恋を知らないきみへ

少し残業をして十九時半。

スマートウォッチで時間を確認して、空腹を感じないお腹をなんとなくさする。

……今日は家でなにか簡単なものを作ろう。


そんなことを思いながら、やけに重く感じるトートバッグを肩にかけ直してエレベーターに乗り込む。

残業を終えた他部署の人たちも帰り始める頃なのか、各階からぱらぱらと数人ずつ乗り込んでくる。

そのたびに、なんとなく「お疲れ様です」と言葉を交わしていた。


仕事が終わって気が抜けているところに、またどこかの階でエレベーターが止まる。

誰かが乗り込んできても顔を上げずにいると、

「あ、小関さん。お疲れ」

と声をかけられた。


姿を確認するよりも先に、身体が反応して心臓が鳴った。
木ノ下くんだった。

彼の隣には、どこかで見たことがあるような男性社員がいる。
どこだっけ、どこかで見たけど、思い出せない。

その男性は私に気づくと、にこっと笑顔を浮かべた。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

反射的に挨拶はしたものの、心臓はさっきからうるさいくらいに暴れている。


静かなエレベーターの中で、斜め前に立っている木ノ下くんをちらりと見上げる。
涼しい顔で、一緒に乗ってきた男性と小声でなにか話していた。

エレベーターの階数の表示パネルの数字が減っていく。
まるで私が木ノ下くんを眺めていられる時間の、カウントダウンみたいだ。


長い前髪も、たぶん一重の目も、背中がシワになっているワイシャツも、なんかよく分からないけど、とりあえず全部──好きだな。

そう思っているうちに、一階に到着した。


扉に近い人から一気にエレベーターを降りていく。

いつの間に移動したのか、木ノ下くんが“開”ボタンを押してくれていたらしい。

急いで先に降りると、彼ともう一人の男性が最後に降りてきた。


電車の時間を確認しておこう、とスマホを出そうとバッグを開けたところで後ろから一緒にいた男性が、

「小関さん!」

と私の名前を呼んだ。

まさかそちらに声をかけられるとは思っていなかったので、驚いて足を止める。

「あ、はい」