好きでいっぱい

翌日。
図書館の窓から見える空は、薄い灰色をしていた。

「降るかな……」

小さく呟く。
天気予報では“夕方から雨”と出ていた。

雨。
それだけで胸が少しざわつく。
雨の日は、いつも何かが起きる気がしてしまう。

昨日、レシピノートに書いた言葉を思い出す。

『また一緒に歩きたいです。』

書いた瞬間は恥ずかしかったけれど、
今はその気持ちが胸の奥で静かに膨らんでいた。



仕事を終えて外へ出ると、空はさらに暗くなっていた。
風も少し冷たい。

「降りそう……」

鞄の中の折りたたみ傘を確かめる。
昨日は“念のため”だったけれど、今日は本当に必要かもしれない。

駅へ向かう道を歩く。
カフェ・ルーチェの前を通ると、店内の明かりが温かく見えた。

入ろうか。
やめようか。

その迷いは、昨日より少しだけ短かった。

私は扉を開けた。

「いらっしゃい」

悠真さんが、いつものように笑った。
その笑顔を見るだけで、胸が少し軽くなる。

「今日、雨降りそうですね」

「はい。帰り、気をつけてくださいね」

その言葉が、昨日より少しだけ恋人らしく聞こえた。



窓際の席に座ると、ぽつり、と窓に雨粒が落ちた。

「……降ってきましたね」

「ですね」

悠真さんはコーヒーを淹れながら、ちらりと窓を見た。

「帰り、送りますよ」

心臓が跳ねた。

「え、でも……」

「昨日も散歩したし、今日も一緒に帰れたら嬉しいです」

その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。

嬉しい。
でも少し怖い。
でもやっぱり嬉しい。

「……お願いします」

小さく答えると、悠真さんは安心したように笑った。



閉店後。
雨は本降りになっていた。

「傘、あります?」

「折りたたみが……」

鞄から取り出した傘は、思ったより小さかった。

悠真さんは少し笑った。

「それだと濡れますね」

「え……」

「こっち入ってください」

差し出されたのは、悠真さんの黒い傘。
昨日よりも、ずっと自然な仕草だった。

二人で傘に入る。
肩が触れそうで触れない距離。
雨音が静かに響く。

「昨日より近いですね」

悠真さんが冗談めかして言う。

「……そうですね」

照れながら答えると、悠真さんは少しだけ傘を寄せた。

「濡れないように」

その優しさが、胸に静かに染みていく。



帰り道。
雨は強いのに、心は不思議と穏やかだった。

「雨宮さん」

「はい?」

「今日も来てくれて嬉しかったです」

その言葉は、昨日よりずっと近く感じた。

「……私も、嬉しかったです」

言葉にすると、胸が少し熱くなる。

アパートが見えてくる。
別れ際が近づくほど、少しだけ寂しくなる。

「また……来てもいいですか?」

自分でも驚くほど自然に言葉が出た。

悠真さんは、雨の中で静かに笑った。

「もちろんです」

その笑顔が、雨の夜を優しく照らしていた。



部屋に戻ると、雨音が少しだけ心地よく聞こえた。

レシピノートを開く。
昨日書いた言葉の隣に、そっと書き足す。

『今日の帰り道も、好きでした。』

ページがまた一つ増える。
二人の時間が、また一つ増える。

雨の夜は、いつも何かが起きる。
その予感は、今日も当たっていた。