恋を知らないきみへ

「はい。営業部、小関です」

『……木ノ下です』

聞き慣れた低い声に、胸が小さく跳ねた。

反射的に姿勢を正した自分に気づき、心の中で苦笑する。


「ど、どうしたの?」

『まだ帰ってなかった?』

「うん。今ちょうど帰るところ」

電話の向こうで、一瞬だけ間が空く。

『……ごめん』

その一言だけで、なんとなく嫌な予感がした。

「なにかあったの?」

『さっき部長から電話があって』

木ノ下くんの声が少しだけ低くなる。

『役員から営業資料の修正が返ってきた』

「えっ……」

『しかも結構ある』


思わず壁の時計を見る。

時計の針は、もう午後八時を過ぎている。

「遅いし、それは明日でも……」

そこまで言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。


明日は役員会議だ。

───つまり。


「……今日中?」

『うん』

短い返事だった。

『部長は客先からそのまま直帰するらしい。明日の朝一で最終版を役員へ出すから、今日中に直してほしいって』

「うそでしょ……」

思わず天井を見上げる。

『だよね。俺もそう思った』

珍しく電話の向こうから小さくため息が漏れる。

その声がおかしくて、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。