【第2部】 エモパレ ~舞踏会編~ ―偽装夫婦になった私が、オジさま副局長に本当に選ばれるまで―



「アルテノット男爵夫人……」

 え?
 ……この人が?

 扉の向こうから、かすかな弦楽の旋律が滲んでくる。
 控えの小部屋は、さっきまでと同じように静かだった。
 でも、あたしの胸の内は、すでに落ち着きが無くなっていた。

 あらためて彼女の感情色をじっと見てみる。


――強い好奇の感情色。 イエローというよりゴールドに近い。


 あたしが名乗った「ゼオファルド」の名を気にしているようだった。
 それ以外に感情色は視えない。

 オジさまの情報によると、エドリック・アルテノット男爵自身が錬金術の知識を持っている。
 だから、ノクセリウムを作った犯人で間違いないだろう、とは聞いていた。

 ……そうすると、奥さんは?

 会った時から視えていた慈しみと心配の色は間違いなく本物。
 しかも、うんと鮮やかな翠色だった。

 あたしを慰めてくれて、気遣ってお茶まで入れてくれて……
 悪意だって一切視えない。

 ちょっと表情の変化に乏しい感じはする。

 だけど、貴族令嬢たるもの、自分の機嫌はあまり周りには見せないんじゃないかな。
 縦ロール令嬢は例外だったと信じたい。

 うん。
 この人は何も知らない可能性が高い。

「わたくしの顔が、どうかしたのかしら」
「え!? あ、その……すっごく気品に溢れた人だな、って思って!」
「ありがとう。 よく言われます」

 凄い。
 あたしの誉め言葉を真正面から受け止めるその姿勢。
 これは生まれた時からの淑女で高貴なお貴族さまだ。

 位は高くても優しそうな人だし、ちょっとお話を聞いてみようかな。
 危ない事はなさそうだし。 ……何よりオジさまの役に立つのなら!

「えっと、リセリーナさま…………ううん、リセリーナさんとお呼びしても良いですか?」

 親しくなるにはまず呼び名から!

「あら、素敵ね。 嬉しいわ。 では、わたくしもハルネさんとお呼びしますね」

 ちょっと無礼かな?とは思ったけれど、リセリーナさんは快諾してくれた。

「リセリーナさんのドレス、純白でキラキラしてて、とってもおキレイですね!」

 まずは褒めから。 会話の基本だ。

「ありがとう。 ハルネさんのドレスもステキですよ。 仕立てた方はアナタという人を良く理解していますのね。 とても似合っています」
「あ、ありがとうございます! リセリーナさんのドレスもよくお似合いです! やっぱり旦那さまに贈っていただいたんですか?」

 隙あらば男爵の事を捻じ込んでみる。
 ……ちょっとわざとらしかったかな?

「いいえ、ドレスはわたくしが選んだものです。 このチョーカーは、夫に着けてもらった物ですが」
「旦那さまにですか? ステキですね! ……男爵さまのお名前を伺っても良いですか?」
「ええ。 エドリック・アルテノット男爵。 わたくしの夫ですわ」

 意外にもあっさり答えてくれた。

 エドリック・アルテノット男爵…………やっぱり、間違いない!

「リセリーナさんは……」
「何かしら」
「……旦那さまを、愛してらっしゃるんですか?」

 何げなく聞いた質問だった。
 さっき、あたしを慰めてくれた時の口ぶりが気になったから。

 しかし、その軽い気持ちで聞いた質問から、思いもしないリアクションが返って来た。

――え? な、なに? あっつっ!

