君に届けるラスト・スパイク!

☆第1話:空を駆ける孤高の翼

「――そこっ!」

東中学校体育館。高い天井に向かって、ひとりの少女が跳んだ。
東中女子バレー部部長、遠坂梨奈(とおさかりな)。
ポジションはオポジット(ライト)。
彼女の身体能力は県内屈指と言われていた。
助走のスピード、地面を蹴る爆発的な筋力。
空中でふっと静止するかのような滞空時間は、見る者を圧倒する。

しかし、打ち出されたボールは無情にも相手コートの大きく外へ、ネットの支柱すれすれに外れて床を叩いた。

「またアウト……。梨奈、力みすぎだよ」
コートの脇で、マネージャーの女子生徒がため息をつく。
梨奈は着地すると、荒い息を整えながら自分の右手をぎゅっと握りしめた。

(分かってる……! でも、もっと強く、もっと速く打たなきゃ、このチームじゃ勝てない!)

現在の東中女子バレー部は、現在部員不足とモチベーションの低下に悩んでいた。
かつての強豪だった面影はなく、試合になれば梨奈が一人で無理な体勢からスパイクを打ち、ブロックに捕まるかアウトになるかのどちらかだった。

「自分がもっと圧倒的な点数を取らなきゃいけないんだ」

そう思い詰める梨奈の背中は、いつの間にかチームメイトたちとの間に大きな溝を作っていた。

放課後、練習を終えてトボトボと帰路につく梨奈の耳に、ふとボールを打つ乾いた音が届いた。
隣町の公園にある屋外コート。見知らぬ見慣れないジャージを着た、黒髪の少女がひとりで壁打ちをしていた。

(あの子……誰だ?)

足を止めた梨奈の前で、その少女はぽんと軽くボールを宙に放り投げた。
――瞬間。
どくん、と梨奈の心臓が大きく跳ねた。
少女のフォームは無駄がなく、あまりにも美しかった。
トスを上げるその指先が、まるでピアノの鍵盤を叩くように優しく、かつ正確にボールを導き出す。

「……っ!」

思わず見とれていた梨奈に、少女はピタリと動きを止め、冷ややかな、しかしどこか見透かすような瞳を向けた。
少女の名前は、相田環奈(あいだかんな)。
小学校時代から全国にその名を轟かせた、伝説の絶対的セッターだった。

環奈は梨奈を一瞥すると、ふっと小さく鼻で笑った。

「ねえ、あなた。さっきからそこで見てるけど……そんな力任せのジャンプじゃ、いつか膝を壊すか、一生ボールがコートの内側に落ちないわよ」

「なんだって……!?」

カッとなった梨奈は、思わずネットの網を掴みかけた。

「私のジャンプの何が分かるっていうのよ! 私はチームを勝たせるために――」

「チームのため?」

環奈は冷ややかに遮った。
そして、フッと不敵な笑みを浮かべ、梨奈の足元を正確に射抜くようなトスを片手でポンと放り上げた。

「お前のその無茶なジャンプ、私のトスならもっと空中で止まって見える」

その言葉に、梨奈の全身の電気が走ったような衝撃が走った。
これが、二人の運命的な出会いだった。






☆第2話:噛み合わない歯車

「今日から東中に転校してきた、相田環奈です。よろしく~」

翌朝のホームルーム。教壇に立った環奈は、昨日の少女そのものだった。
どよめく教室の中で、バレー部部長の梨奈は席から立ち上がり、フンと顔を背けた。
(よりによって、あんな生意気な奴がうちの学校に……!)

放課後、当然のようにバレー部の練習場に現れた環奈は、部員たちのどよめきを無視して、すっとユニフォームに着替えた。
「今日から私もこの部活に入るわ。で、早速だけど、梨奈のスパイクを打たせて」

「……上等よ。後悔しても知らないんだから」
梨奈は闘争心を剥き出しにしてコートに立った。

練習試合の形式を取り、環奈がセッター、梨奈がオポジットとして対峙する。
「いくよ、お山の大将」
環奈のトスが上がる。

――瞬間、梨奈の背筋が凍った。

(……なんだ、これ……っ!?)

