「もう、うんざりだ」と言われたので、出ていきますね

コンコン!

思っていた以上に大きな音が、しんとした廊下に響く。

直立不動のまま、しばしその場で待機するも反応がない。

「……おかしいなぁ?」

てっきり扉が開かれたり、返事が聞こえるかと思っていたのに。

よし、もう一度叩いてみよう。

ドアノッカーを掴むと今度は強めにノックする。

コンコン!!

すかさず扉に耳を押し当てるも返事がない。
よし、後一回ノックして何も応答がなければ扉を開けよう。

三度目の正直。

コンコンコン!!

しかし案の定返事がない。

「もしかして誰もいないのかな?」

試しにノブを掴んで右に回してみる。

カチャ……

おおっ! 回った!

「失礼しま~……す!?」

遠慮がちに扉を開け、目を見開いた。

大きな窓を背に、机に向かって仕事をしている人物がそこにいたからだ。

(なんだ、居るなら返事をしてくれたっていいのに)

私の存在に気付いていないのか?

栗毛色の髪の青年は、俯き加減で羽ペンを走らせている。

恐らく彼が夫なのだろう。
だって物凄く良い身なりをしているし。

漆黒のジャケットは襟元まできっちりと詰められ、そこから覗く純白のクラヴァットには、小さな紺色の宝石があしらわれたピンが光っていた。
袖口にはさりげなく銀糸の刺繍が施されている。

すごい……まるで物語の中に出てくる王子様みたいだ。
冠はかぶっていないけど。

(こんな格好の人が、私の夫? 嘘でしょう?)

ぽかんとしたまま突ッ立っていると、彼は顔を上げた。

……恐ろしい程美しく整った面立ちをしている。

「目が覚めたのか?」

多分……夫? が尋ねてきた。
あれ? もしかして心配してくれている?

「はい、お陰様で……」

笑顔で言いかけたとき。

「はぁ~……」

夫は盛大なため息をつくと、じろりと睨みつけてきた。

「まったく迷惑な話だ。三日間意識を無くして眠りにつくとは」

「え? 三日間も!?」

そんな話は使用人たちからは一切出てこなかった。
せいぜい丸一日だけかと思っていたのに。

「でも、そんなに眠っていたなら普通心配するものじゃないの?」

小さい声でボソリと呟く。

「うん? 何だ? その態度は。何か不満そうだな?」

私の態度が気に入らないのか、ますます夫の顔が険しくなっていく。

「いえ、別に不満と言うか……」

「大体、以前から言っていただろう?  俺は仕事を邪魔されるのが一番嫌いなんだ。だから人払いをして誰も寄せ付けないようにしているのに、性懲りもなくやってくるとはな」

またしても途中で言葉をさえぎられるだけでなく、ギラリと鋭い眼差しで睨みつけられてしまった。

(う~ん、嫌われているなぁ。私)

黙って話を聞いていると、質問された。

「何か言いたいことがあれば言ってみろ」

「あ、本当ですか? それじゃ、私ってどういう人間だったのでしょう?」

「……は? 本気でそんなこと聞いているのか?」

夫が呆れ顔になる。

「はい、本気です」

本気も本気。
だって自分の名前すら分からないのだから。

「三日間も眠りについて、ついに頭がおかしくなってしまったか……。元々一般常識に欠けているとは思っていたが」

夫は俯くとブツブツと呟いている。

(それにしても随分失礼なことを言ってくれているなぁ……)

そんなことを考えていると、またしても質問された。

「お前……毒を飲んだそうだな?」

「はい、そうです」

多分ね。
でも身に覚えが無いけれど。

「いい加減にしろ!!」

バンッ!

夫らしき人物が勢いよく机を叩いた。

その拍子に書類がふわりと舞って
ハラハラと床に数枚落ちる。

「毎回毎回騒ぎを起こしてどれだけ迷惑を掛ければ気が済む!? もうお前にはうんざりだ!」

静かな書斎に響き渡る怒声。

そう……使用人だけでなく、やっぱりこの男性も私を嫌っているのね?

だったら返事はただ一つ。

「はい、分かりました。なら出ていきますね?」

満面の笑みでうなずいた。

「……は?」

あまりに予想外すぎたのか、夫らしき人物の目が点になる。

「今までお世話になりました。それでは、これで失礼いたします」

背中を向けると、私はためらうことなく書斎を後にした。

――バタン

扉を閉めて肝心なことに気付く。

……あ。どうしよう。
自分の名前も、夫の名前も聞くことが出来なかった。

「……でも、ま。いいか。もうここを出て行くんだしね」

私は鼻歌を歌いながら、軽い足取りで自室を目指した――