「オジさまっ!!」
リセリーナさんを跳ね除け、オジさまの元へ一直線に駆け寄る。
怖かった。
慣れない場所で、慣れないヒールで、慣れないドレスで……
何が起こっているのか分からなくて。
唯一、あたしが安心できる場所。
オジさまに縋り付きたかった……!
早く、あの胸の中に逃げ込みたい!
けれど、あと一歩という所で、足が止まった。
……そんな資格が、あたしにあるの?
自分で傷ついて、自分で投げ出して、自分で逃げたくせに。
オジさまに向かって伸ばした手が、行き場を失くす。
「……っ!」
「んあっ!」
そんなあたしの心の声などお構いなしに。
オジさまは、あたしの伸ばした手を取り、自分の方に引き寄せた。
そのまま、自らの背後へと優しく誘う。
ふわりと上品な香水の香りが鼻腔をくすぐる。
背中でしっかりとあたしを庇い、誰も寄せ付けないとばかりにぴったりと寄り添う。
それはまるで、あったかい毛布に包まれているような気分で。
密着するオジさまの身体に安心して、あたしは、思わず涙が一粒零れた。
……………
「……リセリーナ・オルヴェリス公爵令嬢。 名前を見た時は信じたくは無かったが……やはり貴様だったか」
「今は、アルテノット男爵夫人ですわ。 ”貴様”とは……失礼でなくて。 ヴァルグレイ様」
あたしを庇うオジさま。
そこに対峙する、楽しそうな表情のままのリセリーナさん。
やっぱり二人は、前から知り合いみたいだった。
「……私は貴様のしたことは忘れん。 忘れようはずもない」
「ウフフ。 あらあら、わたくし、貴方に何かしたかしら」
「……狂人め」
「あら、良いお顔ね。 フフ」
ずっと、淡々とした口調だったのに、リセリーナさんは今はとっても楽しそうだった。
綺麗な笑顔なのに……何だか見ているとぞわぞわする。
「……まさかとは思うが、妻のドレスの染み……貴様ではあるまいな」
オジさまの言葉に、怒気が乗る。
「そうだと言ったら、どうしますのかしら」
リセリーナさんはオジさまの怒気をものともしない。
そして、なぜか否定もしなかった。
それどころか、いかにもわたくしがやりましたわ、という態度。
「……妻への無礼は、決して許せるモノではない」
「ちょっと待って! 違うの、オ……ヴァルさま! これはリセリーナさんのせいじゃなくて、むしろ慰めてくれたの!」
「あら、ハルネさん。 お優しいのね。 因果を辿ればわたくしがやった事です。 わたくしのせいにしても良いのですよ」
……そうかもしれない。 けど!
「ううん! あの時くれた言葉も感情もホンモノだったもの。 それで元気が出たのは確かなんだから!」
「あらあら、ハルネさんは本当に人が良いのね。 フフ」
オジさまが一歩前へと踏み出す。
あたしの代わりに、自分が前に立つ、という意思を感じた。
「……正直そんな所だろうとは思った。 貴様の悪意は、いつも形が歪んでいる」
そうリセリーナさんに吐き捨てる。
「わたくしの事をとてもよく分かっておいでですのね、ヴァルグレイ様は。 さすが『元婚約者』ですわ」
こ、こ、婚約者?? どういう事!?
元、婚約者って!?
「……揺さぶりを掛けたいのだろうが、そうはいかない。 妻はそのような迷い言に惑わされはしない」
い、いや、オジさま!
あたし、めっちゃ気になってるんですけど!?
そんなあたしの内心を知ってか知らずか。
オジさまはあたしの方を向き、指先で、自身の瞳を示す。
何その仕草? ……あぁ! エモパレ!
あたしはすぐにリセリーナさんの感情色を確認する。
――先ほどにも増して、夕焼けよりも鮮やかなオレンジ一色で染まっていた。
……楽しんでいる?