いつもなら、セッターのトスに合わせて自分からタイミングを必死に合わせにいかなければならない。
しかし、環奈の上げたボールは、まるで意思を持っているかのように、梨奈が一番跳びやすい最高到達点の「その場所」へ、完璧なスピードと回転で吸い寄せられていった。

あまりの正確さに、梨奈は逆にタイミングを狂わされた。

「っ……遅い!」

慌てて跳んだものの、ジャンプの最高潮のタイミングとボールが到達する瞬間がわずかにズレる。
体勢が崩れたまま放たれたスパイクは、無残にもネットの手前に突き刺さった。

「ドンマイ。……でも、下手くそね」

環奈は涼しい顔で言い放った。

「は……!? 今のはアンタのトスが変だったから――」

「違うわ。私のトスは完璧よ。ズレたのは、お前が自分の身体の跳躍力を信用してなくて、ただやみくもに跳んでいただけだからよ」

図星を突かれた梨奈は、言葉に詰まった。

それからというもの、二人の連携練習は地獄のような様相を呈した。

環奈の完璧すぎるトスに対し、梨奈の我流のジャンプが全く噛み合わない。
練習を重ねるごとにミスが増え、見かねた他の部員たちが二人の間から距離を置き始めた。

「……もう、無理だよ。環奈ちゃんのトス、すごすぎて誰も合わせられないよ」

副部長がポツリとこぼしたその言葉に、梨奈の心はズタズタに引き裂かれた。






☆第3話:引き裂かれたプライド

「今日の練習、ここまで!」

体育館に響いた梨奈の声は、どこか震えていた。
部員たちがそそくさと片付けを始め、最後に体育館に残ったのは、梨奈と環奈の二人だけだった。

「なんでよ……!」
梨奈は床に座り込み、両手で顔を覆った。
「なんであんたのトスに合わせられないのよ! 私のジャンプがそんなにダメだって言うの!? 小学校のときからずっと、私がチームのエースで、私が点を取らなきゃ勝てなかったのに……!」

涙声で叫ぶ梨奈を、環奈は冷たく、しかしどこか哀しげな目で見つめていた。
「……知ってる? お前、全部一人で背負い込みすぎなのよ」
「うるさい!」
「うるさくないわ」
環奈は梨奈の目の前に歩み寄り、しゃがみ込んだ。
その小さな体から、不思議と圧倒的な重みが放たれていた。

「私はね、前の中学校で、周りが私のトスに怯えて誰もついてこられなくなったの。『お前のトスが速すぎて、打てない』って、みんな私から離れていった。だからバレーが嫌いになりかけた」
環奈の瞳が、少しだけ揺らいだ。
「でも、お前のあの日の無茶なジャンプを見たとき思ったのよ。あんなに馬鹿みたいに高く、ただ勝利だけを信じて跳ぶ奴なら、私のこの狂ったトスに追いつけるかもしれないって」

梨奈は顔を上げた。環奈のまっすぐな瞳が、梨奈を映し出していた。

「私を信じて、梨奈。お前はただの、力任せの跳び箱じゃない。私と一緒なら、本当の意味で『空』を支配できるエースになれる」

「……私を、信じろって言うの?」
「ええ。私を信じて、空中であのネットの向こう側を見てみなさいよ」

二人の間にあった険悪な空気が、少しずつ熱を帯びた信頼へと変わり始めた瞬間だった。






☆第4話:最後のピース

数日後、ついに県大会の幕が上がった。
初戦の相手は、昨年の準優勝校である強豪・白鳳中学校。
圧倒的な体格差と、堅い守備を誇る難敵だ。

試合は序盤から白鳳中のペースで進んだ。
「またブロックだ……!」
東中のアタックはことごとく相手の巨大な壁にはじき返され、セットカウント0対1と追い詰められる。第2セットも、白鳳中の猛攻の前に12対19と大差をつけられていた。

「タイムアウト、東中!」

ベンチに戻ってきた部員たちは、うつむいて肩を落としていた。もうダメだという空気が、チーム全体を覆っている。
その中で、梨奈は荒い息を整えながら、じっとコートの向こうを見つめていた。

(このままじゃ終われない。ここで負けたら、あの練習の意味がなくなる……!)

