目の前で洗練された大人の対応を見せる彼は、普段、自宅兼オフィスのマンションで髪をボサボサに乱しながら、私が作った格安の賄い料理を美味しそうに食べている男と同一人物には到底見えなかった。
彼は押し寄せる相手の名刺や名前、役職を一度も間違えることなく記憶しており、スマートに話題を切り替えながら、同時に私が壁の花にならないよう、極めて自然な動作で会話の輪へと私を招き入れていく。
「こちらは、神崎莉乃さんです」
「お連れの方ですか?」
「本日の同伴者です」
それだけを答え、私生活へ踏み込ませる隙を見せなかった。
驚きと気恥ずかしさで、彼の脇腹を横目でチクリと睨みつける。
「それだけ?」
「仕事の場で、私生活まで説明する必要はないだろう」
「……それなら、文句はないけど」
「当然だろう」
それ以上私情を挟まず、すぐに次の話題へ戻った。
そんな私たちの様子を見て、恰幅の良い年配の男性投資家が、愉快そうにシャンパングラスを掲げた。
「九条君が同伴者を連れてくるとは珍しい。神崎さん、今夜はどうぞごゆっくり」
「恐れ入ります」
「では、また後ほど」
豪快に笑いながら去っていく年配の男性の背中を見送り、すかさず九条の顔を厳しい目で見上げた。
「……ねえ。九条グループの、長男?」
「そうだ」
「同姓同名の、全くの赤の他人のグループじゃなくて?」
「世の中に、この規模の同姓同名の財閥グループがいくつもあるわけがないだろう」
「じゃあ、私たちが今いるこの超一流ホテルも……?」
「実家の系列アセットの一つだ」
「……待って。それって、あの不動産も、大手百貨店も、全国のインフラも牛耳っている、あの日本トップクラスの『九条グループ』のこと!?」
「お前、意外とそういう実業界のニュースにはよく知っているんだな」
「普通に生きてたらニュースやネットで毎日見るわよ!」
周囲に響かないよう、必死に声を押し殺しながら彼の胸元に詰め寄る。
「どうして今まで、自分がそんなとんでもない御曹司だって一言も言わなかったのよ!」
「お前から一度も聞かれなかったからな」
「あなたが平然とブラックカードを渡して、メゾンまで予約した時点で、いくらでも説明する機会はあったでしょう!」
「俺が実家を飛び出して自分で起業したベンチャービジネスに、実家の名前や権力は一切関係ないからな」
「何が『普通のベンチャー社長』よ!どこの世界に、ただ普通のベンチャー社長みたいな顔をして、お店に入っただけで特製のヴィンテージシャンパンが無料で出てきたり、ホテルの最高責任者に『様』づけで特別扱いされる人がいるのよ!」
私の剣幕に、ほんの数秒だけ真面目な顔で小首を傾げた。
「世間の普通の社長というのは、そういうものではないのか?」
「本気で言ってるのなら、あなたのその浮世離れした常識を今すぐ叩き直してあげたいわ!」
九条にとっては、それが生まれた幼い頃から当たり前すぎる日常の環境でしかなかったのだろう。誰かに自慢するでも、意図的に隠すでもなく、単に自分からわざわざ話す必要性すら感じていなかったのだ。
どうりで、彼の立ち振る舞いや金銭感覚のどこかが、いつも妙に一般庶民の枠から浮世離れしていたわけだ……。
納得がいったと同時に、私の胸の奥へ、冷たい小さな不安の影が静かに差し込んできた。
私の知らない九条玲の世界は、あまりにも広すぎて、あまりにも眩しすぎる。
パーティの途中、九条が海外の有力な大物投資家たちに熱心に囲まれて身動きが取れなくなった隙を見計らい、熱を持った身体を冷ますために、一人で静かな屋外バルコニーへと出た。
心地よい夜風が、ドレスから露出した私の肌を優しく撫でていく。眩い東京の街の明かりが眼下一面に海のよう広がり、濃紺のシルクドレスの裾が風に吹かれて静かに揺れていた。
今、仕事も家も一瞬で失った、ただの失業中の身の上だ。おまけに彼の部屋に転がり込んでいる居候。
今日身にまとっているこの贅沢なドレスも、ヒール靴も、すべて九条が買い与えてくれたものだ。自分自身の力で選んだものなんて、ただ「ここへ一緒に来る」と、彼の誘いに頷いたことだけだった。
「……俺の隣に立つのが、そんなに嫌になったか」
背後から聞き馴染んだ低い声がしたかと思うと、九条の温かい仕立ての良い上着が、私の冷えた肩へと優しく掛けられた。
