恋を知らないきみへ

木ノ下くんは、すぐには答えなかった。

資料を一度見下ろし、考えるように指先でページの端を押さえる。

その様子を横目にしながら、私は昨日までの打ち合わせを思い返していた。


洗濯が一階で終わる。
帰宅してから、夕食のことを考えなくて済む。
家事が減るからではなく、その先に気持ちの余裕が生まれる。


「完成された綺麗な暮らしを見せる必要はない気がします」

気づけば、私が先に口を開いていた。

広報担当者が興味を示すみたいに身を乗り出してこちらを見る。

「どういう意味ですか?」

「忙しい人がターゲットなら、きれいに片付いた部屋で笑っている家族だけだと、自分とは違うと思われるかもしれません」

自分で話しながら、少しずつ考えがまとまっていく。

「朝は慌ただしいし、子どもは予定通りに動いてくれない。洗濯物だって溜まります。そういう現実は隠さなくていいと思うんです」

「現実を見せる?」

「はい。その中でも、家の作りによって暮らしが止まらないことを見せたいです」

私がそう答えると、木ノ下くんが自然に続けた。

「理想の生活ではなく、現実の生活を少し楽にするブランドです」


広報担当者は「なるほど」と何度かうなずきながら、資料へ素早く書き込んでいる。

「それなら広告のトーンも変わりますね。憧れより共感を重視する感じかな」

「はい。若年層向けなら、その方が届くと思います」

木ノ下くんがそう言った直後、今度は商品企画部の課長が手を上げた。