恋を知らないきみへ

資料とパソコンを抱えて営業フロアを出ると、廊下は昼間よりもずっと広く感じられた。


天井の照明は変わらず明るいのに、人の声がほとんどないだけで、会社全体が眠りかけているように静かだ。

小会議室Bは、営業部とマーケティング部のちょうど中間のフロアにある。

何度も通ったはずの短い廊下を歩きながら、私はなぜか少しだけ緊張していた。


これからするのは、ただの仕事だ。

しかも、明日の役員会議に間に合わせるための緊急対応。余計なことを考えている余裕なんてない。

頭では分かっているのに、抱えているパソコンがいつもより重い。


小会議室Bの前まで来ると、ドアの細長い窓から中を覗いた。

木ノ下くんはすでに来ていた。

長机の上には、印刷された資料が何部も広げられている。赤い付箋があちこちから飛び出し、紙面には手書きの文字がびっしりと書き込まれていた。

その量を見た瞬間、緊張より先に別の感情が込み上げる。

……本当に、けっこうある。


私がドアを開けると、木ノ下くんが顔を上げた。

その顔は、珍しく申し訳なさそうだった。

「ごめん」

開口一番、また謝られる。

「木ノ下くんが謝ることじゃないよ」

「でも、今から帰るところだったんだよね」

「木ノ下くんだってそうでしょ?」

そう返すと、彼は何も言わずに視線を落とした。


机の上には飲みかけのペットボトルと、開いたままのノートパソコン。

電話をかけてきたあと、すぐに修正箇所を確認していたらしい。