3本の赤いチューリップに、気持ちを込めて。

高校に入学してすぐ、委員会活動の初日。

私は、隣の席に座る先輩――藤堂結翔さんに一目ぼれをした。

控えめに笑う横顔、通る声、下級生の私にも丁寧な言葉遣い。

そのすべてが眩しかった。

だけど、高1と高3という「2歳」の距離は、十六歳の私にとって果てしなく遠いものに思えた。

背伸びをしても届かない、大人びた彼の背中。

それでも、想いは溢れて止まらなかった。


2月14日、バレンタインデー。

私は放課後、心臓を早鐘のように鳴らしながら、校舎の裏手へと向かった。

鞄の中には、昨夜何度もラッピングをやり直した小さなチョコレート。

今日こそ、「ずっと好きでした」と一言だけ伝えよう。

そう決意していた。



しかし――曲がり角の先で私が目にしたのは、思い描いていた未来ではなく、冷酷な現実だった。

結翔先輩の前に立っていたのは、学校一の美少女として有名な三年生の川北翠先輩だった。

西日に照らされた翠先輩の横顔はあまりにも美しく、凛とした声で「好きです」と結翔先輩に想いを告げていた。

息が止まった。

結翔先輩がどんな表情をしたのか、なんて答えたのか、私には確かめる度胸すらなかった。

弾かれたようにその場を逃げ出し、誰もいない渡り廊下の陰で、私は渡せなかったチョコレートの袋をビリビリと破いた。

口の中に放り込んだチョコレートは、驚くほど甘くて、そして――涙の味がした。

私の小さな初恋は、声を上げることも許されないまま、静かに終わったのだと思っていた。







そして、3月。卒業式の日。

校庭の桜はまだ固い蕾のままで、吹き抜ける風には冬の冷たさが残っていた。

胸に胸章をつけた三年生たちが、名残惜しそうに写真を撮り合っている。

今日で、結翔先輩はこの学校からいなくなってしまう。

(これで、本当に終わりなんだ)

遠くで見える結翔先輩の姿をぼんやりと見つめていた私のもとへ、勢いよく駆け寄ってくる足音がした。

「凛奈!」

息を切らせて立ち止まったのは、親友の琳香だった。

彼女の手には、鮮やかな赤い紙で包まれた小さな花束が握られている。

包みから覗いているのは、綺麗に揃った三本の赤いチューリップだった。

「最後なのに、いいの!? これ、渡しておいでよ!」

「え……? でも、私……」

「いいから! 行って!」

琳香は強引に私の手に花束を押し付けた。

手のひらに伝わる、茎のみずみずしい冷たさと、花の重み。

チューリップの花言葉を、私は知っている。

『愛の告白』

そして、三本という本数が持つ意味は――『愛しています』。

たったそれだけの気持ちを届けること。

ただ、手渡すだけ。

なのに、足がすくんで動かない。

胸が締め付けられて、呼吸が浅くなる。

振られるのが怖い?

断られるのが嫌?

それとも、あのバレンタインの日のトラウマ?

自分の中でぐるぐると言い訳が渦巻く。

どうしてこんなに惨めで、臆病なんだろう。

だけど――もう二度と、彼に会えない。

(最後くらい、私……!)

私は花束を強く握りしめ、前を向いた。

友人と笑い合っていた結翔先輩の背中に向かって、なりふりかまわず駆け出した。

靴底が廊下を叩く音が、静かな校舎に響く。

「……藤堂先輩!」

心の中で叫びながら、私は彼の背後に滑り込んだ。

振り返る結翔先輩。

その驚いたような瞳が、真っ直ぐに私をとらえる。

声を出そうとした。

「好きでした」と。「卒業おめでとうございます」と。

何か一言でもいいから、言葉にしようとした。

けれど、喉がキュッと絞り出されたように固まって、音になってくれない。

視界が涙で急速に滲んでいく。

(あ、ダメだ。喋ったら、泣いちゃう)

言葉にできない。

どうしても、声が出ない。

私は唇を強く噛み締め、声を発するのを諦めた。

そして、溢れ出しそうな涙をこらえながら、持っていた三本の赤いチューリップを、無言で結翔先輩の胸元へと押し付けた。

「……っ」

結翔先輩が咄嗟にそれを受け取った感覚だけが、手に残る。

返事なんていらない。彼の表情を見る勇気もない。

私は言葉の代わりに三本の赤だけを彼の手に残すと、くるりと背を向け、一度も振り返ることなくその場を走り去った。

春の冷たい風が、頬を濡らす涙をさらっていく。

言葉にはできなかった。だけど、私の三本分の想いは、確かにあの人の手に渡った。

固く閉じたチューリップの蕾のように、私の初恋は、最後まで開くことのないまま終わったのだ。