恋を知らないきみへ

そのままいつもの騒がしい営業部へ戻り、自分のデスクに腰を下ろすと、少し離れたところから「小関さーん!」と呼ぶ声。

駆け寄ってくるのは、さっき電話をくれた後輩の山岡さんだった。
小柄な可愛らしい女の子。

「お疲れ様です!おかえりなさい!」

「あ、お疲れ様。戻りましたー」

「木ノ下さんに会えました?」


記憶から抹消したいのに、初めて見た大爆笑する木ノ下くんの顔を思い出してしまった。

「……あー、……うん」

歯切れの悪い返事をしているうちに、山岡さんが悪気なくニコッと笑う。

「木ノ下さん、十五時半過ぎにもまた来てくれたんですよ。でも小関さんまだ戻ってきてなかったんで、もしかしたら駐車場にいるかもー、って伝えたんです」


……なるほど。
木ノ下くんが駐車場まで来た理由がこれで分かった。

とはいえ、厚意で伝えてくれているのだから、ここは私も微笑みで返す。

「そっかそっか、ありがとう。駐車場で会えたよ」

とんでもない姿を晒したことはもちろん言えない。

「よかったです!外暑かったですよね?これ、食べてください!」


差し出してくれたのは、チョコチップ入りのクッキー。
こういうさりげない優しさが、疲れている時には一番回復する。

デスクにも、私がいない間に誰かが置いたであろう塩レモンの飴やらおせんべいやら。


「ありがとう」

……やっぱり私は、周りに恵まれている。


ふっとデスクのパソコンを立ち上げて、さっきまで持っていた紙袋を見やる。

『ちゃんと寝なよ』

エレベーターで言われた木ノ下くんの言葉を不意に思い出して、ふるふると首を振った。


ああ、もう。
どうして“五分だけ”なんて思ってシートを倒したんだろう。

会社の誰にも見せないような、気の抜けた姿。
黒歴史一位に名乗りを上げてきそうな寝顔だったに違いない。


『彼女だったら、そのくらい普通に見せてほしいけど』

あの言葉が、頭から離れない。


……そんなものなの?

好きな人には、ちゃんとしていたいものじゃないの?
綺麗な自分を見てほしいって思うのは、おかしいこと?

侑樹さんと会う時は、それが当たり前だった。

……なのに、木ノ下くんはそれとはまるで逆のことを、あまりにも当たり前みたいに言った。


私は小さく息を吐いて、パソコンへ向き直る。

まだ、その違和感の正体なんて分からなかった。