「応募するつもりか」
「正直、迷っている」
「父は身内だからと採用を甘くする人間ではない。実力不足なら普通に落ちる」
「励ましている?」
「事実だ」
画面を見たまま続けた。
「本社でも、別の会社でも、うちへ残るのでもいい。お前が自分で選べ」
前なら、自分のそばへ置こうとしたはずだ。今は、私の返事を待っている。
「私が他の会社へ行っても、本当に反対しない?」
「寂しいとは言う」
「反対は?」
「理由に筋が通っているなら、しない」
「ずいぶん成長したね」
「子ども扱いするな」
募集要項を最初から読み直した。
仕事内容には惹かれる。けれど、九条家の会社へ入れば、実力で受かったとしても周囲から縁故だと思われるかもしれない。九条の恋人という立場が、仕事の評価へついて回るのも怖かった。
「難しい顔をしているな」
「あなたの家と関係のない会社も探してみようかな」
「そうしたいなら、そうしろ」
「本当に何も言わないの?」
「俺の会社へ来いとは言わない。だが、面接の練習くらいは頼れ」
「経営者目線で厳しく?」
「遠慮なく落とす」
「恋人には甘いんじゃなかったの?」
「家へ帰ってから甘くする」
そう言うと、勤務時間が終わるまでは私へ触れなかった。
最後の社員が帰ったあと、リビングへ上がった途端、背後から腰へ腕が回る。
「今からは?」
「恋人の時間だ」
「面接で落とすって言ったくせに」
「落ちたら、俺が何度でも立たせる」
耳元へ落ちた声に、応募への不安が少しだけ薄れた。
どこで働くとしても、戻る家まで一人で決める必要はない。彼が答えを押しつけずに待ってくれたことで、ようやくそう思えた。
募集要項に記された締切日は、三か月の居候期限の、ちょうど一か月前だった。
結局、九条グループ本社への応募を見送った。
通常の選考を受けるとしても、入社後に九条家との関係を知られれば、縁故採用だと疑われる可能性がある。自分の実力を測るなら、まったく関係のない会社がいい。
「言われてみれば、確かに面倒だな」
「もっと反対すると思った」
「お前が決めた理由に筋が通っている。反対する意味がない」
意外なほど早く納得され、拍子抜けしてしまう。
代わりに、総務と営業事務の経験を生かせそうな三社へ応募した。
最初の一社からは、あっさりと書類選考で見送りの通知が届いた。
「まだ一社目だろう」
「一社目でも落ち込むわよ。結婚のために退職した途端、それまでの経験まで消えたみたいに扱われるのが悔しいの」
「なら、レガリアリンクでの実務を職務経歴書へ加えろ」
「機密情報は書けないでしょう」
「業務内容を一般化すればいい。必要なら推薦状も書く」
「いらない。今度は自分の力で受かりたい」
不満そうに眉を寄せているけれど、無理には進めなかった。
「本当に手伝う気があるなら、面接の練習に付き合って」
「それだけでいいのか」
「それが一番助かる」
その夜、リビングで模擬面接を始めた。
「神崎さん。前職を退職された理由を教えてください」
「結婚に伴う転居予定があったため、円満に退職しました」
「弱い。そのあと、なぜ再就職を望んだのかまで続けろ」
「まだ質問されてないでしょう」
「相手が知りたいのは、また同じ理由で辞めないかだ。先に不安を消せ」
九条の指摘は厳しいけれど、的確だった。
レガリアリンクで担当した議事録の整理、問い合わせ一覧、書類台帳。具体的な社名や事件を伏せても、伝えられる実務はあった。
「お前は、自分で思っている以上に実務能力が高い」
「恋人としての贔屓目じゃなくて?」
「経営者としての評価だ」
「恋人としての評価は?」
九条が口元を緩めた。
「面接練習が終わってから伝える。今、言ったら練習が終わる」
「何を言う気よ」
「わかっていて聞くな」
それ以上は続けず、あっさりと次の質問へ戻る。
仕事の時間と二人の時間を、九条なりに分けているのかもしれない。
面接前夜、早く寝ることにした。
「今日は自分の部屋で寝る」
「緊張して眠れないだろう」
