「お前さんが、白無垢の姿でこの男の会社へ単身怒鳴り込んで乗り込んだという、噂の娘か」
「……っ、な、なんで、そのことを……」
「ホテル業界の世界というのは、お前さんが思っている以上に狭いものでな。由緒ある式場から当日に花嫁が消えれば、理由はどうあれ、すぐに私たちの耳にも話題として入ってくる」
過去の恥ずかしい大騒動を完全に把握されていることに、恥ずかしさのあまり一瞬で頬が猛烈に熱くなった。
「その節は……大変な不調法をして、世間をお騒がせいたしました」
「何をお前さんが謝ることがある。あの場で騒ぎを起こさせた原因は、全責任を放り出して敵前逃亡した遠藤の馬鹿息子だ。お前さんは何一つ悪くない。自分の尊厳を堂々と守っただけだ」
厳しいお説教を覚悟していただけに、そのあまりにも意外で度量の大きい言葉に、驚いて目をパチパチと瞬かせるしかなかった。
「それよりも、お前さんが玲を三日も看病で寝かせたと事前に報告を受けたが」
「……三日ではなく、二日です」
「私が風邪を引くまで不眠不休で働いていたので、莉乃が無理矢理ベッドに閉じ込めただけです」
「ほう。こいつは子どもの頃から、自分の限界を頑なに認めようとしない傲慢な性格でな。よくそんな偏屈な男の言い分を押さえつけたものだ」
「祖父さん、もうそのあたりでやめてくれ」
「ハハハ、お前たちの相性は、案外悪くなさそうだな」
運ばれてきた美しい料理をいただきながら食事が始まると、自然と話題はレガリアリンクの今後の経営立て直し計画へと移っていった。
九条のお父さんは終始穏やかな口調を崩さなかったけれど、会社のお金や数字の話に及ぶと、その両目の奥には経営者としての非常に厳しい光が宿っていた。
「共同代表が起こしたあの巨額の不正の全容を、これからの上場審査の過程でどうやって市場へ説明するつもりだ?」
「発覚後の迅速な対応と、すでに構築した再発防止策のすべてを包み隠さず外部へ開示します。それに伴い、ガバナンス強化のために信頼できる監査役も外部から新しく迎える予定です」
「今回の件を機に、レガリアリンクの事業そのものを、一度我が九条グループの傘下へ完全に戻すという選択肢もあるが、どうだ」
「その選択肢はありません。あそこは、俺が自分の力で一から作り上げた俺の会社です」
彼はお父さんの厳しい問いかけにも、一切の迷いなく毅然とした声で言い切った。
彼がこれほど大きな大財閥の実家の後ろ盾がありながら、決してそれに甘えることなく、飲み込まれないように牙を剥いて自立しようとしている理由が、この張り詰めた会話の中で少しだけ分かった気がした。
すると、お父さんの鋭い視線が、今度は私のほうへと真っ直ぐに向けられた。
「莉乃さんは、今回の件が落ち着いた後は、今後どうされる予定ですか?」
「落ち着いたら、また自分の力で新しい総務の仕事を探すつもりです。現在は、レガリアリンクから正式な業務委託として総務と経理の補助業務を引き受けて報酬をいただいていますが、彼と生活の基盤をすべて一つにまとめて依存するつもりはありません」
「九条の会社へ正式に入社すれば、これまでの総務経験を生かせると思いますが、それでは不満ですか?」
「……私の恋人と、家主と、雇用主が全部同じ一人の男になってしまうと、将来もし万が一大きな喧嘩をした時に、私が逃げる場所がなくなって困るので」
私が大真面目にそう答えると、お母さんが思わず上品に吹き出し、お祖父様は器を鳴らすほどの勢いで声を立てて豪快に笑った。
「おい玲、聞いたか!お前、彼女に全く信用されていないぞ!」
「……一度に自分の生活のすべてを他人に裏切られて失った人間が、それくらい慎重になるのは当然の防衛策です。俺としても、莉乃には誰かに依存するのではなく、自分が心から望んで選んだ仕事を続けてほしいと思っています」
驚いて、隣に座る九条の横顔を見つめた。
