陽菜子が歩き出す。
神崎は何も聞かず、その隣を歩いた。
しばらくして辿り着いたのは、住宅街の中にある小さな公園だった。
神崎は入口で足を止める。
「……ここ。」
「覚えてますか?」
「忘れるわけありません。」
二人が初めて出会った場所。
あの夜、怪我をした神崎が座り込んでいた木も、あの日と変わらずそこにあった。
陽菜子はゆっくりとその木の近くまで歩く。
「ここで、初めてちくわくんに会ったんですよね。」
「はい。」
「あのときは、本当にびっくりしました。」
陽菜子は懐かしそうに笑った。
「知らない人が怪我して倒れてるし。家まで送ったら、うちのちくわくんにそっくりだし。」
「俺はそれどころではありませんでしたけどね。」
「そうなんですか?」
「陽菜子さんだと分かった瞬間、人生で一番混乱しました。」
陽菜子はくすっと笑った。
少しだけ緊張がほぐれる。
けれど、胸の鼓動はまだ早かった。
陽菜子は一度深く息を吸った。
「ちくわくん」
「はい」
「さっき、私……ちくわくんのファンになったって言いましたよね。」
神崎が陽菜子を見る。
「はい。」
「でも……違いました。」
「……え?」
神崎の表情がわずかに強張った。
「違うっていうのは……。」
「私、うまく言えなくて。」
陽菜子はぎゅっと手を握った。
怖い。
けれど、今度こそ逃げたくなかった。
「ちくわくんは、私のことを『推し』だって言ってくれましたよね。」
「はい。」
「私も、それでいいんだって思ってました。」
陽菜子はゆっくりと神崎を見る。
「でも……嫌なんです。」
「……何が、ですか?」
「ずっと、『推し』のままなのが。」
神崎の目が大きく見開かれた。
陽菜子の頬が熱くなる。
「ちくわくんにとって私は、見ているだけで幸せな人なのかもしれないです。」
「それは……。」
「でも私は。」
陽菜子は一歩だけ、神崎へ近づいた。
「もっと近くにいたいです。」
神崎が息を止めた。
「一緒にご飯を食べたいし、休日も会いたいし……ほかの女の人と仲良くしてたら嫌だって思います。」
言葉にするたび、顔が熱くなっていく。
それでも、もう止めなかった。
「だから……。」
陽菜子は神崎の目をまっすぐに見た。
「私のことを、『推し』としてじゃなくて……。」
一瞬、声が震える。
「一人の女性として見てほしいです。」
静かな公園に、陽菜子の声だけが響いた。
神崎は何も言わなかった。
瞬きすらせず、陽菜子を見つめている。
「……ちくわくん?」
「…………。」
「神崎さん?」
その名前で呼ばれた瞬間。
神崎の肩が大きく震えた。
「それ……。」
掠れた声が落ちる。
「今の、どういう意味か分かって言ってますか?」
いつもの敬語。
けれど、その声には今までにないほどの動揺が滲んでいた。
陽菜子は真っ赤になりながら、それでも小さくうなずいた。
「……はい。」
そして、今度こそ逃げずに、神崎を見つめた。




