好きでいっぱい

翌日。
朝から空は薄い雲に覆われていた。
雨は降っていないけれど、湿った空気がゆっくり流れている。

「……今日も会えるかな」

小さく呟く。
恋人になってから、こうして“会いたい”と思う時間が増えた。

昨日の雨宿りのことを思い出す。
軒先でつないだ手。
車の中で聞いた雨音。
部屋の前で交わした「また明日」。

胸の奥が静かに温かくなる。



仕事を終えて外へ出ると、夕方の空は淡い色をしていた。
雨は降りそうで降らない。
そんな曖昧な天気が、今の自分みたいだと思う。

カフェ・ルーチェの前まで来ると、扉の向こうからコーヒーの香りが漂ってきた。

「……入ろう」

昨日より少しだけ迷いが短かった。

扉を開ける。

「いらっしゃい」

悠真さんが、いつものように笑った。
その笑顔を見るだけで、胸が軽くなる。

「今日も来てくれて嬉しいです」

「……来たくなったので」

言葉にすると照れくさい。
でも、もう隠す必要はない気がした。



窓際の席に座ると、悠真さんがラテを運んできた。

「昨日の雨、すごかったですね」

「はい……でも、楽しかったです」

「僕もです」

少し照れたように笑う。
その笑顔が、昨日より近く感じた。

「雨宮さん」

「はい?」

「昨日、部屋の前で言おうと思ってたことがあって」

胸が跳ねる。

「……なんですか?」

悠真さんは少しだけ視線を落とした。
それから、ゆっくりと口を開く。

「雨宮さんと歩く帰り道が、すごく好きです」

胸がぎゅっとなる。

「昨日も……雨宿りのあと、車に戻るまでの時間がすごく嬉しくて」

「……私もです」

言葉にすると、胸がまた静かに満たされる。



閉店後。
外は雨が降りそうで降らない曇り空だった。

「今日は……歩いて帰りませんか?」

悠真さんが言う。

「歩いて……?」

「はい。雨、まだ降ってないので」

胸がじんわりと温かくなる。

「……はい」

二人で並んで歩く。
昨日より近い距離。
肩が触れそうで触れない。

「雨宮さん」

「はい?」

「手、つないでもいいですか?」

昨日より自然な声だった。

私は小さく頷いた。

そっと重ねられた手は、雨が降っていないのに温かかった。

「雨、降らないといいですね」

「……降ってもいいです」

「え?」

「桐生さんと一緒なら……どっちでもいいので」

悠真さんは少し驚いたように、それから静かに笑った。

「僕もです」



アパートの階段を上がる。
隣同士の部屋の前で立ち止まる。

「今日も……ありがとうございました」

「いえ。僕の方こそ」

昨日より少しだけ名残惜しい沈黙が流れる。

「じゃあ……また明日」

「……はい」

昨日より近い距離で交わす「また明日」。
その言葉が、曇り空の夜を優しく照らしていた。



部屋に戻ると、レシピノートを開いた。

新しいページに、そっと書く。

『雨が降らなくても、桐生さんと歩く帰り道は温かかった。
手をつないだ時間が、昨日より少し長かった。』

ページがまた一つ増える。
二人の時間が、また一つ増える。

曇り空の帰り道は、今日も静かに恋を進めてくれた。