以前の彼なら、私の意志など関係なく「俺のそばでうちの仕事をしていればいい」と独善的に言い切っていただろう。けれど今の彼は、私のこれまでの傷ついた過去を理解し、一人の人間としての意思を心の底から尊重しようとしてくれていた。
「それは非常によい考えです。莉乃さん、あなたが次の仕事を探すまでの間に、もし希望する業界や職種があれば、我がグループの採用情報もいくらでも紹介できますよ。ただし、それは玲の恋人としてのコネではなく、一人の志望者として通常の選考を受けていただく形になりますが」
「温かいお気遣い、本当にありがとうございます。でも、まずは自分の力で、最初から最後まで探してみようと思います」
「分かりました。あなたのその強い自立心を支持します」
想像していたよりも遥かに和やかに、そしてお互いへの敬意に満ちた形で食事は進んでいった。
来る前は、大財閥の人間というのは人の家柄やステータスを冷酷に値踏みして、私のような一般の庶民を鼻で笑って見下すのではないか、なんて偏見に満ちた恐ろしい想像ばかりしていた自分が、ひどく恥ずかしく思えるほどだった。
「莉乃さん。もしよろしければ、少し二人で散歩でもいかがかしら?」
食事の後、お手洗いをお借りして食堂へ戻ろうとした廊下の途中で、まるで優しく待ち構えていたかのように、九条のお母さんに声をかけられた。
少し緊張しながらも「はい」と答え、彼女の数歩後ろをゆっくりとついて歩いた。廊下の大きな窓の向こうには、美しく咲き誇る広大な庭園が見えてくる。
「莉乃さん、あの子……玲は、驚くほどに不器用な男でしょう?」
「……驚くほどではないです。かなり、ひどいレベルだと思います」
「ふふ、やっぱりそうよね。あの子は昔から、本当に自分が大切にしたい欲しいものほど、素直に口にできない難しい子なのよ」
お母様は優しく微笑みながら、庭園の一角に綺麗に咲き始めた秋薔薇へと愛おしそうな目を向けた。
「……っ、な、なんで、そのことを……」
「ホテル業界の世界というのは、お前さんが思っている以上に狭いものでな。由緒ある式場から当日に花嫁が消えれば、理由はどうあれ、すぐに私たちの耳にも話題として入ってくる」
過去の恥ずかしい大騒動を完全に把握されていることに、恥ずかしさのあまり一瞬で頬が猛烈に熱くなった。
「その節は……大変な不調法をして、世間をお騒がせいたしました」
「何をお前さんが謝ることがある。あの場で騒ぎを起こさせた原因は、全責任を放り出して敵前逃亡した遠藤の馬鹿息子だ。お前さんは何一つ悪くない。自分の尊厳を堂々と守っただけだ」
厳しいお説教を覚悟していただけに、そのあまりにも意外で度量の大きい言葉に、驚いて目をパチパチと瞬かせるしかなかった。
「それよりも、お前さんが玲を三日も看病で寝かせたと事前に報告を受けたが」
「……三日ではなく、二日です」
「私が風邪を引くまで不眠不休で働いていたので、莉乃が無理矢理ベッドに閉じ込めただけです」
「ほう。こいつは子どもの頃から、自分の限界を頑なに認めようとしない傲慢な性格でな。よくそんな偏屈な男の言い分を押さえつけたものだ」
「祖父さん、もうそのあたりでやめてくれ」
「ハハハ、お前たちの相性は、案外悪くなさそうだな」
運ばれてきた美しい料理をいただきながら食事が始まると、自然と話題はレガリアリンクの今後の経営立て直し計画へと移っていった。
九条のお父さんは終始穏やかな口調を崩さなかったけれど、会社のお金や数字の話に及ぶと、その両目の奥には経営者としての非常に厳しい光が宿っていた。
「共同代表が起こしたあの巨額の不正の全容を、これからの上場審査の過程でどうやって市場へ説明するつもりだ?」
「発覚後の迅速な対応と、すでに構築した再発防止策のすべてを包み隠さず外部へ開示します。それに伴い、ガバナンス強化のために信頼できる監査役も外部から新しく迎える予定です」
