恋を知らないきみへ

まだまばらに会議室に人が残っている中で、木ノ下くんをちらりと見てみた。一瞬目が合い、私は反射的に視線を逸らした。

……いや、逸らしちゃだめだってば。

私はさっき使っていた席を片付けてから、思い切って木ノ下くんに話しかけた。


「木ノ下くん、さっきの件で」

「ああ、うん」

木ノ下くんは会議室のドアを開けながら、私を先に通してくれた。

会議室を出ると、廊下は昼休み明けの慌ただしさが少し落ち着いていた。
私たちは並んで歩きながら、それぞれ資料を抱え直す。


「部長が言ってた営業資料のことなんだけど」

私から切り出すと、木ノ下くんは前を向いたまま短く返事をした。

「うん」

「今日修正した内容を反映して、一回まとめるね」

……顔は、赤くなってるかもしれないけど。
でも、たぶんちゃんといつもみたいに話せてるはず。

大丈夫、と自分に言い聞かせた。


彼は相変わらず前を向いたままでうなずいている。

「分かった。できたらチャットで送ってくれれば」

「いつ頃までがいい?」

「明日の午前中にもらえれば、午後には返せると思う」

「じゃあなるべく早めに作るね」


会話はそこで途切れた。

廊下の少し向こうには、さっきの会議室で一緒に話し合っていたメンバーがいる。

私と木ノ下くんはそこから離れたところにいて、私たちの足音がざわめく廊下に響いた。


……今だ。言うなら今しかない。

「木ノ下くん」

「ん?」

木ノ下くんは歩く速度を変えないまま、少しだけこちらへ顔を向けた。

私は資料を抱える手に力を入れる。

「さっきは……ありがとう」