐さん。 それ、フォローになってないッス」
言葉を選んでくれたリオーネさんには申し訳ないが、さっきのはちょっぴり傷ついた。
ヴァルさまと、リカルドさんは二人で何かを話している。
その合間にリオーネさんはあたしを慰め?に来てくれていた。
「あのオジ、嫌い。 キモイでござい」
「仕事は出来る人なんスけどね……独身を拗らせてて、ちょっとその、趣味が」
レルガさんのフォローに悲哀が混じる。
リカルドさんには悪意とか嫌悪みたいな感情色も全く視えない。
本当に、シャリエナとかトリサちゃんみたいな美少女が好きなだけなんだろう。
「ハルネちゃんは、ヴァルグレイに呼ばれてココへきたの?」
「ヴァルさまが「キミもある程度の段取りを知っておくべきだ」って」
「……リオーネっ」
「あらら呼ばれちゃったわ。 あんまり構ってあげられなくてごめんなさいね」
正直、あたしが聞いても作戦とかの話はよく分からない。
必要な事はあとでヴァルさまが詳しく教えてくれるだろう。
あたしはパートナー役なんだからね!
「それでもあたしにも何か出来れば、とは思うけれど……って、トリサちゃん、何食べてるの?」
隣から、サクサクサクと小動物が何かを食べるような音が気になった。
トリサちゃんが何かを持っている。
「ナッツのクッキーでござい。 うまうま。 リエナちゃんありがとう」
「お姉ちゃん! この子すっごく可愛いよ! ウチに連れて帰ろうよ!」
「……あげないッスよ?」
見ればシャリエナがトリサちゃんを餌付けしていた。
なんか大きな籠を持ってきてると思ったら、家から持ってきたのね。
「そもそもなんでアンタも来たのよ……」
「わたしも関係者でしょ? 何か手伝えると思って」
「リエナちゃん、もっと欲しいでござい」
「はいはい。 今度は紅茶のクッキーだよ。 あ~、ポロポロ零れちゃうね。 ハンカチ敷こっか」
リエナちゃん……あだ名まで呼ばせて、やたら面倒見がいいわね。
「ごめんねレルガさん。 いくら関係者だからって、妹がこんなで……」
「トリサを構ってくれるのは嬉しいッス。 感謝ッス」
「レルガさんはあっちの話に参加しなくていいの?」
「オレはボスが決めた事を実行するのが役割ッス」
レルガさんと一緒にヴァルさまの方を見ると、今は部隊の待機場所について話しているようだった。
「はいトリサちゃん、ウチのお茶だよ。 はい、お姉ちゃんの分も」
「ありがと。 お茶まで持ってきて……これは……妖精茶ね」
「うん、トロすやティーは今は在庫が少なかったから」
「トロ眠ティー、ね。 勝手に名前を変えないで」
あたしのも略称だけど。
ずずっと竹筒のお茶を啜ると、妖精茶の特徴であるさっぱりした甘みが口に広がる。
「お茶もうまうま。 お仕事中も飲みたいでござい」
「えへへ、良かった」
「でも、紅茶のクッキーには妖精茶よりトロ眠ティーの方が合うのよ。 事件が片付いたら、調査局にも差し……入れて……」
「? どしたのお姉ちゃん?」
「何か……思い出しそうで……」
引っ掛かった何かを思い出せず、黙ったままになってしまう。
そこへ、ヴァルさま達の話が聞こえてくる。
「……経口摂取の実験をしていたという事は、やはり飲み物に混ぜる手口で来る可能性が高い」
「そうね。 混入の現場を押さえられれば理想でしょうけど……最悪、症状が出た時点で確保するしかないわね」
「……ああ、被害者が出てしまうのは口惜しいがな」
「……経口、摂取」
手に持っている妖精茶にじっと視線を落とす。
「……あれ?」
ノクスミア――作り方は全然想像もつかないけど、ノクセラ草を原料としている薬……
トロ眠ティーは……ノクセラ草と……
「お姉ちゃん?」
「そうよ! トロ眠ティーの時にうんと研究したじゃないのさ! もしかしたら……っ」
「ひらめいた?」
「うん! こうしちゃいられないわ! 香房に帰るわよシャリエナ!」
「え?」
大きな声を上げていたあたしに視線が集まっていたが、そんな事は今はどうでもいい!
この思いついたアイデアを、なんとかするんだ!
……いや、ダメだ。
アイデアだけじゃダメだ。
明日のあたしはドレス姿なんだから、持ち込むためには……
お茶を飲み終わったトリサちゃんと目が合った。
「トリサちゃん! 一緒に来て!」
「ん」
特に疑問も持たず、トリサちゃんはあたしについてきてくれた。
部屋を出ようとするあたし達に対して、何故かシャリエナは座ったままだった。
「どうしたのシャリエナ?」
「お姉ちゃんは先に帰ってて。 わたしはちょっと別の用事があるの」
珍しく真剣な表情を見せるシャリエナ。
この子はあたしより賢いし、この子なりの考えがあるんだろう。
「分かった。 じゃあ行こう! トリサちゃん!」
「おー」
部屋を勢いよく出て行くあたし達だったけど、誰にも咎められる事はなかった。
ま、いっか。
明日まで時間が無いんだからっ!
―――――――
「いいんですかい? 彼女は勝手に動くみたいですが」
「……構わない。 何か考えがあるのだろう」
「フフ、ハルネちゃんを信じてるのね? 最近は、彼女の方がうーんと手柄を立てているモノね」
「おいエメルラーデ。 またそんな事を……」
リオーネのからかいに再びリカルドが突っかかった。
「それにしてもリセリーナ夫人の目的は何なのかしら? 愉快犯と言うのなら騒動自体が目的?」
「……それも十分にあり得る。 ゆえに、あらゆるパターンを考え、備える必要がある」
「結局は、出たとこ勝負ですかい」
「……そうだ。 それも、限られた戦力でな」
真剣に戦略を考える三人。
そんな中、扉を一瞥したヴァルグレイの険しい視線が、ほんの一瞬だけ和らいだ。
―――――――
「ドレスに……収納ポケットを付けられないかな? 前回の、布量の多いあのドレスなら出来るんじゃない?」
「まる!」
トリサが両手で大げさに丸を作る。
「やけに軽い返事ね?」
「隠し収納はよくあるお仕事でござい。 潜入に暗器は付き物」
「じゃあ、お願いできる?」
「ドレスに付けるのは初めて! トリサの腕も鳴るでござい!」
「よろしくね! あとね、もう一つ……」
あれやこれやと、賑やかに廊下を歩く二人。
ハルネのアイデアに、ワクワクした様子で頷くトリサ。
トリサの目は、職人として静かに燃えていた。
―――――――
「レルガさんに、頼みがあるの」
「オレに? なんスか?」
「さっきのお姉ちゃんの思いつき。 なんとなく分かったの。 でもそれだけじゃ、と思って……」
どこか詰まった様子を見せるシャリエナに、レルガが懸念を発する。
「それは、ハル姐さんに言わなくていいんスか?」
「もしかしたら必要ないかもしれないし……それに、わたしもお姉ちゃんのお役に立ちたいの!」
「……気持ちは分かりやス。 了解っス! それで……オレは何をしやスか?」
シャリエナは真摯な態度で、レルガもまた表情を改める。
普段の二人の空気とは違い、どちらも真剣な様子だった。
……………
それぞれが、それぞれのやり方で動き出す。
小さな流れは、やがて止まらぬ奔流へと変わっていく。
アルテノット男爵邸舞踏会。
開催を翌夜に控えたその夜会は、すでにいくつもの思惑の色に彩られ始めていた。


