「莉乃、俺はお前を金で買っているわけじゃない。俺が大切に連れていきたいと心から願う特別な場所へ、俺が最高に美しいと認めた服をまとったお前と、二人で並んで歩いて行きたかっただけだ。それがお前のプライベートのパートナーとしての役割だろ」
「……だから、その独りよがりな考え方が傲慢だって言ってるのよ」
「そんなことは最初から百も承知だ。だからこそ、お前が少しでも『嫌だ』と不快に思ったデザインの服は、俺は一着も選んでいない。最終的にそのドレスが良いと決めたのは、他でもないお前自身の意志だろ」
「それは、そうだけど……。でも、実際にお金を支払ったのはあなたじゃない」
「どうしても借りができて気が引けると言うなら、お金じゃない別の形で俺に返せばいい」
「別の形って、私に何をすればいいのよ」
「来週のパーティの最中、何があっても俺の隣から絶対に逃げ出さないこと。……それだけだ」
冗談なんかでは決してない、どこまでも本気で真摯な彼の瞳に見つめられ、小さく息を吐き出すことしかできなくなった。
「……本当に、それだけでいいの?」
「今のところは、な」
「今のところ、って何よ。他にも何か企んでるの?」
「今は、隣を歩いてくれればいい」
「それだけ?」
「家へ帰ったら、もう少し欲張る」
「それなら、外では黙っていて」
私の慌てた声に、すれ違う何人かの通行人が不思議そうに振り返る。
私の反応に満足したように声を立てて笑うと、私の小さな手をきゅっと握りしめ、今度は指と指を深く絡め合わせる『恋人繋ぎ』の形のまま、ゆっくりと歩き出した。
どんなに高価で贅沢なブランドドレスを贈られることよりも、こうして休日の穏やかな街並みの中、誰の目を気にする風でもなく堂々と手を繋いで歩いてくれることの方が、今の私にとっては、ずっと特別で、胸の奥が温かくなるほど嬉しかった。
その日の夜。マンションの上階に戻ると、届いたばかりのあの美しい濃紺のドレスを、クローゼットの特等席へと丁寧に掛けた。
すると、いつの間にか背後から腰を優しく抱き締められ、耳元で低く尋ねてきた。
「試しに、今からもう一度そのドレスを着てみるか?」
「……絶対、純粋に服を見るのが目的じゃないでしょう、あなた」
「フッ、俺の考えていることがずいぶんとよく分かるようになってきたな」
九条の長い指先が、私が今着ている部屋着のワンピースの背中のファスナーへと、じわりと不穏に触れる。
来週のせっかくのパーティで着る前に、彼のせいで大切なドレスに変な皺をつけられるのだけは、持ち主としても絶対に困るのだ。
彼の大きな手をきゅっと掴み、ドレスから引き離すようにして、そのまま九条の寝室の大きなベッドの方へと強く引っ張っていった。
「こっちよ。ドレスには絶対に触らないで」
「ベッドに向かう時だけは、本当に素直で可愛いな」
「……もう、早く来ないなら、今夜はここでやめてもいいんだけど?」
私が少し強がって寝返りを打とうとした瞬間、返事の代わりに身体を軽々と横抱きにされた。
パーティ当日。クローゼットから取り出したあの濃紺のドレスを身にまとった私を見て、九条はしばらくの間、ただ無言で見つめたまま動かなかった。
「……何よ、変かしら」
「店で見ただろ。あの時より、ずっとよく似合っている」
「プロのヘアメイクさんと、綺麗な化粧のおかげに決まってるでしょう」
「それだけじゃないな。昨夜、お前の見える場所に跡をつけないよう、俺が必死に理性を保って我慢したおかげでもある」
「ちょっと、朝から何を恥ずかしいことを言ってるのよ」
「見える場所には、だ」
「……じゃあ、見えないところならつけてもいいと思ってたわけ?」
「もう、いくつかついているがな」
「嘘っ!?どこに!?」
真っ青になって姿見の前でドレスの裾や胸元を確認しようとする私を見て、可笑しそうに声を立てて笑った。
「見えるわけがないだろう。今のお前なら、どこを覗かれても完璧に隠れる場所だ」
「……また私をからかったのね?」
「お前のそういう、いちいち慌てる反応がかわいいからな」
「今日帰ったら、絶対に自分の部屋のベッドじゃなくて、リビングの硬いソファで一人で寝てちょうだい」
