恋を知らないきみへ

「───やばい!走って!」

木ノ下くんに急かされながら、私は必死で走っていた。

昼間なら人でごった返すメインストリートは、今はほとんど誰も歩いていない。
街灯の頼りない明かりだけが照らしていた。

そこに響く、私と木ノ下くんの靴音。


「小関さん、本気で走ってる!?」

「走ってる!走ってるよ!」

「遅すぎでしょ、逃したらどうすんの!」

「だから走ってるの!全力で!」

口論しながら駅までの道のりを、私なりに全力で走る。


……どうしてこんな事態になったのかは、簡単なことだ。

私も木ノ下くんも、仕事に追われて時計を一切見ていなかったのだ。


最終確認に来た二人の警備員が小会議室Bを覗きに来て、とんでもない時間まで残業していたことに気づかされたのだ。

『えっ……お二人とも、時間は大丈夫なんですか?』

と戸惑ったように声をかけられて、慌てて時計を見て仰天した。


ちょうど資料は仕上がったところで、あとは最終確認すれば終わりだった──けれど、そんな時間もない。

『木ノ下くん!終電!』

『分かってるよ、早く片付けて!』


唖然としている警備員をよそに、「どうして時計を見なかったんだ」とか「時間くらい確認してよ」とか、お互い文句を言いながら慌てて机のものをバッグに詰め込んで、バタバタとこうして会社を出てきたわけなのだ。


さっきから木ノ下くんは腕時計を何度も見ている。

私にはそんな余裕もないので、彼に尋ねる。

「間に合う!?」

「小関さんがもっと早く走れば間に合う」

「無茶言わないで!」

喚いた瞬間、木ノ下くんの手が私の手を引いた。


いったい何が起こっているのか、事態を飲み込めないまま顔に熱が集まる。
……とはいえ、暗いので顔が赤くなっていることなんて、たぶん彼には見えていない。

「小関さんが遅いから仕方なくだからね」

「……わ、分かってるよ」


───なんなの、このシチュエーション。
もう、ほんとに無理。

走りながら、何度もバッグを肩にかけ直した。