恋を知らないきみへ

今日の予定は、美容室に行くだけじゃない。
いや、むしろ美容室はただの前座。ただの前振り。

午後から約束していたこちらの方が、私にとっては一大事。

一大事というか、事件、大事変。


「はあ、心臓出そう……」

待ち合わせ場所の銅像の前で、口を塞いでうつむいていると。

「小関さん?」

と、聞き慣れた声が聞こえて顔を上げた。


その姿を見た瞬間、本当に心臓が出るかと思った。

私服の木ノ下くんの破壊力の高さといったら。

無地の白いTシャツに、ネイビーのシャツ。
細身の黒いパンツに、歩きやすそうなスニーカー。


いつものスーツ姿との違いに一瞬声が出なくて、手だけ振ってしまった。


「……かっこいい」

心の声が完全に口から漏れる。

木ノ下くんは私を呆れた顔で見下ろしていた。

「……開口一番、なに言ってんの」

「木ノ下くんの私服にやられた」

「悪いけど俺、まったくファッションにこだわりないよ」

「全部かっこいい」

「ほんとやめてよ、調子狂うから」


ため息混じりにそう言った木ノ下くんが、ふと私の顔を見たまま動きを止めた。

「髪、切ったんだ」


───しまった。

木ノ下くんの私服に衝撃を受けすぎて、自分が髪を切ってきたことすら忘れてた。

「う、うん」

急に緊張してしまう。
さっきまで美容師さんには褒めてもらえた。でも、それとこれとは話が別だ。

一番聞きたい相手は、目の前にいる。


「……変?」

全然感想を言ってくれないので、怖くなって聞いてみた。

木ノ下くんは少しだけ首をかしげながら私の前髪の辺りを見て、それから私の顔をまっすぐ見つめた。

「いや」

ほんの数秒の間のあと、うなずいた。

「似合ってる」

「……」

「……なんで黙るの」


不満げに眉を寄せた彼の肩に、ぼすっと寄りかかる。

「ちょっと待って……。今ので今日一日、幸せ」

「……小関さんって、たまに怖いこと言うよね」

「木ノ下くんが言うから価値があるの!」


どちらともなく、歩き出す。

前に私が要望した通り、木ノ下くんはちゃんと手を繋いでくれた。

「首が涼しそうでいいね」

「そうなの!なんでもっと早く切らなかったんだろう。夏が終わっちゃう」


私が嘆くと、彼はまた楽しそうに「ははっ」と笑うのだった。



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