「あら、読心の魔眼かしら。 挑発は無意味だと仰りたいのですね」
困ったわとばかりに頬に手を当てるリセリーナさんだが、感情が合っていない。
楽しい感情色から一切変わらない。
「……そのような話が出たのは事実だ。 だが、婚約などしていない」
「あら、そうだったかしら」
「……もっとも、私が貴様の邪悪さを知るには、一日で十分だったがな!」
オジさまにしては強い言葉。
「邪悪だなんて、人聞きが悪いですわ。 フフフ」
それを受け流し、柔らかく微笑むリセリーナさん。
そうか、これは……主導権の奪い合い!
「……妻を酷く怖がらせていたな。 相変わらず人を不快にさせる事しか知らんのか」
「それは誤解ですわね。 わたくしは、ハルネさんのステキな蜂蜜色の瞳を、間近で眺めていただけ……あらっ」
何かに気が付いたように、両手を胸の前でパチリと合わせるリセリーナさん。
「そういえば、アナタ方は同じ琥珀色の瞳。 てっきりわたくしはハルネさんの瞳の色と合わせたモノかと思っていたのですが」
「……」
「まさか、自分の色を贈るなんて。 ずいぶんと、女性にお優しくなりましたのね。 ”昔と違って”」
「…………」
「フフフ、黙ってしまって、どうしたのかしら。 お似合いですわよ。 その、”お揃いの”琥珀のピアス」
オジさまは黙ってしまっていた。
硬派なオジさまには、いくら偽装とはいえ、夫婦で対のアクセサリーというのはやっぱりイヤだったんだろうか?
あたしはすごく……すっごく嬉しかったんだけどな。
でも、オジさまが恥ずかしくて耐え難いというのなら、あたしも……
心配になって、そっと様子を見ようとした、その瞬間。
オジさまは、わずかに視線を伏せた。
そして、一拍。
静かに顔を上げる。
「……贈り物をして何が悪い。 妻に、自分の色を贈って何が悪い」
低く、しかし揺るがぬ声。
「ハルネは、私の世界に彩りを与えてくれる、ただ一人の太陽だ」
そして、強く――言い放つ。
「愛する妻に、揃いの物を贈って……何が悪いっ!!」
ぼん、っと一瞬で耳まで熱くなった。
愛する妻……愛する妻っ……愛する妻っ!
オジさまらしくない、でも熱の籠もった言葉に……
考えるよりも先に、胸の奥がきゅうっと苦しくなった。
真に受けるな! ……でも嬉しい!
同情なの? ……でもオジさまの熱が。
声は出なかった。
ただ、オジさまのジャケットを握る手と、その背中に額を押し付ける力だけが強くなって。
耳元で揺れる琥珀の感触が、やけにはっきりしていた。
「ウフフフ、わたくしの負けですね。 お熱いお二人……お似合いですわ」
リセリーナさんの言葉に、ハッと我に返る。
無意識にぎゅっと掴んでいたジャケットを握る手を、少し緩めた。
リセリーナさんはずっと笑顔のままで変わらない。
敗北宣言をしてもなお、場の主導権は変わった気がしない。
呆れも、悪意も、怖れもない。
生じるはずの感情は、どこにも出ない。
今もそこにあるのは――
――オレンジ一色。
その色が、何より恐ろしかった。
ごちゃごちゃで整理がつかないあたしの感情。
そこへ、さらに追い打ちをかけるような出来事が飛び込んできた。
――バァン!
「リセリーナっ……!」
ノックも無しにドアを開け放ったのは、一人の男性。
「まあ……エドリック!」
入って来た男性に即座に反応するリセリーナさん。
――オレンジ一色だったリセリーナさんの感情色が、ほんの一瞬で鮮やかなルビー色に変わった。
エドリック!?
じゃあこの人がエドリック・アルテノット男爵??
「え……?」
あたしは思わず驚きの声を漏らした。
ノクセラ草を買い漁り、危険な薬を調合し、
人とあまり関わらず、でも錬金術の心得があって、
サフラン香房を間接的に壊し……
そして、あの聖女のように綺麗で恐ろしいリセリーナさんが、鮮烈な愛情色を向ける相手。
正直、どんな精悍なイケメンなのかなと、想像を巡らせていたアルテノット男爵は……
一目で分かる気弱そうなお顔と……
とても、ふくよかなお腹を持っていた。


