【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―



 黒い人影が二つ。 薄暗い裏路地で向かい合っている。
 何かを受け渡しているかのように見えた。

 ……急に場面が変わった。
 ……やはり夢だ。
 ……これは、私の過ちを追っているのだ。

 長年の捜査員としての勘が、それが違法な取引だと告げていた。

――追ってみよう。

 そこまでは良かった。

 しかし私はここで、選択を誤った。

 買い手らしい気弱そうな青年と、頭巾を被った見るからに怪しい商人風の男。
 少々迷った末、商人風の男を追ってしまった。

 人通りを避け、狭い道を歩いていく頭巾の男。
 辺りはもう薄暗かったが、尾行の技術にはそれなりの自信があった。

 ふと立ち止まった男を監視しつつ、これからの事を考える。
 方角からして、南街の水路沿いの下街か?

 クソっ、部下がいれば客っぽい気弱な男の方も追えたのだが……
 この後、部下と共に、南街ギルドから紹介された薬を扱う香房へと行く予定だった。
 遅くなってしまうかもしれない。

 予定が押している理由は明白。 西街で見掛けた、あの可憐な乙女。
 任務とは全く関係の無い、私情での尾行。

 ……泣かせてしまった。 胸がチクリと痛む。

 あの後、きちんと帰れただろうか?
 元気な足取りは見せていたが、とても……心配だった。

 彼女の名前は?
 どこに住み、どんな暮らしをしているのだろうか。

 あれだけ愛らしい女性だ。 言い寄る男も少なくないに違いない。
 ……忌々しい。

 服装も華やかで良く似合っていた。 春色のケープが印象的で……


――ハッとした。
 
 物思いに耽っていたと自覚したのも束の間、監視していた男の姿は消えていた。


 言い訳のしようのない失態だった。

 今となって思えば、香房を襲ったのは、あの気弱な客の方だった。
 あちらを追うべきでもあったのだ。

 ……だが、そちらを追えば、未然に防げたのだろうか?
 あるいはその場合でも、私はやはり尾行に失敗したのだろうか?



―――――――



 すっかり日の暮れた頃、レルガが薬香房の前で腕を組んでいる。

 ……またしても場面が飛んだ。
 ……ああ、ここもまた、見せつけられるのか……


「遅いッスよ、隊長」


 レルガの軽い文句を無視する。

 別件で任せていた聞き込みの報告を受け、これからの段取りを話しあう。

 南街ギルドから紹介されたこの店――サフラン香房。

 原材料のノクセラ草を取り扱っているとはいえ、ここでノクセリウムが製造されているとは思っていなかったが、話を聞く必要はあった。
 随分と遅い時間になってしまったが。


――ズバアァァンッ!!


 響く破裂音。
 どこから聞こえてきたなど問われるまでもない。 店の中だ。

 レルガと共に、店の壁に貼りつき、窓際から様子を伺った。

 すると、そこには……


 先ほど、教会で私が泣かせてしまった、あの彼女がいた。


 凛々しく、勇ましく、そして愛らしい彼女が、杖を持って悪漢らしき男と対峙していた。

「何してんスかっ!? 早く飛び込みやしょう!」
「……いや、待てっ!」

 逸るレルガを、なぜか私は制した。

 自分が助けていいのか?
 私情では無いのか?
 また、怖がらせてしまうのではないか?

 どう考えても、危急の今、考えるべきことでは無い。
 しかし私は、躊躇してしまっていた。 ……部下を抑えてまで。


 私は……凛然と危機に立ち向かう彼女の姿に、目を奪われていた。


 迷っている内に、店内の灯りが消える。

 連続した細かな破裂音が響いた後、


――ゴッ、ガッシャーーーンッ!!