 それは……言うなれば、熱い波。

 アクティブにしていないエモパレの感知を貫通した、リセリーナさんの感情の温度だった。
 

「ええ、そうですね。 わたくしは、夫をとても愛しています」


――それは桃色を遥かに通り越した、まるでルビーのような鮮烈な愛情の色だった。


 淡々とした口調に似合わない、強烈な感情。
 実際の熱波では無いはずなのに、思わず腕で身体を庇ってしまった。

「どうかしましたか?」
「あ、あぁ! 何でもないんです! リセリーナさんが旦那さんを本当に愛しているんだなというのが、つ、伝わってきて……」
「そう」
「あ、あの、その旦那さんは、今どちらにいらっしゃるんですか?」

 何とか気を持ち直して、質問を重ねる。

「夫は今、ホールの方で少しでも知己を得ようと努めています」
「へ、へぇ」
「今度、わたくしたちのお屋敷で、初めての社交パーティーを開きますのよ」

 先ほど見せた激情なんかまるで無かったかのように……
 穏やかな顔で答えてくれるリセリーナさん。

 今も愛情の感情色は一切変わらず。
 すごいその……我の強い方なのかも。
 ちょっと怖い。

 でも社交パーティーって……?

 オジさまの話だと、アルテノット男爵は社交性が皆無みたいな話じゃなかったっけ?

「ハルネさんは……」
「え? あ! はい!」
「ゼオファルド卿とは、どのようにお知り合いになったのですか?」
「え? あっ、と、それは……」
「わたくしの知るゼオファルド卿は、女性嫌いで名を知られていたはずですが」
「女性嫌い……」

 リオーネさんや侯爵さまも言ってたけど、そんなかなぁ?

「あた……私にはとっても優しいですよ?」
「面白い方ね。 ハルネさんって」
「? ありがとうございます。 オジ……ヴァルさまとは、私のお店が事件に巻き込まれた時に知り合って、それからその……私の方が…………好きになっちゃって」
「あら、ステキ。 令嬢方が好みそうなお話ですわね」


 まさかその事件に貴方の旦那さまが関わっていましたよ、なんて言えない。


「そのゼオファルド卿は今どちらにいらして? こんなアナタを差し置いて」

 リセリーナさんが、あたしのドレスの染みに視線を落とす。

「えっと、そのぉ、ヴァルさまは、用事があって……」


 貴方の旦那様を調べてますよ、なんて言えない。


「薄情なものですね。 このような可愛らしい奥様を放っておくなんて」

 言い方にちょっとトゲがあった。
 やっぱりリセリーナさんはオジさまをよく知っている?

「あ、あはは! 私が悪いんです。 ちょっとお嬢様方に生意気な口を聞いてしまいましたから」
「ですが、衝動的に飲み物を掛けるとは、粗暴ですね」
「洗礼だって言ってました。 それくらい生意気だったんだと思います」

 最初に水を避けちゃったのもあるし、アレが癇に障ったのだろう。

「あの方たちも、初めはそこまでする気は無いと言っていました」
「そんな事言ってたんですか?」


「ええ。 どうやら、感情が増幅するというのは確かなようですね」


――空気が変わった。


 ん?

 え?

 ……ちょっと理解できなかった。

 話が繋がってなかった。

 リセリーナさんは、今、何て言ったの?

「あの、リセリーナさん? 感情が増幅? って、どういう……」
「そのままの意味です。 ハルネさんまで曇らせてしまうとは思いませんでしたが……効果を確かめる良い機会にはなりました」
「効果? 確かめる?」
「ええ。 でも、聞いていたほどではありませんでしたね。 一人分を三人分で割ったからでしょうか」

 ちょ、ちょっと待ってっ!
 何の話をしているの!?

 ずっとお互いに和やかにお話しているつもりだった。

 リセリーナさんの表情も口調も、スンとしたまま一切変わらない。

 このケーキ、思ったよりベリーの酸味が強いわね? みたいな言い方で……
 まるで日常会話のように話しているけれど、これは……っ!?

「ちょ、ちょ……ちょっと待ってリセリーナさん!」
「なにかしら」
「えっとその、ハ、ハッキリ聞きますけど、あの令嬢たちに、く、薬を、盛ったんですか!?」
「ええ、そうね」

 あたしの方も、いくら何でも聞き方が直接的過ぎたと思った。

 けれど、リセリーナさんは、本当にあっさりその事を認めた。
 全く悪びれる様子も無い。

「ど、どうして……な、なぜ、そんなことを?」
「なぜ、と申されても……ノクスミアの効果を確かめてみたくて」

 ノクスミア? ……ノクセリウムじゃなくって?