「あなたと寝た方が眠れない可能性が高いの」
「何もしない。抱いて寝るだけだ」
「本当に?」
「明日の面接に響くことはしない」
朝、腰へ回された腕から抜けようとすると、力が少しだけ強くなる。
「莉乃。頑張ってこい」
「起きていたの?」
「今起きた」
目を閉じたまま、自分の唇を指で示した。
「一回だけ」
「子どもみたい」
「これがないと仕事へ行けない」
軽く口づけると、満足したように腕が解かれた。
二社目の面接では、模擬面接の成果が出た。
「具体的な社名は機密保持の関係でお伝えできませんが、社内調査に必要な資料の収集と時系列整理、問い合わせ記録の作成を担当しました」
「直近で密度の高い経験をされていますね」
評価される言葉を聞き、胸に残っていた不採用通知の痛みが少し薄れた。
建物を出ると、九条が向かいのカフェの前に立っていた。
「どうしているの」
「近くで打ち合わせがあった」
「嘘」
「半分は本当だ。終わる時間に合わせた」
温かいカフェラテを渡される。
「顔を見れば、手応えがあったとわかる」
「あなたの意地悪な質問が役に立った」
「なら、今日は祝う」
「まだ一次面接よ」
「今日を無事に終えた祝いだ」
高級店は断り、駅前の喫茶店へ入った。九条は私の苺を一つ奪い、代わりに自分のチョコレートケーキを半分寄こす。
何でもない時間が、ひどく愛おしかった。
数日後、二次面接へ進む連絡が届いた。
新しいスーツは、自分の報酬で買った。店では九条も余計な口を挟まず、試着室から出た私を見て、ただ一言だけ告げた。
「よく似合っている。綺麗だ」
帰宅して玄関の扉が閉まった途端、背後から抱き締められる。
「店では我慢した」
「ちゃんと公私を分けてるのね」
「その分、家では離さない」
首筋へ唇が触れる前に、九条の胸を押した。
「明日も準備があるから、ほどほどに」
「努力する」
「そこは約束して」
笑いながら見上げる。
次の最終選考日は、三か月の居候期限の、ちょうど一か月前だった。
「正直、迷っている」
「父は身内だからと採用を甘くする人間ではない。実力不足なら普通に落ちる」
「励ましている?」
「事実だ」
画面を見たまま続けた。
「本社でも、別の会社でも、うちへ残るのでもいい。お前が自分で選べ」
前なら、自分のそばへ置こうとしたはずだ。今は、私の返事を待っている。
「私が他の会社へ行っても、本当に反対しない?」
「寂しいとは言う」
「反対は?」
「理由に筋が通っているなら、しない」
「ずいぶん成長したね」
「子ども扱いするな」
募集要項を最初から読み直した。
仕事内容には惹かれる。けれど、九条家の会社へ入れば、実力で受かったとしても周囲から縁故だと思われるかもしれない。九条の恋人という立場が、仕事の評価へついて回るのも怖かった。
「難しい顔をしているな」
「あなたの家と関係のない会社も探してみようかな」
「そうしたいなら、そうしろ」
「本当に何も言わないの?」
「俺の会社へ来いとは言わない。だが、面接の練習くらいは頼れ」
「経営者目線で厳しく?」
「遠慮なく落とす」
「恋人には甘いんじゃなかったの?」
「家へ帰ってから甘くする」
そう言うと、勤務時間が終わるまでは私へ触れなかった。
最後の社員が帰ったあと、リビングへ上がった途端、背後から腰へ腕が回る。
「今からは?」
「恋人の時間だ」
「面接で落とすって言ったくせに」
「落ちたら、俺が何度でも立たせる」
耳元へ落ちた声に、応募への不安が少しだけ薄れた。
どこで働くとしても、戻る家まで一人で決める必要はない。彼が答えを押しつけずに待ってくれたことで、ようやくそう思えた。
募集要項に記された締切日は、三か月の居候期限の、ちょうど一か月前だった。
結局、九条グループ本社への応募を見送った。
通常の選考を受けるとしても、入社後に九条家との関係を知られれば、縁故採用だと疑われる可能性がある。自分の実力を測るなら、まったく関係のない会社がいい。
「言われてみれば、確かに面倒だな」
