黒い人影が二つ。 薄暗い裏路地で向かい合っている。
何かを受け渡しているかのように見えた。
……急に場面が変わった。
……やはり夢だ。
……これは、私の過ちを追っているのだ。
長年の捜査員としての勘が、それが違法な取引だと告げていた。
――追ってみよう。
そこまでは良かった。
しかし私はここで、選択を誤った。
買い手らしい気弱そうな青年と、頭巾を被った見るからに怪しい商人風の男。
少々迷った末、商人風の男を追ってしまった。
人通りを避け、狭い道を歩いていく頭巾の男。
辺りはもう薄暗かったが、尾行の技術にはそれなりの自信があった。
ふと立ち止まった男を監視しつつ、これからの事を考える。
方角からして、南街の水路沿いの下街か?
クソっ、部下がいれば客っぽい気弱な男の方も追えたのだが……
この後、部下と共に、南街ギルドから紹介された薬を扱う香房へと行く予定だった。
遅くなってしまうかもしれない。
予定が押している理由は明白。 西街で見掛けた、あの可憐な乙女。
任務とは全く関係の無い、私情での尾行。
……泣かせてしまった。 胸がチクリと痛む。
あの後、きちんと帰れただろうか?
元気な足取りは見せていたが、とても……心配だった。
彼女の名前は?
どこに住み、どんな暮らしをしているのだろうか。
あれだけ愛らしい女性だ。 言い寄る男も少なくないに違いない。
……忌々しい。
服装も華やかで良く似合っていた。 春色のケープが印象的で……
――ハッとした。
物思いに耽っていたと自覚したのも束の間、監視していた男の姿は消えていた。
言い訳のしようのない失態だった。
今となって思えば、香房を襲ったのは、あの気弱な客の方だった。
あちらを追うべきでもあったのだ。
……だが、そちらを追えば、未然に防げたのだろうか?
あるいはその場合でも、私はやはり尾行に失敗したのだろうか?
―――――――
すっかり日の暮れた頃、レルガが薬香房の前で腕を組んでいる。
……またしても場面が飛んだ。
……ああ、ここもまた、見せつけられるのか……
「遅いッスよ、隊長」
レルガの軽い文句を無視する。
別件で任せていた聞き込みの報告を受け、これからの段取りを話しあう。
南街ギルドから紹介されたこの店――サフラン香房。
原材料のノクセラ草を取り扱っているとはいえ、ここでノクセリウムが製造されているとは思っていなかったが、話を聞く必要はあった。
随分と遅い時間になってしまったが。
――ズバアァァンッ!!
響く破裂音。
どこから聞こえてきたなど問われるまでもない。 店の中だ。
レルガと共に、店の壁に貼りつき、窓際から様子を伺った。
すると、そこには……
先ほど、教会で私が泣かせてしまった、あの彼女がいた。
凛々しく、勇ましく、そして愛らしい彼女が、杖を持って悪漢らしき男と対峙していた。
「何してんスかっ!? 早く飛び込みやしょう!」
「……いや、待てっ!」
逸るレルガを、なぜか私は制した。
自分が助けていいのか?
私情では無いのか?
また、怖がらせてしまうのではないか?
どう考えても、危急の今、考えるべきことでは無い。
しかし私は、躊躇してしまっていた。 ……部下を抑えてまで。
私は……凛然と危機に立ち向かう彼女の姿に、目を奪われていた。
迷っている内に、店内の灯りが消える。
連続した細かな破裂音が響いた後、
――ゴッ、ガッシャーーーンッ!!
