賑やかで煌びやかなエスタラン侯爵邸とは打って変わり、第二調査局の衣装室は別世界のように静かだった。
椅子に腰掛けたリオーネの膝の上で、トリサはリオーネの魔女帽を手にしていた。
超裁縫のスキルは使わず、ゆっくりちくちく、しかし精密な動作で可愛らしいリボンを縫い付けている。
「……大丈夫かしら。 ハルネちゃん」
膝の上のおかっぱ頭を、まるで猫のように撫でながら、リオーネはふと呟いた。
「だいじょぶ。 ハルねーさんのドレス、トリサとしてはココ一番の出来でござい」
手元から目を離すことなく、トリサは答える。
「そうね、似合ってたものね。 ……あの子はどこか自分に自信が無さそうで」
「ハルねーさん、おキレイでございよ?」
「それは本当にそう。 ハルネちゃん、愛嬌もあるし、お肌もキレイだし。 メイクもノリが良いから気合入れちゃったわよ」
「あったかくて、いい匂いでトリサも好き」
ハルネを褒め合う二人の間に、どこかのんびりとした空気が漂う。
「それにしても待機はヒマねぇ……レルガ坊やは?」
「兄は任務で副局長と一緒に付いていったでござい」
「正装で無しに? 別の潜入任務かしら? レル坊も忙しいわね。 さっき廊下で見かけたリカルドなんかはヒマそうだったのに」
「あのオジ嫌い。 キモイでござい」
リカルドがトリサを特に可愛がっていて、お菓子で餌付けをしているのは、調査局内の周知の事実だった。
「お菓子なら副局長もくれるから十分でござい」
「ヴァルグレイが? 初耳だわよ。 アイツそんなとこあるんだ……お子ちゃまには優しいのかしら?」
「副局長は顔は怖いけど優しいから好き。 ハルねーさんを見る目も優しかったでござい」
「…………」
トリサのその言葉に、リオーネは少し複雑そうに、それでも口元を綻ばせた。
先日の夜のハルネの部屋での事を思い出す。
からかうネタが欲しかっただけなのに、くすぐったい記憶が蘇ってしまった。
昔、ちょっといいなと思っていた相手が、あんな顔で人を見るようになった。
その事実は、思った以上に胸に来た。
ハルネに対して、ほんの少しの嫉妬も湧いた。
けれど、それ以上に、二人が作り出す清らかで穏やかな空間が、どこか尊かった。
あんなに透明で綺麗な物を、自分が持ち合わせる事は到底できない。
「出来たでござい!」
膝の上のトリサの声に驚く。
少しばかり物思いに耽っていたようだ。
可愛らしいリボンが追加された魔女帽を掲げるトリサ。
微笑ましいウチのマスコットの仕事に、思わず笑みが零れた。
「あらかわいい」
トリサから渡された魔女帽を受け取り、いつも通り目深に被る。
リオーネは、さきほど胸を掠めたハルネへの嫉妬を打ち消すように、大人の笑顔を浮かべていた。
―――――――
「キミは、実に美味しそうに食べるね」
「ほふっ?」
ビュッフェテーブルに突然現れた侯爵の息子さんに、あたしは何の準備も出来ていなかった。
醜態を見られたという事実よりも、まず返事をしなければという思考が働く。
「ほ、ほうはふ……お、ごっほ、ごっほ!!」
案の定、盛大にむせ返る。
粉ものを頬張っていたのだからそりゃ当然だ。
「ああ、大丈夫かい? ほら、お水だよ」
「んっぐ! んぐ!」
渡されたお水をひったくるように受け取り、両手で飲み干す。
「ぐっ、はっ、はぁ…………はぁ」
「…………」
目の端に涙を浮かべながら呼吸を整える。
とんだ醜態だが、イケメン息子さんはニコニコとあたしの呼吸が整うのを待ってくれた。
「お、お待たせしました。 そして、大変失礼いたしました……」
「ああ、気にしないで。 いきなり声を掛けてしまったこちらにも非があるからね」
