記憶の欠片

 時間は流れて、文化祭当日。


 校舎は朝から熱を帯びていて、どこからともなく甘い匂いと、楽しそうな声が混ざり合っている。


 一組の出し物は、メイド喫茶。


 慣れないフリルのエプロンに少し戸惑いながらも、なんとかシフトを終えた私は、ほっと息をついた。


「愛梨、お疲れさま!」


 日菜が笑顔で駆け寄ってくる。


 私たちはそのまま他のクラスの出し物を見に行くことにした。


「二組、お化け屋敷なんだって」


 その言葉に、胸が小さく跳ねる。


 ——二組。


 月城くんが、いるかもしれない。


 そう思っただけで、足取りがほんの少しだけ速くなる。


 廊下に出ると照明が落とされていて、不気味な音楽が低く流れていた。


「きゃー、雰囲気あるね」


 日菜が小声で言う。


 そのときだった。


「いらっしゃい……」


 低く、聞き覚えのある声。


 視線を向けると、そこに立っていたのは湊音くんだった。


 黒い衣装に身を包んで、手には大きな鎌——もちろん作り物だけど。


 でも暗がりの中では、妙に様になっている。


「……湊音くん?」


 思わず名前を呼ぶと、彼は一瞬きょとんとしてから苦笑した。


「星宮か。似合ってるだろ、これ」


 鎌を軽く肩に担ぎ、どこか照れくさそうに笑う。


「案内役やらされてさ。ほら、入るなら今だぞ。後戻り不可」


 冗談めかした口調なのに、目はしっかり仕事モードで。


 暗い廊下の先。


 きしむ音。


 遠くで誰かの悲鳴。


 「……てかさ」


 湊音くんが、ふと視線を落としてから、もう一度私を見る。


 フリルのエプロン。


 リボンのついたカチューシャ。


 普段とはまるで違う格好。


 一瞬、言うか迷ったみたいに間を置いてから、小さく息を吸って。


「……可愛いじゃん」


 ぽつり。


 あまりにも自然に言われて、一拍遅れて意味が追いつく。


「……っ!」


 一気に顔が熱くなるのが分かった。


「な、なに言って——」


 言い返そうとした、その横で。


「え〜〜〜??」


 日菜が、にやにやと口角を上げる。


「今の聞いた?湊音、“ 可愛い”って言ったよね?」


 わざとらしく私の方を見て、次に湊音くんの方を見る。


「愛梨にだけ、だよね?」


「おい、そういう言い方すんなって」


 湊音くんは少し慌てた様子で視線を逸らし、首の後ろをかいた。


 日菜は楽しそうに笑って、私の肩をつつく。


「よかったね、愛梨。メイド服、ちゃんと効いてるみたい」


「もう……日菜……」


 恥ずかしさで、思わずエプロンの端を握りしめる。


 湊音くんはそれ以上何も言わなかったけど、鎌を持つ手がほんの少しだけ落ち着きを失っていた。