 入り口の扉が派手に吹き飛ばされ、店内から黄色い歓声が聞こえた。

 扉をぶち抜き、吹っ飛ばされた異形の男が、二度三度と地面を打って、転がっていく。

 彼女が、これをやったのか……

 転がってきた男を見る。
 異形なシルエットだと思っていたソレは、随分と線の細い、ヒョロい男だった。

 ふと、風に吹かれたか、焼け焦げたケープの切れ端が地面を滑り、目の前に落ちた。
 それが、彼女が身に着けていた春色のケープの端切れだとすぐに気付いた。

 じっとケープを観察した後、気づけばポケットへと押し込んでいた。

 周りを見ると、派手な破壊音だったせいか、人が集まってきているようだった。

 倒れていたヒョロ男を確認する。
 ……その姿は、無かった。

「そろそろっスか?」

 レルガのイラつきの混じった声に返事をする間もなく……
 私は、反射的に店内へと飛び込んでいた。



……………



「死ねええぇぇぇぇ!!!!」

 ナイフを手に、絶叫と共に彼女へ突進するヒョロ男。
 その後ろ姿を捕え、瞬時に制圧を試みる。

 距離から見て、間に合うかどうかは五分と五分。
 店前での自分の判断を……すぐに飛び込まなかった事を激しく後悔した。

 だが、ここで間に合わなければ……

 助けられなければ……

 自分はこの世で一番の、愚か者だっ!


 恐怖に染まっていた彼女の表情。

 それが……諦めへと変わった。


――諦めるなっ!!

 渾身の力で地を蹴った。


――諦めさせて、なるものかっ!!

 脚が軋むほど踏み込み、視界が一瞬で流れる。


 ……ダメかっ!?

 いや、踏み込めっ!
 間に合えっ!!
 

「……っっっ!!」


 思考すら放棄。

 視界は真っ白に染まり、その速度が臨界を超えた、刹那――


――轟音が弾ける。


 鈍い衝撃音とともに、殴り飛ばしたヒョロ男の身体が宙を舞う。

 吹き飛ぶ姿には目もくれず、私はその先へと手を伸ばす。

 勢いのままに、彼女を両腕で抱き留めた。

 その柔らかな身体を、衝撃ごと胸の内へと包み込む。


 ああっ…………


「……間に合って、よかった」



―――――――



 泣いている。

 嗚咽を漏らすことなく、まるで宝石のような大きな涙粒だけが……
 ポロポロと頬を、伝っていた。

 彼女は顔を上げ、その美しい泣き顔を隠しもせずに、じっと私を見つめている。
 まるで何かを言いたげな表情。

 まさか、感謝を伝えるつもりなのだろうか?


 ……違うのだ。


 キミのその涙、全ては私のせいなのだ……

 むしろ責められるべきなのは、私なんだ……

 そんな、無垢な瞳で……見ないでくれ!

 私は、合わせる顔もなく、彼女に背を向けた。
 それでも、背後で涙が落ち続けている気配に、耐える事は出来なかった。


 ……せめて、これくらいは。

 振り返り、懐から取り出したハンカチで、その涙をそっと拭った。

 決して、その肌に触れぬよう。

 決して、彼女を汚さぬよう。

 決して、彼女に想いを寄せぬよう。

 そんな私の内心を知らず、彼女の蜂蜜色の瞳はじっと、私と視線を合わせ続けていた。



―――――――

 

 目の前には一枚の書類。 一心不乱に必要事項を書き込み、確認する。

 なんたる失態。
 なんたる愚かさ。

 後悔、衝動、安堵、自己嫌悪、そして罪悪感。
 その夜の私は、かつてないほど多くの感情と戦っていた。

 もしも彼女が失われるような事態にでもなっていれば、私は生涯、自分を許せなかっただろう。

 最悪の事態にはならずに済んだ。
 だが、自身の汚れた欲望と愚かな判断が、彼女に恐怖を……そして危険をもたらした。

 その事実は、私の心に深い楔を打ち込んだ。
 結果的にケガが治ったから事なきを得たなどとは、露ほども思ってはいない。


 許せない。
 絶対に、ユルセナイ……


 調査局に帰還した後、ある決断をした。
 もう、この時すでに、私は狂っていたのだろう。

 付帯書類などは特に必要は無い。
 自身の権限だけで事足りる。


 優先するモノを……変えるのだ。


――彼女を、危機から遠ざけろ。
――私の監視下へ。 檻に、入れてしまえ。
 

 私は愚かだった。 ……愚かな行為だコレは。
 私は間違っていた。 ……間違っているのは承知の上。
 これが洗練された方法なのか? ……みっともなくても構わない。

 どんな事をしても。

 なんとしても。

 絶対に。

 キミを、守らねば、ならんのだっ!


 例え、キミの意志に、反しても……っ!! 


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下記店舗に対し、当局による調査の結果、当該営業活動において
看過できない問題が認められたため、営業停止を命ずる。

対象: 南街商会ギルド所属 サフラン香房

署名: 軍務省第二調査局副局長 ヴァルグレイ・ゼオファルド

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