恋を知らないきみへ

木ノ下くんは気づいた様子もなく、手元の資料を抱え直した。

「営業資料、できたら目を通すから」

「あ、うん」

「じゃあ、お疲れ」

「……お疲れ様」

木ノ下くんはそのまま課長と一緒に会議室を出ていった。

閉まったドアを見つめたまま、私はしばらく動けなかった。


ぞろぞろと会議室をあとにする人たちを横目にぼんやりしていると、広報部の女性が何気なく声をかけてくる。

「小関さん?どうしたの?」

「あっ、……いえ、なんでもないです」

……危ない危ない。
今の私は、他部署の人から見てもたぶん様子がおかしい。


「失礼します」と言いながら会議室を飛び出して、足早に向かった先は──化粧室。

中から出てきた女性とぶつかりそうになり、そこで「すみません」と慌てて謝る。

女性は気にした素振りも見せずに出ていった。


一人になった化粧室で、ほかに誰もいないことを確認してから洗面台に両手をつき、深くうつむいた。

鏡を見なくても分かる。
今の私はきっと、情けないくらい赤い。


姿を見るだけで、顔を見るだけで、声を聞くだけで、全部持っていかれそうになる。
今までどうやって話していたんだっけ、と思うくらい。

私だけが意識してるのも分かるから、余計に恥ずかしい。

「……心臓出そう」


口を手で押さえて、小さくひとりごとを漏らした。



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