記憶の欠片

湊音side


 もうすぐ花火が始まる。


 浴衣姿の星宮を横に歩かせながら、俺はそっと声をかけた。


「星宮、こっち来て。ちょっといい場所知ってるんだ」


 彼女は少し驚いた顔で振り向く。


「穴場?」


「そう、人混みの中じゃせっかくの花火も見にくいだろ。ここならゆっくり見れる」


 歩くたびに下駄の音がカランと響き、夜風が浴衣の裾を揺らす。


 星宮の頬が、少し赤く染まっているのが目に入る。


 「ここだ」と声をかけると、少し開けた小高い場所に出た。


 人で賑わう神社の境内を抜けて、少しだけ人の少ない河川敷まで来ると、遠くから祭囃子と笑い声が聞こえてくる。


「……ここなら、花火よく見えるかな」


 隣を歩く星宮が、少しだけ背伸びをして空を見上げた。


「たぶん。毎年ここ、結構見やすいから」


「そっか」


 そう言って笑う。


 浴衣姿の星宮を見て、俺は一瞬だけ言葉を失った。


 いつもと違う。


 髪を少しだけまとめて、普段より柔らかい雰囲気をまとっている。


 でも。


 ――やっぱり、星宮だ。


 そう思った。


「……何?」


「いや」


 慌てて視線を空へ戻す。


「なんでもない」


「ふーん?」


 星宮は少し不思議そうに笑った。


 その笑顔を見るだけで、胸の奥が苦しくなる。


 今日、伝える。


 そう決めていた。


 けれど、いざ隣にいると、どうしても言葉が出てこない。


 ―― 私、慧のこと……諦められないよ。


 その言葉を聞いた時の胸の痛みを、俺はまだ覚えている。


 分かっている。


 叶わないかもしれない。


 それでも。


 今まで何度も飲み込んできた言葉を、今日だけは伝えたかった。


 ドンッ――。


 夜空が一瞬で明るくなる。


「わ……!」


 星宮が空を見上げる。


 大きな花火が夜空いっぱいに咲いて、遅れて響いた音が河川敷まで届いた。


「綺麗……」


 彼女の瞳に、花火の光が映る。


 その横顔を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。


「……星宮」


「ん?」


「俺さ」


 声が少し震えた。


 星宮がこちらを見る。


 けれど、すぐには目を合わせられなかった。


「ずっと、言おうと思ってたことがある」


「……うん」


 花火の音が、二人の間を埋めていく。


 その隙間から、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「俺、星宮のことが好き」


 言ってしまった。


 ずっと胸の奥にしまっていた気持ちが、たった一言で外へ出ていく。


「……友達としてとか、そういう意味じゃなくて」


 星宮の目が大きくなる。


「一緒にいると楽しいし、星宮が笑ってると嬉しい。逆に、泣いてたり、苦しそうにしてたりすると……放っておけない」


 自分でも驚くくらい、言葉が止まらなかった。


「記憶のこととか、これからどうなるとか、俺には分からないこともいっぱいあるけど」


 俺は、ようやく星宮を見る。


「それでも、星宮のそばにいたいって思った」


 花火がまた夜空に咲いた。


 眩しいほどの光の中で、彼女は何も言わない。


 その沈黙が、答えのように思えて。


 俺は、少しだけ笑った。


「……ごめん。困らせたいわけじゃないから」


「湊音くん……」


「返事も、無理にしなくていい」


 そして、少し間を置いて。


「星宮が月城のこと好きなの、知ってるから」


 愛梨は唇をきゅっと結んだ。


「……ごめん」


 小さな声だった。


 花火がまた一つ、夜空に広がった。


「俺が勝手に好きになっただけだから」


「でも……」


「それに」


 俺は、ゆっくり空を見上げる。


「今日、言えてよかった」


 ずっと胸に引っかかっていたものが、少しだけ軽くなった気がした。


「これからも、普通に話してほしい」


「……もちろん」


「よかった」


「じゃあ、これで今日の俺の大仕事は終わり」


「大仕事って……」


「めちゃくちゃ緊張したんだからな」


「……ふふっ」


 愛梨が小さく笑った。


 その笑顔を見て、つられて笑う。


「ほら、次の花火来るぞ」


「ほんと?」


 二人で空を見上げる。


 大きな花火が夜空に咲いた。


 その光に照らされた星宮の横顔を、一度だけ見つめる。


 ――好きになってよかった。


 叶わなくても。


 今、この瞬間に隣にいられることだけは、大切にしたい。


「……綺麗だね」


 星宮が呟く。


「うん」


 俺は空を見上げたまま答える。


「綺麗だな」


 そして、心の中でそっと付け足した。


 ――君と見られて、よかった。