「……いつからそこにいたの?会話、聞こえてた?」
「お前のその分かりやすい顔を見れば、何を悩んでいるかくらい一目でわかる」
「何でもお見通しみたいに、偉そうに言わないでよ」
「分からないから、こうして直接お前に聞きに来たんだ」
私の隣に並び、同じようにバルコニーの手すりに手を置いて夜景を見つめた。
「私ね、あなたとは全然、生きている世界が違いすぎるのよ」
「性格のキツさは、確かに俺とは正反対だな」
「そこをからかってるんじゃないわよ!家柄も、育ってきた環境も、今持っている社会的地位や財産のすべてが、文字通り天と地ほども違うって言ってるの」
「違うから、一体それがどうしたというんだ」
「……あなたのその輝かしい隣にふさわしい人は、私なんかじゃなくて、もっと家柄の良いお嬢様とか、他にたくさんいるんじゃないかって思ったのよ」
弱気な言葉を口にした途端、いつもの自分らしくない、惨めで臆病な思考に酷く自己嫌悪に陥る。
すると九条は、私の顎に長い指をそっとかけ、夜景に向けていた私の顔を無理やり自分の方へと向けさせた。
「莉乃、今日、この俺が自分の意志で、誰の手を引いてこの会場へ連れてきたと思っている」
「……私だけど」
「なら、それがすべてで、唯一の答えだ。もし俺が、女の着ている服のブランドや、くだらない親の家柄だけで隣に置く人間を決めるような男なら、最初からお前をこの場所へ連れてきてなどいない」
「……それって、あなたなりの不器用な褒め言葉?」
「俺は、お前の外面や背景ではなく、神崎莉乃という一人の女の中身を愛して選んだと言っているんだ」
「私の中身なんて、可愛げもなくて、プライドが高くて、ただ気が強いだけだけど?」
「十分に知っている。それでも、俺が隣にいてほしいと思ったのはお前だ」
「それ、今の私だけに言ってる?」
「他の誰にも言う必要はない。お前に伝わればいい」
一度だけ私の目を見つめ、会場から呼ぶ声へ顔を向けた。
その時、会場の華やかな喧騒の中から、九条を呼び戻そうとする別の知人の声が遠くから聞こえてきた。
「戻るぞ、神崎さん」と仕事の顔へ戻り、私も会場の中へ一歩踏み戻そうとした、まさにその瞬間――。
彼は押し寄せる相手の名刺や名前、役職を一度も間違えることなく記憶しており、スマートに話題を切り替えながら、同時に私が壁の花にならないよう、極めて自然な動作で会話の輪へと私を招き入れていく。
「こちらは、神崎莉乃さんです」
「お連れの方ですか?」
「本日の同伴者です」
それだけを答え、私生活へ踏み込ませる隙を見せなかった。
驚きと気恥ずかしさで、彼の脇腹を横目でチクリと睨みつける。
「それだけ?」
「仕事の場で、私生活まで説明する必要はないだろう」
「……それなら、文句はないけど」
「当然だろう」
それ以上私情を挟まず、すぐに次の話題へ戻った。
そんな私たちの様子を見て、恰幅の良い年配の男性投資家が、愉快そうにシャンパングラスを掲げた。
「九条君が同伴者を連れてくるとは珍しい。神崎さん、今夜はどうぞごゆっくり」
「恐れ入ります」
「では、また後ほど」
豪快に笑いながら去っていく年配の男性の背中を見送り、すかさず九条の顔を厳しい目で見上げた。
「……ねえ。九条グループの、長男?」
「そうだ」
「同姓同名の、全くの赤の他人のグループじゃなくて?」
「世の中に、この規模の同姓同名の財閥グループがいくつもあるわけがないだろう」
「じゃあ、私たちが今いるこの超一流ホテルも……?」
「実家の系列アセットの一つだ」
「……待って。それって、あの不動産も、大手百貨店も、全国のインフラも牛耳っている、あの日本トップクラスの『九条グループ』のこと!?」
「お前、意外とそういう実業界のニュースにはよく知っているんだな」
「普通に生きてたらニュースやネットで毎日見るわよ!」
周囲に響かないよう、必死に声を押し殺しながら彼の胸元に詰め寄る。
「どうして今まで、自分がそんなとんでもない御曹司だって一言も言わなかったのよ!」
「お前から一度も聞かれなかったからな」
「あなたが平然とブラックカードを渡して、メゾンまで予約した時点で、いくらでも説明する機会はあったでしょう!」
