恋を知らないきみへ

今すぐ消えてなくなりたい気持ちを抑えて、仕事モードへと切り替える。

「広報からは、なんて?」

「"家事ラク"っていう言葉をコピーにしたいって言ってる。それ、営業としてどう思う?」

「“家事ラク”かあ。私は違うと思う」

それは自然に、即答できた。

「今回の新ブランドって、家事が楽になることを売りたいわけじゃないんだよね」


駐車場を抜けて、会社のエントランスに入ると一気に冷房が効いて涼しくなる。

行き交う社員たちはみんな忙しそうに早足で歩いていて、それとは対照的に私と木ノ下くんはわりとゆっくりとした足取りでエレベーターへ向かう。

歩きながら、私は言葉を選ぶ。

「私たちがお客様に伝えたいのは、“家事のことを考えなくていい時間が増えること”とか、“安心して暮らせること”とか。そっちの方が大事だと思うの」

エレベーターが開いて、私と木ノ下くんだけじゃなく、何人も乗り込んでくる。

壁際に沿って乗り込んだ私は、隣にいる彼を見上げた。

「だから"家事ラク"って言葉だけだと、ちょっと違う。……と、私は思ってる。……どうかな?木ノ下くんはどう思う?」

「……よかった」


エレベーターの中だから、木ノ下くんの声は小さかったけれど、ちゃんと聞き取れた。

「俺も同じようなこと思ってたから。でも、営業の感覚は俺じゃ分からないから」

「あれだけ話し合って、ここに来て意見分かれたらショック」

「まあ、そうだね」


話しているうちに、木ノ下くんが降りる階に到着する。

「降ります」と人をかき分けて行こうとする彼が、不意にこちらを振り返った。

「───ちゃんと寝なよ。お疲れ」


さっさと降りていった木ノ下くんの背中を見送って、私は返事をするのを忘れていたことを、エレベーターの扉が閉まってから思い出す。

空いている左手で顔をなんとなく覆う。


……あれ?なんで私、今ちょっと顔が熱いんだろう。

笑われたから?
それとも、寝起きだから?

……分からない。


自分の中に生まれた不思議な感情に名前をつけられないまま、営業部のある階に着いてしまった。