イケメン息子さんは気遣いのある優しい方だった。
近くで見ると、やっぱり顔が整っている。
「ところで、あた……私に、何か用ですか?」
さっき視たドピンクの感情色のインパクトを警戒して、ちょっと探ってみるが、
――ほんのり好奇の黄色。
そういえば、おもしれー女枠になったんだっけ。
「さっきは父上もいたから、私も前に出るワケにはいかなくてね。 実はキミと話したかったんだ」
「え? 私と?」
何か粗相でも……
「ご挨拶が遅れてしまったね。 私はルシアン・エスタラン。 エスタラン侯爵家の嫡男だ。 どうぞよろしく、ハルネさん」
胸に片手を添え、軽やかに上体を傾けるルシアンさま。
……こういう仕草ってイケメンがやるとサマになるよねぇ。
「あ、こちらこそ。 ……ハルネ・ゼオファルドです」
心の中で一度、名乗りを準備していたはずなのに、少しだけ言葉が詰まった。
あたしも慌ててドレスの裾を摘まみ、見よう見まねのカーテシーを返す。
「ゼオファルド卿の女性嫌いはそこそこ知れていてね。 そんな彼が妻と紹介する人がどんな人だろう、という興味がまず一つ」
「はあ……」
それが好奇のイエローの方か。
おもしれー女枠じゃなかった。
「もう一つは……そっちが本題なんだけれどね」
「はい」
「実はね……」
「はあ……」
随分引っ張るじゃん、と思って油断していた。
ルシアンさまの視線の種類が急に変わる。
好奇から、まるで狙いを定めるような視線へ……
しまった!
そうだ、ここは貴族の舞踏会。
あまり油断していい場所では無かった。
威厳のあるエスタラン侯爵を彷彿させる、鋭い視線。
身がまえる間もなく、ルシアンさまが言葉を継いだ。
「実は…………ハルネさん! 私はキミが、すっごく好みで!!」
「…………は?」
は?
「最初に見た時からずっと思ってたんだ! キミのような娘は初めて見たんだよ! なんて凛々しく、生命力に溢れた娘なんだろう、って」
「は、はぁ……」
な、なんなのさ……
あたしなんて別に、珍しいもんじゃないと思うんだけど……
「そのドレスもステキだよ! キミのような見目柔らかそうな人には、その丸みを帯びたラインが本当によく似合う。 動くたびに布が揺れて目を奪われる」
「え、ええ……」
見目柔らかいってなにさ。 初めて聞いたよ。
褒めてるんだか貶してるんだか……
――ルシアンさまの感情色は再びドピンクに変わっていた。
彼の頬は紅潮し、興奮が収まる様子もない。
「先ほどの食べっぷりも、見ていて実に気持ちが良いよ! こういうフィンガーフードは嫡男である私が用意するのだけれど、みんなあまり食べてくれなくてね」
「う、うい……」
た、たいへん美味しゅうございましたよ?
「キミを見ているとなんだか安心するんだ! 醸し出す空気なのかな? 太陽のように場が明るくなるというか……気取らない笑顔もすごくイイ!」
「あ、ありがとうございます?」
めっちゃ持ち上げるじゃん?
興奮しているけれど、親しみやすそうに笑った顔が、ちょっとだけあたしを怯ませる。
それにしても……
ドピンクな感情色に反して、ルシアンさまの視線はあたしの胸元でなく、ちゃんと顔を見てくれてるのはちょっと好感度高い。
「私の周りに集まる令嬢は華奢な女性が多くてね。 キミのような曲線豊かなお嬢さんは、とても珍しくて魅力的なんだ」
うん?
段々あやしくなってきた。
「とにかく私は、キミのようなふくよかで、柔らかそうな女性が大好きなんだ!」
――感情色がドピンク……から、薄紅色へと変化した。
さっきまでの熱っぽさとは、少し違う。
え? え?