入り口の扉が派手に吹き飛ばされ、店内から黄色い歓声が聞こえた。
扉をぶち抜き、吹っ飛ばされた異形の男が、二度三度と地面を打って、転がっていく。
彼女が、これをやったのか……
転がってきた男を見る。
異形なシルエットだと思っていたソレは、随分と線の細い、ヒョロい男だった。
ふと、風に吹かれたか、焼け焦げたケープの切れ端が地面を滑り、目の前に落ちた。
それが、彼女が身に着けていた春色のケープの端切れだとすぐに気付いた。
じっとケープを観察した後、気づけばポケットへと押し込んでいた。
周りを見ると、派手な破壊音だったせいか、人が集まってきているようだった。
倒れていたヒョロ男を確認する。
……その姿は、無かった。
「そろそろっスか?」
レルガのイラつきの混じった声に返事をする間もなく……
私は、反射的に店内へと飛び込んでいた。
……………
「死ねええぇぇぇぇ!!!!」
ナイフを手に、絶叫と共に彼女へ突進するヒョロ男。
その後ろ姿を捕え、瞬時に制圧を試みる。
距離から見て、間に合うかどうかは五分と五分。
店前での自分の判断を……すぐに飛び込まなかった事を激しく後悔した。
だが、ここで間に合わなければ……
助けられなければ……
自分はこの世で一番の、愚か者だっ!
恐怖に染まっていた彼女の表情。
それが……諦めへと変わった。
――諦めるなっ!!
渾身の力で地を蹴った。
――諦めさせて、なるものかっ!!
脚が軋むほど踏み込み、視界が一瞬で流れる。
……ダメかっ!?
いや、踏み込めっ!
間に合えっ!!
「……っっっ!!」
思考すら放棄。
視界は真っ白に染まり、その速度が臨界を超えた、刹那――
――轟音が弾ける。
鈍い衝撃音とともに、殴り飛ばしたヒョロ男の身体が宙を舞う。
吹き飛ぶ姿には目もくれず、私はその先へと手を伸ばす。
勢いのままに、彼女を両腕で抱き留めた。
その柔らかな身体を、衝撃ごと胸の内へと包み込む。
ああっ…………
「……間に合って、よかった」
―――――――
泣いている。
嗚咽を漏らすことなく、まるで宝石のような大きな涙粒だけが……
ポロポロと頬を、伝っていた。
彼女は顔を上げ、その美しい泣き顔を隠しもせずに、じっと私を見つめている。
まるで何かを言いたげな表情。
まさか、感謝を伝えるつもりなのだろうか?
……違うのだ。
キミのその涙、全ては私のせいなのだ……
むしろ責められるべきなのは、私なんだ……
そんな、無垢な瞳で……見ないでくれ!
私は、合わせる顔もなく、彼女に背を向けた。
それでも、背後で涙が落ち続けている気配に、耐える事は出来なかった。
……せめて、これくらいは。
振り返り、懐から取り出したハンカチで、その涙をそっと拭った。
決して、その肌に触れぬよう。
決して、彼女を汚さぬよう。
決して、彼女に想いを寄せぬよう。
そんな私の内心を知らず、彼女の蜂蜜色の瞳はじっと、私と視線を合わせ続けていた。
―――――――
目の前には一枚の書類。 一心不乱に必要事項を書き込み、確認する。
なんたる失態。
なんたる愚かさ。
後悔、衝動、安堵、自己嫌悪、そして罪悪感。
その夜の私は、かつてないほど多くの感情と戦っていた。
もしも彼女が失われるような事態にでもなっていれば、私は生涯、自分を許せなかっただろう。
最悪の事態にはならずに済んだ。
だが、自身の汚れた欲望と愚かな判断が、彼女に恐怖を……そして危険をもたらした。
その事実は、私の心に深い楔を打ち込んだ。
結果的にケガが治ったから事なきを得たなどとは、露ほども思ってはいない。
許せない。
絶対に、ユルセナイ……
調査局に帰還した後、ある決断をした。
もう、この時すでに、私は狂っていたのだろう。
付帯書類などは特に必要は無い。
自身の権限だけで事足りる。
優先するモノを……変えるのだ。
――彼女を、危機から遠ざけろ。
――私の監視下へ。 檻に、入れてしまえ。
私は愚かだった。 ……愚かな行為だコレは。
私は間違っていた。 ……間違っているのは承知の上。
これが洗練された方法なのか? ……みっともなくても構わない。
どんな事をしても。
なんとしても。
絶対に。
キミを、守らねば、ならんのだっ!
例え、キミの意志に、反しても……っ!!
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下記店舗に対し、当局による調査の結果、当該営業活動において
看過できない問題が認められたため、営業停止を命ずる。
対象: 南街商会ギルド所属 サフラン香房
署名: 軍務省第二調査局副局長 ヴァルグレイ・ゼオファルド
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