「それは無理な相談だな」
マンションの前に迎えに来ていた高級送迎車へ乗り込むと、ごく自然に手を握られた。彼の長い親指が、私の手の甲をゆっくりと、安心させるように優しく撫でる。
「莉乃、緊張しているか」
「……少しだけね」
「気にするな。お前はただ、俺のすぐそばに離れずにいればいい」
「子供扱いしないでよ」
「こんなに広い会場だ。お前のような迷子が一人でうろちょろされると、俺のほうが困る」
「だったら……絶対に私の手を離さないでよ」
口にしてから、あまりに素直すぎる弱音を吐いてしまったことに気づいて赤面する。
けれど、彼はいつものようにからかう言葉を一切口にせず、ただ真剣な眼差しで、私の指の隙間に自分の指を強く深く絡め合わせてきた。
「ああ、絶対に離さない」
車が到着した会場は、日本でも有数の九条家が誇るホテルグループが運営する、都心の一等地にある超一流の旗艦ホテルだった。
威厳のあるエントランスで車を降りると、仕立ての良いスーツを着た支配人らしき初老の男性が、九条の姿を認めるなり大急ぎで駆け寄り、最敬礼の角度で頭を下げた。
「玲様、一同お待ちしておりました」
「仕事の場です。その『様』をつける呼び方はやめてくださいと、以前も言ったはずですが」
「そうは申しましても、会長から、玲様とお客様にはくれぐれも失礼のないようにと、直々に厳命されておりますので……」
歩きながら、九条の耳元へ顔を寄せ、極小の声で尋ねた。
「ねえ、今の支配人さんが言っていた『会長』って、一体誰のこと?」
「俺の祖父だ」
「……この、日本を代表する最高級ホテルの?」
「ああ」
それ以上、自分から詳しく説明する気はさらさらないらしい。
きらびやかなシャンデリアが輝く大広間のパーティ会場へ一歩足を踏み入れた瞬間、九条の姿を見つけた政財界の重鎮や投資家たちが、次から次へと波のように近づいてきた。
「九条君、久しぶりじゃないか!お父上はお元気でお過ごしかな」
「玲さん、先日のトラブルの件は本当に大変でしたね。何かあればいつでも力になりますよ」
「例の次の資金調達の案件、ぜひとも我が社も一枚噛ませてください」
「……だから、その独りよがりな考え方が傲慢だって言ってるのよ」
「そんなことは最初から百も承知だ。だからこそ、お前が少しでも『嫌だ』と不快に思ったデザインの服は、俺は一着も選んでいない。最終的にそのドレスが良いと決めたのは、他でもないお前自身の意志だろ」
「それは、そうだけど……。でも、実際にお金を支払ったのはあなたじゃない」
「どうしても借りができて気が引けると言うなら、お金じゃない別の形で俺に返せばいい」
「別の形って、私に何をすればいいのよ」
「来週のパーティの最中、何があっても俺の隣から絶対に逃げ出さないこと。……それだけだ」
冗談なんかでは決してない、どこまでも本気で真摯な彼の瞳に見つめられ、小さく息を吐き出すことしかできなくなった。
「……本当に、それだけでいいの?」
「今のところは、な」
「今のところ、って何よ。他にも何か企んでるの?」
「今は、隣を歩いてくれればいい」
「それだけ?」
「家へ帰ったら、もう少し欲張る」
「それなら、外では黙っていて」
私の慌てた声に、すれ違う何人かの通行人が不思議そうに振り返る。
私の反応に満足したように声を立てて笑うと、私の小さな手をきゅっと握りしめ、今度は指と指を深く絡め合わせる『恋人繋ぎ』の形のまま、ゆっくりと歩き出した。
どんなに高価で贅沢なブランドドレスを贈られることよりも、こうして休日の穏やかな街並みの中、誰の目を気にする風でもなく堂々と手を繋いで歩いてくれることの方が、今の私にとっては、ずっと特別で、胸の奥が温かくなるほど嬉しかった。
その日の夜。マンションの上階に戻ると、届いたばかりのあの美しい濃紺のドレスを、クローゼットの特等席へと丁寧に掛けた。
すると、いつの間にか背後から腰を優しく抱き締められ、耳元で低く尋ねてきた。
「試しに、今からもう一度そのドレスを着てみるか?」
「……絶対、純粋に服を見るのが目的じゃないでしょう、あなた」