環奈が梨奈の肩にそっと手を置いた。
「ねえ、梨奈。次のローテーション、私たちが前衛に上がるわよ」
「……うん」
梨奈は深く頷いた。二人の間に、もう迷いはなかった。

試合が再開される。
東中のサーブ権。返ってきたボールを、環奈が素早くキャッチする。
「――いくよ!」

環奈が上げたトスは、これまでとは違っていた。
それは低く、鋭く、しかし梨奈の最高到達点にピタリと寄り添うような、魔法のような軌跡を描いてネットの近くへ吸い込まれていく。

(見える……!)

梨奈は地面を強く蹴り飛ばした。
驚異的な筋力が爆発し、梨奈の体がまるで空中で時が止まったかのように高く舞い上がる。
白鳳中のブロックが高々と跳び上がり、梨奈の視界を塞ごうと壁を作る。しかし、環奈のトスが創り出したその空間(エアポケット)の中では、相手の動きがスローモーションのようにハッキリと見えていた。

(――私を信じて、空中を見てみなさいよ)

環奈の声が脳裏に響く。
梨奈はブロックのわずかな隙間、その奥の誰もいない床のスペースをハッキリと見据えた。






☆第5話:空を制する者たち

――バァンッ!!!

体育館の空気が震えるほどの強烈な音が響いた。
梨奈の右腕から放たれたボールは、白鳳中の二枚ブロックの指先をかすめ、相手コートの隅っこへと突き刺さる。

「……っ!」
相手レシーバーが反応すらできなかった。
静まり返った体育館に、主審のホイッスルが高らかに鳴り響く。

「い、今のは……なんだ今の攻撃……!」
観客席からどよめきの声が漏れる。
東中のベンチから、副部長たちが飛び出して顔を真っ赤にした。
「やった……! 決まったぁぁぁーーっ!!」

コートの中央で、梨奈は着地すると、その場に崩れ落ちそうになった。
しかし、すかさず環奈が駆け寄り、その腕をグッと引っ張り上げた。

「遅いんだよ、踏み切るのが。でも、最高だったわ」
環奈は不敵に笑いながら、梨奈の手をしっかりと握り締めた。
梨奈は息を弾ませながらも、満面の笑みを浮かべて言い返した。
「うるさい! あんたのトスが良すぎるからでしょ!」

この一本をきっかけに、東中バレー部の流れが一気に変わった。
次々と決まる環奈の超精密なトスと、それに完璧に応える梨奈の爆発的なスパイク。
白鳳中は完全に翻弄され、みるみるうちに点差を縮めていく。

最終的にはセットカウント1対2で惜敗したものの、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、東中のコートにはかつてのバラバラだった面影は微塵もなかった。

「みんな、お疲れ様!」
汗だくの梨奈が声をかけると、部員たちが笑顔で駆け寄り、全員で輪になって飛び跳ねた。
「すごかったよ、梨奈! 相田ちゃんのトスもやばかった!」

コートの端で、一人クールに水を飲んでいた環奈の横に、梨奈がバシッと背中を叩きながら歩み寄った。
「ねえ、相田環奈。次の大会は、絶対にあいつらをぶっ倒して県で優勝するわよ」

環奈は驚いたように目を見開いたあと、ふっと柔らかく微笑んだ。
「……当たり前でしょ。私のトスにくらいついてきなさいよ、キャプテン」

青空が広がる体育館の窓から、二人の眩しい笑顔が差し込む光の中に溶けていった。
最強のセッターと、空を駆ける絶対的エースの物語は、ここから本当の始まりを迎えるのだ。