それってつまり……
「ゼオファルド卿とは、あくまで仮初の夫婦関係なのだろう?」
「あ、う、え~と……」
さっき侯爵さまと話してた時に、ルシアンさまもいたしね。
そういうのは全部バレてるか。
「どうだろうか? キミさえ良かったら、私と婚……」
「ルシアン様! こんな所にいらっしゃったのですか!?」
あたし達の会話に割り込んで来たのは白髪でお髭で、ピシっとしたタキシードを着た老人。
雰囲気から察するに執事さんだ。
「ああ、じいや! ちょうどよかった。 君にも彼女を紹介……」
「ルシアン様! ローレンツ様が、すぐにお戻りになるようにと! お怒りですぞ!」
「あ、あぁ、やっぱり途中で抜けるのはダメだったか」
執事さんの話しぶりから、ルシアンさまは、侯爵さまと何かしてたのを途中でブッチしてきたようだ。
「ごめんねハルネさん? 私はもう行かなくては。 我が侯爵家のパーティー、是非楽しんでね?」
「ルシアン様! お早く!」
執事さんに引きずられるルシアンさま。
「また会おうね!」という言葉を残し、後ろ髪を引かれるように去ってしまった。
なんだったんだ……
怒涛のようにあたしを褒めてくれたかと思えば、急にぽつんと残されたあたしは所在なく立っているしかなかった。
「ん~……とりあえず食べよう」
ロースト肉の乗ったカナッペを右手に取りつつ考える。
なんだかいっぱい褒めてくれた。
ルシアンさまは、どうやらあたしのようなぽっちゃり娘がお好きのようだ。
あたしなんかが、って、ずっと思ってた。
こんな体型じゃ選ばれるはず無いって、どこか諦めてた。
――「キミを見ていると安心するんだ」
マスコット的な可愛さなのかもしれない。
世の中には色んな趣味の方がいるとも聞く。
それでも……デリカシーに欠けるお褒めの言葉だったけども。
思い出すと、ちょっと頬がニヤけてきた。
……あれ? もしかして今のあたしって結構イケてる?
…………うん! イケてるよ!!
だってトリサちゃんが、こんなにあたしに似合うドレスを仕立ててくれて、
リオーネさんも、こんなに大人っぽいメイクを施してくれて、
オジさまだって「キレイだ」って言ってくれたし!
いくらあたしだって、褒められて嬉しくないはずがない。
ルシアンさまはちゃんとドレスも褒めてくれたし!
……ふふふ、なんだかとっても気分が良い!
ナッツのミニパイも手に取って、思わず踊り出しそうなテンションに心が弾む。
「あはは! あたしってば、結構モテるんじゃ~ん?」
右手にカナッペ、左手にミニパイ。
上がったテンションを抑えきれず、気分のままにくるりと回る。
そうなの、ここは舞踏会。
たくさん縫い付けられたオーガンジーを乗せたドレスの布が、
辺りにふわりと、ご機嫌の花を咲かせた。
……………
今度は飲み物でも楽しもうと、テーブルを移動しようとすると、またしても突然声を掛けられる。
「そこのキミ。 少しよろしいか?」
上がったテンションに流されるまま、ちょっとスキップ気味で歩いていた。
そんなあたしは、思わずご機嫌の返事を返してしまった。
「はいはい、なぁんでしょう~?」
振り返ったあたしの視界に入ったのは、真ん中に立つ黒髪ロングの令嬢。
その背後、右にはブルネットの縦ロール、左には氷色のボブ髪。
三人の令嬢が、揃ってこちらを見ていた。
「まぁ、はしたない事! ここが侯爵邸という高貴な場である事をお忘れなのかしら?」
右後ろの縦ロール令嬢から、チクチク言葉が飛んできた。
「……人目を引くお姿なのですから、せめて慎みをお持ちになれませんコト?」
左後ろの氷色髪の令嬢からの言葉も続く。
それはあたしの体型の事を指しているの?
ふふん。
そんなのであたしが怯むと思ったら大間違いよ。
そんなの悪口……香房で言われ慣れてるわよ!
前世で垣間見た、テンプレシーンを思い出しながら、心の中で袖を捲った。


