記憶の欠片

 あれから私は慧のことを避け続けて、気づけば春。


 冷たかった空気はやわらぎ、校庭の端に植えられた桜が、いつの間にか薄桃色に染まっていた。


 卒業と進級の境目、何かが終わって、何かが始まる季節。


 世界だけが、私を置いて前に進んでいくみたいだった。


 廊下で足音が重なるたび、胸がひゅっと縮む。


 その声じゃないと分かっていても、反射的に俯いてしまう。


 彼の姿を見かけないように、遠回りをして、時間をずらして、視線を逃がして。


 そんな小さな回避を積み重ねるうちに、それが「日常」になっていた。


 春の風は優しいはずなのに、どこか残酷だ。


 涼しい風はあの頃の記憶を揺さぶる。


 一緒に笑った放課後も、雪の夜も、伝えられなかった言葉も。


 それでも、桜は咲く。


 知らないふりをして、当たり前みたいに満開になる。


 私は立ち止まったまま、花びらが散るのを見ていた。


 前に進む勇気も、振り返る覚悟も持てないまま。


 ただ、心の奥でひとつだけ分かっていた。


 ——避けている限り、何も終わらないし、何も始まらない。


 春は、もうそこまで来ていた。