好きでいっぱい

朝から細い雨が降っていた。
静かで、やわらかくて、
世界をゆっくり濡らしていく雨だった。

「今日は会う約束してなかったけれど……会いたいな」

気づけば、そんな言葉が胸の奥に浮かんでいた。
約束していないのに会いたいなんて、
少し前の自分なら考えもしなかった。

昨日のすれ違いが解けて、
胸の奥が少しだけ軽くなったからかもしれない。

ふたりで過ごす時間が、
雨の日の温かさみたいに恋しくなる。



夕方。
カフェ・ルーチェの扉を開けると、
雨の匂いとコーヒーの香りが混ざり合っていた。

「いらっしゃい」

桐生さんが、昨日より少し柔らかい笑顔で迎えてくれた。

「雨宮さん、今日は来てくれると思ってました」

胸が跳ねる。

「……どうしてですか?」

「なんとなくです。
昨日、話せて……距離がまた少し近くなった気がしたので」

その言葉だけで胸が温かくなる。

「今日、少しだけ……未来の話をしたいんですけど」

未来。
その言葉が、雨音より静かに胸に届いた。

「……はい」



閉店後。
雨は弱くなっていた。

軽ワゴンの中で、ふたり並んで座る。
雨音が遠くで響いていた。

「雨宮さん」

「はい」

「最近、ふたりで過ごす時間が……
“このまま続いていったらいいな”って思うことがあって」

胸がぎゅっとなる。

「……私もです」

桐生さんは少し照れたように笑った。

「いつか……なんですけど」

胸がまた跳ねる。

「一緒に住むことを、
少しだけ具体的に考えてみてもいいですか?」

言葉が出てこなかった。
でも、胸の奥は静かに満たされていく。

「もちろん、すぐじゃなくていいです。
来月とかじゃなくて……
もっと先でもいいです」

「……はい」

「ただ、
“ふたりで同じキッチンに立つ未来”とか、
“同じテーブルでご飯を食べる未来”とか……
そういうのを少しだけ想像してしまって」

雨音が静かに響く。

「雨宮さんとなら、
ゆっくり進める気がするんです」

胸が熱くなる。

「……桐生さん」

声が震える。

「私も……
昨日、桐生さんの部屋で料理して……
すごく落ち着いて……
“こういうの好きだな”って思いました」

桐生さんは静かに頷いた。

「よかったです」

「……はい」

「じゃあ……
ゆっくりでいいので、
少しずつ未来の話をしていきましょう」

「……はい」

その言葉は、雨音より静かに、でも確かに胸に届いた。



隣同士の部屋の前で立ち止まる。

「雨宮さん」

「はい」

「未来の話、
ゆっくり一緒に考えていきましょうね」

「……はい」

昨日より少しだけ深い「また明日」。
その言葉が、雨の夜を優しく照らしていた。



部屋に戻ると、レシピノートを開いた。
今日は、桐生さんの書き込みが先にあった。



◆レシピノート(新しい一冊・6ページ目)

桐生悠真
『雨宮さんと過ごす時間が、
少しずつ未来を想像させてくれます。
急がなくていいので、
ゆっくり一緒に考えていきたいです。
同じキッチンに立つ日を、
いつか迎えられたら嬉しいです。』

雨宮陽菜
『未来の話をするのは少し怖いけれど、
桐生さんとならゆっくり進める気がします。
同じキッチンに立つ未来を、
少しだけ想像してしまいました。
ゆっくり、隣で進みたいです。』



ページがまた一つ増える。
ふたりの時間が、また一つ増える。

雨の日は、今日も静かに恋を進めてくれた。