触れられなくても、君がいい。

 ◇

 ベッドを抜け出し、ベランダへと向かった。

 暗闇の中、まとわりつくようなぬるい潮風を浴びながら、月明かりを反射する水面を眺める。

 夏休みの家族連れで賑わい始めたこの街だけれど、今はその喧騒が嘘のようにひっそりと静まり返っている。

 大山(おおやま) (わたる)、三十歳。
 現在、このビーチの目の前で、両親から継いだ小さなホテルを営んでいる。

 時計の針はとうに日付を跨いだけれど、隣接する宿泊棟から、非日常の夜更かしを楽しむ客たちの声が波音に混じって届く。


「…………」

 毎年、肌にべたつくこの夏の匂いを嗅ぐと、どうしても甦ってしまう。
 青く澄んだ夏にだけここで会えた“君”との、眩い記憶が――。




「航?」


 不意に、少し掠れた声が背中へかけられた。

 振り返ると、薄手のシャツを羽織った妻が立っている。