「もっと反対すると思った」
「お前が決めた理由に筋が通っている。反対する意味がない」
意外なほど早く納得され、拍子抜けしてしまう。
代わりに、総務と営業事務の経験を生かせそうな三社へ応募した。
最初の一社からは、あっさりと書類選考で見送りの通知が届いた。
「まだ一社目だろう」
「一社目でも落ち込むわよ。結婚のために退職した途端、それまでの経験まで消えたみたいに扱われるのが悔しいの」
「なら、レガリアリンクでの実務を職務経歴書へ加えろ」
「機密情報は書けないでしょう」
「業務内容を一般化すればいい。必要なら推薦状も書く」
「いらない。今度は自分の力で受かりたい」
不満そうに眉を寄せているけれど、無理には進めなかった。
「本当に手伝う気があるなら、面接の練習に付き合って」
「それだけでいいのか」
「それが一番助かる」
その夜、リビングで模擬面接を始めた。
「神崎さん。前職を退職された理由を教えてください」
「結婚に伴う転居予定があったため、円満に退職しました」
「弱い。そのあと、なぜ再就職を望んだのかまで続けろ」
「まだ質問されてないでしょう」
「相手が知りたいのは、また同じ理由で辞めないかだ。先に不安を消せ」
九条の指摘は厳しいけれど、的確だった。
レガリアリンクで担当した議事録の整理、問い合わせ一覧、書類台帳。具体的な社名や事件を伏せても、伝えられる実務はあった。
「お前は、自分で思っている以上に実務能力が高い」
「恋人としての贔屓目じゃなくて?」
「経営者としての評価だ」
「恋人としての評価は?」
九条が口元を緩めた。
「面接練習が終わってから伝える。今、言ったら練習が終わる」
「何を言う気よ」
「わかっていて聞くな」
それ以上は続けず、あっさりと次の質問へ戻る。
仕事の時間と二人の時間を、九条なりに分けているのかもしれない。
面接前夜、早く寝ることにした。
「今日は自分の部屋で寝る」
「緊張して眠れないだろう」
「あなたと寝た方が眠れない可能性が高いの」
「何もしない。抱いて寝るだけだ」
「本当に?」
「明日の面接に響くことはしない」
朝、腰へ回された腕から抜けようとすると、力が少しだけ強くなる。
「莉乃。頑張ってこい」
「起きていたの?」
「今起きた」
目を閉じたまま、自分の唇を指で示した。
「一回だけ」
「子どもみたい」
「これがないと仕事へ行けない」
軽く口づけると、満足したように腕が解かれた。
二社目の面接では、模擬面接の成果が出た。
「具体的な社名は機密保持の関係でお伝えできませんが、社内調査に必要な資料の収集と時系列整理、問い合わせ記録の作成を担当しました」
「直近で密度の高い経験をされていますね」
評価される言葉を聞き、胸に残っていた不採用通知の痛みが少し薄れた。
建物を出ると、九条が向かいのカフェの前に立っていた。
「どうしているの」
「近くで打ち合わせがあった」
「嘘」
「半分は本当だ。終わる時間に合わせた」
温かいカフェラテを渡される。
「顔を見れば、手応えがあったとわかる」
「あなたの意地悪な質問が役に立った」
「なら、今日は祝う」
「まだ一次面接よ」
「今日を無事に終えた祝いだ」
高級店は断り、駅前の喫茶店へ入った。九条は私の苺を一つ奪い、代わりに自分のチョコレートケーキを半分寄こす。
何でもない時間が、ひどく愛おしかった。
数日後、二次面接へ進む連絡が届いた。
新しいスーツは、自分の報酬で買った。店では九条も余計な口を挟まず、試着室から出た私を見て、ただ一言だけ告げた。
「よく似合っている。綺麗だ」
帰宅して玄関の扉が閉まった途端、背後から抱き締められる。
「店では我慢した」
「ちゃんと公私を分けてるのね」
「その分、家では離さない」
首筋へ唇が触れる前に、九条の胸を押した。
「明日も準備があるから、ほどほどに」
「努力する」
「そこは約束して」
笑いながら見上げる。
次の最終選考日は、三か月の居候期限の、ちょうど一か月前だった。