「フッ、俺の考えていることがずいぶんとよく分かるようになってきたな」
九条の長い指先が、私が今着ている部屋着のワンピースの背中のファスナーへと、じわりと不穏に触れる。
来週のせっかくのパーティで着る前に、彼のせいで大切なドレスに変な皺をつけられるのだけは、持ち主としても絶対に困るのだ。
彼の大きな手をきゅっと掴み、ドレスから引き離すようにして、そのまま九条の寝室の大きなベッドの方へと強く引っ張っていった。
「こっちよ。ドレスには絶対に触らないで」
「ベッドに向かう時だけは、本当に素直で可愛いな」
「……もう、早く来ないなら、今夜はここでやめてもいいんだけど?」
私が少し強がって寝返りを打とうとした瞬間、返事の代わりに身体を軽々と横抱きにされた。
パーティ当日。クローゼットから取り出したあの濃紺のドレスを身にまとった私を見て、九条はしばらくの間、ただ無言で見つめたまま動かなかった。
「……何よ、変かしら」
「店で見ただろ。あの時より、ずっとよく似合っている」
「プロのヘアメイクさんと、綺麗な化粧のおかげに決まってるでしょう」
「それだけじゃないな。昨夜、お前の見える場所に跡をつけないよう、俺が必死に理性を保って我慢したおかげでもある」
「ちょっと、朝から何を恥ずかしいことを言ってるのよ」
「見える場所には、だ」
「……じゃあ、見えないところならつけてもいいと思ってたわけ?」
「もう、いくつかついているがな」
「嘘っ!?どこに!?」
真っ青になって姿見の前でドレスの裾や胸元を確認しようとする私を見て、可笑しそうに声を立てて笑った。
「見えるわけがないだろう。今のお前なら、どこを覗かれても完璧に隠れる場所だ」
「……また私をからかったのね?」
「お前のそういう、いちいち慌てる反応がかわいいからな」
「今日帰ったら、絶対に自分の部屋のベッドじゃなくて、リビングの硬いソファで一人で寝てちょうだい」
「それは無理な相談だな」
マンションの前に迎えに来ていた高級送迎車へ乗り込むと、ごく自然に手を握られた。彼の長い親指が、私の手の甲をゆっくりと、安心させるように優しく撫でる。
「莉乃、緊張しているか」
「……少しだけね」
「気にするな。お前はただ、俺のすぐそばに離れずにいればいい」
「子供扱いしないでよ」
「こんなに広い会場だ。お前のような迷子が一人でうろちょろされると、俺のほうが困る」
「だったら……絶対に私の手を離さないでよ」
口にしてから、あまりに素直すぎる弱音を吐いてしまったことに気づいて赤面する。
けれど、彼はいつものようにからかう言葉を一切口にせず、ただ真剣な眼差しで、私の指の隙間に自分の指を強く深く絡め合わせてきた。
「ああ、絶対に離さない」
車が到着した会場は、日本でも有数の九条家が誇るホテルグループが運営する、都心の一等地にある超一流の旗艦ホテルだった。
威厳のあるエントランスで車を降りると、仕立ての良いスーツを着た支配人らしき初老の男性が、九条の姿を認めるなり大急ぎで駆け寄り、最敬礼の角度で頭を下げた。
「玲様、一同お待ちしておりました」
「仕事の場です。その『様』をつける呼び方はやめてくださいと、以前も言ったはずですが」
「そうは申しましても、会長から、玲様とお客様にはくれぐれも失礼のないようにと、直々に厳命されておりますので……」
歩きながら、九条の耳元へ顔を寄せ、極小の声で尋ねた。
「ねえ、今の支配人さんが言っていた『会長』って、一体誰のこと?」
「俺の祖父だ」
「……この、日本を代表する最高級ホテルの?」
「ああ」
それ以上、自分から詳しく説明する気はさらさらないらしい。
きらびやかなシャンデリアが輝く大広間のパーティ会場へ一歩足を踏み入れた瞬間、九条の姿を見つけた政財界の重鎮や投資家たちが、次から次へと波のように近づいてきた。
「九条君、久しぶりじゃないか!お父上はお元気でお過ごしかな」
「玲さん、先日のトラブルの件は本当に大変でしたね。何かあればいつでも力になりますよ」
「例の次の資金調達の案件、ぜひとも我が社も一枚噛ませてください」