「俺が実家を飛び出して自分で起業したベンチャービジネスに、実家の名前や権力は一切関係ないからな」
「何が『普通のベンチャー社長』よ!どこの世界に、ただ普通のベンチャー社長みたいな顔をして、お店に入っただけで特製のヴィンテージシャンパンが無料で出てきたり、ホテルの最高責任者に『様』づけで特別扱いされる人がいるのよ!」
私の剣幕に、ほんの数秒だけ真面目な顔で小首を傾げた。
「世間の普通の社長というのは、そういうものではないのか?」
「本気で言ってるのなら、あなたのその浮世離れした常識を今すぐ叩き直してあげたいわ!」
九条にとっては、それが生まれた幼い頃から当たり前すぎる日常の環境でしかなかったのだろう。誰かに自慢するでも、意図的に隠すでもなく、単に自分からわざわざ話す必要性すら感じていなかったのだ。
どうりで、彼の立ち振る舞いや金銭感覚のどこかが、いつも妙に一般庶民の枠から浮世離れしていたわけだ……。
納得がいったと同時に、私の胸の奥へ、冷たい小さな不安の影が静かに差し込んできた。
私の知らない九条玲の世界は、あまりにも広すぎて、あまりにも眩しすぎる。
パーティの途中、九条が海外の有力な大物投資家たちに熱心に囲まれて身動きが取れなくなった隙を見計らい、熱を持った身体を冷ますために、一人で静かな屋外バルコニーへと出た。
心地よい夜風が、ドレスから露出した私の肌を優しく撫でていく。眩い東京の街の明かりが眼下一面に海のよう広がり、濃紺のシルクドレスの裾が風に吹かれて静かに揺れていた。
今、仕事も家も一瞬で失った、ただの失業中の身の上だ。おまけに彼の部屋に転がり込んでいる居候。
今日身にまとっているこの贅沢なドレスも、ヒール靴も、すべて九条が買い与えてくれたものだ。自分自身の力で選んだものなんて、ただ「ここへ一緒に来る」と、彼の誘いに頷いたことだけだった。
「……俺の隣に立つのが、そんなに嫌になったか」
背後から聞き馴染んだ低い声がしたかと思うと、九条の温かい仕立ての良い上着が、私の冷えた肩へと優しく掛けられた。
「……いつからそこにいたの?会話、聞こえてた?」
「お前のその分かりやすい顔を見れば、何を悩んでいるかくらい一目でわかる」
「何でもお見通しみたいに、偉そうに言わないでよ」
「分からないから、こうして直接お前に聞きに来たんだ」
私の隣に並び、同じようにバルコニーの手すりに手を置いて夜景を見つめた。
「私ね、あなたとは全然、生きている世界が違いすぎるのよ」
「性格のキツさは、確かに俺とは正反対だな」
「そこをからかってるんじゃないわよ!家柄も、育ってきた環境も、今持っている社会的地位や財産のすべてが、文字通り天と地ほども違うって言ってるの」
「違うから、一体それがどうしたというんだ」
「……あなたのその輝かしい隣にふさわしい人は、私なんかじゃなくて、もっと家柄の良いお嬢様とか、他にたくさんいるんじゃないかって思ったのよ」
弱気な言葉を口にした途端、いつもの自分らしくない、惨めで臆病な思考に酷く自己嫌悪に陥る。
すると九条は、私の顎に長い指をそっとかけ、夜景に向けていた私の顔を無理やり自分の方へと向けさせた。
「莉乃、今日、この俺が自分の意志で、誰の手を引いてこの会場へ連れてきたと思っている」
「……私だけど」
「なら、それがすべてで、唯一の答えだ。もし俺が、女の着ている服のブランドや、くだらない親の家柄だけで隣に置く人間を決めるような男なら、最初からお前をこの場所へ連れてきてなどいない」
「……それって、あなたなりの不器用な褒め言葉?」
「俺は、お前の外面や背景ではなく、神崎莉乃という一人の女の中身を愛して選んだと言っているんだ」
「私の中身なんて、可愛げもなくて、プライドが高くて、ただ気が強いだけだけど?」
「十分に知っている。それでも、俺が隣にいてほしいと思ったのはお前だ」
「それ、今の私だけに言ってる?」
「他の誰にも言う必要はない。お前に伝わればいい」
一度だけ私の目を見つめ、会場から呼ぶ声へ顔を向けた。
その時、会場の華やかな喧騒の中から、九条を呼び戻そうとする別の知人の声が遠くから聞こえてきた。
「戻るぞ、神崎さん」と仕事の顔へ戻り、私も会場の中へ一歩踏み戻そうとした、まさにその瞬間――。