 名前と口ぶりからすると、きっと改造薬だ。
 いや、今はそんな事よりも……!

「そんな……効果も怪しい薬を、ただ知りたいってだけで、飲ませたんですか!?」
「ええ」
「え? だ、だって、そんな怪しい薬を飲ませて……か、彼女たちがどうなるか考えなかったんですかっ!?」
「知りたかったものですから」

 あたしも調薬に携わる者として、怪しい薬を勝手に飲ませるなんて絶対に許されない事……

 ううん、そんなの関係ない。
 人として……おかしい!

 思えばずっと違和感があった。

 リセリーナさんの話し方はやけに淡々としていて……
 高貴なお嬢様ってそんな感じなのかなって思ってた。

 でも違う。

 さっき、旦那さんへの愛情の強さを見て分かった。

 感情と話しぶりが、チグハグなんだ。

 言葉をなぞっただけのような口ぶりで。
 なのに、気持ちは確かにあって……

 上手く言えないけど、そう、”ズレ”てる。

 でも、そんな事よりも、今、あたしはとっても怖い。
 何が怖いのかって……


「……」


 この、何かあったかしら?と、とぼけたような表情をしているリセリーナさんの感情色には……


――これっぽっちも、悪意の感情色が視えなかった。


 そこにあるのは興味と心配の色だけ。

 この心配もきっと、令嬢たちに向けてじゃない。
 今、様子のおかしいあたしに向けられたモノだ。

 出会った時から、あたしに対して見せてくれている慈しみの感情は、紛れもなく本物。
 でも、人を害してる自覚があって、ほんの欠片も悪意を抱かない人なんて、見た事なかった。

 分からない。

 この人がまるで理解できない。
 

 こ、怖い……


「あら」

――リセリーナさんの感情色が、急激に興味のイエローゴールドに染まる。

「ハルネさん……アナタ」

 リセリーナさんの鮮やかなルビー色の瞳が、不意に迫る。
 思わず仰け反ったあたしの膝がテーブルにあたり、衝撃でカップがガチャリと鳴った。


「アナタ、異能持ちなのですね?」
「ひくっ!」


 え!? ……なんで!?

「時折、瞳の色が揺らいでいるのが気になっていました。 それに、さきほどからわたくしを見る目が、まるで観察をしているようで」
「……うっ」

 リセリーナさんの手が、あたしの頬にそっと添えられた。

 顔が近づく。

 紅い瞳と目が合って、その視線に縫い止められたように逸らせなくなった。

 そして、彼女は……にっこりと……楽しそうな笑みを見せた。
 まるで新しいおもちゃを見つけた時の子供のように。

「あら、やっぱり。 魔眼ですね。 ウフフ……ハルネさん、アナタのその魔眼は何が視えるのかしら。 感情? 心の声? あるいはわたくしの未来でしょうか。 ウフフフ」
「ひっ……」
「ステキな瞳ね。 とっても……面白いですわ、ハルネさん」

 リセリーナさんの紅い瞳が、すぐ目の前にある。

 っ、はぁ……はぁ……!
 い、息が、うまく吸えない……!


 その時。


 鋭いノックが、小部屋の静けさを破った。
 次の瞬間、返事を待たずに扉が開く。


「……失礼する! っ、ハルネ! やはりここにいたか!」


 その声を聞いた瞬間、止まっていた呼吸が戻った。
 胸が詰まって、目頭が一気に熱くなる。


 離れていたのは、ほんの少しの間。

 けれど、あたしはずっとずっと、その声を待っていた。

 小部屋に勢いよく踏み込んで来たのは……

 今宵のあたしの旦那様――ヴァルさまだった。