「今回の件を機に、レガリアリンクの事業そのものを、一度我が九条グループの傘下へ完全に戻すという選択肢もあるが、どうだ」
「その選択肢はありません。あそこは、俺が自分の力で一から作り上げた俺の会社です」
彼はお父さんの厳しい問いかけにも、一切の迷いなく毅然とした声で言い切った。
彼がこれほど大きな大財閥の実家の後ろ盾がありながら、決してそれに甘えることなく、飲み込まれないように牙を剥いて自立しようとしている理由が、この張り詰めた会話の中で少しだけ分かった気がした。
すると、お父さんの鋭い視線が、今度は私のほうへと真っ直ぐに向けられた。
「莉乃さんは、今回の件が落ち着いた後は、今後どうされる予定ですか?」
「落ち着いたら、また自分の力で新しい総務の仕事を探すつもりです。現在は、レガリアリンクから正式な業務委託として総務と経理の補助業務を引き受けて報酬をいただいていますが、彼と生活の基盤をすべて一つにまとめて依存するつもりはありません」
「九条の会社へ正式に入社すれば、これまでの総務経験を生かせると思いますが、それでは不満ですか?」
「……私の恋人と、家主と、雇用主が全部同じ一人の男になってしまうと、将来もし万が一大きな喧嘩をした時に、私が逃げる場所がなくなって困るので」
私が大真面目にそう答えると、お母さんが思わず上品に吹き出し、お祖父様は器を鳴らすほどの勢いで声を立てて豪快に笑った。
「おい玲、聞いたか!お前、彼女に全く信用されていないぞ!」
「……一度に自分の生活のすべてを他人に裏切られて失った人間が、それくらい慎重になるのは当然の防衛策です。俺としても、莉乃には誰かに依存するのではなく、自分が心から望んで選んだ仕事を続けてほしいと思っています」
驚いて、隣に座る九条の横顔を見つめた。
以前の彼なら、私の意志など関係なく「俺のそばでうちの仕事をしていればいい」と独善的に言い切っていただろう。けれど今の彼は、私のこれまでの傷ついた過去を理解し、一人の人間としての意思を心の底から尊重しようとしてくれていた。
「それは非常によい考えです。莉乃さん、あなたが次の仕事を探すまでの間に、もし希望する業界や職種があれば、我がグループの採用情報もいくらでも紹介できますよ。ただし、それは玲の恋人としてのコネではなく、一人の志望者として通常の選考を受けていただく形になりますが」
「温かいお気遣い、本当にありがとうございます。でも、まずは自分の力で、最初から最後まで探してみようと思います」
「分かりました。あなたのその強い自立心を支持します」
想像していたよりも遥かに和やかに、そしてお互いへの敬意に満ちた形で食事は進んでいった。
来る前は、大財閥の人間というのは人の家柄やステータスを冷酷に値踏みして、私のような一般の庶民を鼻で笑って見下すのではないか、なんて偏見に満ちた恐ろしい想像ばかりしていた自分が、ひどく恥ずかしく思えるほどだった。
「莉乃さん。もしよろしければ、少し二人で散歩でもいかがかしら?」
食事の後、お手洗いをお借りして食堂へ戻ろうとした廊下の途中で、まるで優しく待ち構えていたかのように、九条のお母さんに声をかけられた。
少し緊張しながらも「はい」と答え、彼女の数歩後ろをゆっくりとついて歩いた。廊下の大きな窓の向こうには、美しく咲き誇る広大な庭園が見えてくる。
「莉乃さん、あの子……玲は、驚くほどに不器用な男でしょう?」
「……驚くほどではないです。かなり、ひどいレベルだと思います」
「ふふ、やっぱりそうよね。あの子は昔から、本当に自分が大切にしたい欲しいものほど、素直に口にできない難しい子なのよ」
お母様は優しく微笑みながら、庭園の一角に綺麗に咲き始めた秋薔薇へと愛おしそうな目を向けた。



