「うっ……ぐすっ……」
ステンドグラスを透かす夕射しが、涙に濡れる彼女を美しく照らす。
吹き込む風に揺れる苺茶色の髪が、儚さと健気さを感じさせた。
それはまるで、春の幻のようだった。
そして、そんな彼女の姿を、死角から覗き見る者がいた。
……私だ。
そして気付く。
これはあの日の夢だ。
愚かで、みっともない、あの時の私だ。
私は、あの日からずっと、彼女に心を絡め取られている。
―――――――
そこは西街の往来。
真っ直ぐに進めば乗合馬車広場へと続く中通り。
そうだ……
あの日の私は、婚約破棄事件の聞き込みをしていた。
それは本来は一般捜査員がやるべき仕事だった。
だが、局長に嘯いて現場に出た手前、ある程度の雑務も織り込んでいた。
そんな折、私は見つけてしまった。
――運命の、女性(ひと)を。
健康的で柔らかな、丸みを帯びたシルエット。
目尻の下がった無垢な瞳。
凛とした意志を感じさせる眉。
陽射しに反射するふんわりとした苺茶色の髪は、彼女の優しい空気を体現していた。
まるで、春の陽射しをそのまま象ったように、雑踏の中であたたかく輝いていた。
自分が、女性をなんとなく嫌っている自覚はあった。
だが、彼女もまた女性なのだという当たり前の事実すら、この時は頭からは抜け落ちていた。
それほどに、奪われていた。
光に惑わされた虫のように、私は彼女に吸い寄せられていく。
視線はやがて、彼女の豊かな身体の線へと落ちていき……
私は彼女を、どうしても手に入れたくなった。
……枯れたハズの自身の欲望が、鎌首をもたげる。
その……
どうしようもなく、陽気で。
どうしようもなく、無防備で。
どうしようもなく、匂い立つその肢体を。
触れてはならないと知りながら、男としての視線を向け続けた。
…………視たい。
視たい。
視たい。
彼女の色を。
彼女の感情を、この眼で感じ取りたい。
理性よりも先に、指が眼帯へと伸びた。
ほんのわずかに持ち上げる。
彼女から滲み出た色を、映しとった瞬間……
「だ、誰さっ!?」
!?
反射的に眼帯を戻す。
気配は消していたつもりだった。
しかし彼女は恐るべき勘の良さで、私の視線を感じ取った。
…………気づかれたか?
とっさに身を隠した自分の胸の鼓動が、いつにない程に激しく脈打っていた。
彼女はこちらの方向から視線を切らない。
確信を持っているかのような様子だった。
私は、呼吸と鼓動を整えるのに必死だった。
やがて彼女は、意を決したように、路地裏へと足を運んだ。
……魔眼への憎しみ、彼女への罪悪感。
そのようなものは、この時は一切感じる事はなかった。
ただ、彼女を、もっと見たかった。
―――――――
往来のざわめきは、路地を一つ入っただけで遠くなった。
彼女は、路地裏の樽の影で仔猫のように身を縮めていた。
私は、見えない位置から屋根に上り、彼女の死角となる場所から様子を窺う。
名乗るという発想はまるで無かった。
むしろ、怯えた彼女の姿すら愛おしい、という興奮を覚えていた。
私は、一瞬たりとも見逃すまいと、彼女の姿を焼き付ける。
そのうちに彼女は、何かから逃げるように裏路地を走り出した。
私はそれを追いかける。
音も立てず、言葉も発せず、彼女を追いかける。
彼女が、私もよく知る教会へと逃げ込んだ際には、まるで獲物を捕えたかのような、奇妙な独占欲すら感じていた。
手早く死角に位置取り、長椅子に座った彼女を、再び見つめ続けた。
教会の中は、外よりもひどく静かだった。
高い位置に備え付けられたステンドグラス。
透かされた夕射しが、色とりどりの光の雨を降らせている。
厳かな光は、彼女の丸みを帯びた身体をやさしく彩っていた。
愁いの表情を見せる彼女は、まるで女神のように見えた。
私は無意識に、胸に手を置いていた。
……だが、私の奇妙な高揚も、そこまでだった。
「うっ……ぐすっ……」
耳に届いた、嗚咽まじりの声。
ゾッと、一気に肝が冷えた。
黒い感情が刹那に消え失せ、背中からどっと汗が噴き出す。
自分が何をしていたのかを、ようやく理解する。
彼女を泣かせた――その事実に頭が真っ白になった。
今すぐ謝罪したかった。
だが、姿を見せれば、彼女の怯えを助長させるだけだ。
どうすればいい? 一体、どうすれば……
ふと、教会のすぐ傍に、顔見知りの神父の家があった事を思い出す。
そうだ。
彼に、彼女を慰めてもらうのだ。
他に考えは浮かばなかった。
……………
彼女は泣き止み、いつの間にやら笑顔すら取り戻していた。
……愛らしい。
そして、良かった。
せめてもの慰めになればと、いつも身に着けていた銀のロザリオを神父に託していた。
これを、機を見て彼女に渡してほしいと。 罪滅ぼしのつもりだった。
大通りを元気よく駆けていく彼女を見送る。
これでいいんだ……
さきほどまでの、まるで正気でなかった自分を思い出し、ゾッとする。
あんな事は初めてだった。
今も、彼女の表情を思い出すだけで、正気を失いそうになる。
……忘れるべきだ。
これ以上、彼女を傷付けないために、怖がらせないために……
その未練と激情を断ち切るかのように、私は、外壁に拳を叩きつけた。
――だが、私の過ちは、これで終わる事は無かった。


