「どうせ、お前の両親はパトリシアに後を継がせる気が無いんだろ?」
カルステンに言われてアーデルハイトは苦々しい表情をしながらこくりと頷いた。
十歳の頃の話である。
バルテル伯爵家の跡取り娘アーデルハイトには見合いの話が持ち上がった。
しかし、家族が顔を合わせたとき、カルステンは長女のアーデルハイトではなく妹のパトリシアに恋をした。
と言うか誰でもそうなるのだ。
パトリシアは誰がどう見てもかわいらしく、十人の男性がいたら全員がパトリシアを選ぶぐらいには目を引く美しさを持っていた。
華かやな金髪に、大きな宝石のような青い瞳。目が大きく肌が白く、小さな唇は薄く色づき花びらみたいに可憐だ。
アーデルハイトは彼女がすれ違ったご婦人達に「あら、かわいい」と言われるのを何度も見ていた。
だから、カルステンがパトリシアと結婚したいと言うのは当然のことである。
けれどもパトリシアは跡取りではない。
カルステンとその両親はどうにかパトリシアを跡取りにして、彼女と結ばれたいし「美しい人間の方がなにかと得」などと主張しアーデルハイトの両親を説得していた。
しかしそんなことで、跡取りの地位を動かすことなど常識的にあり得ない。もちろん、アーデルハイトの地位もパトリシアの地位も変わらない。
それが不服なカルステンにアーデルハイトは責められていた。
「お父様も、お母様ももう、決まっていることだからって言っています」
「……はぁ……でも誰だって、思うだろ。婚約予定の相手と、その妹が並んでて、妹がとびきりかわいいならそっちが良いって」
言われてアーデルハイトは自分のことに置き換えて想像してみた。
とてもかわいい子とそうじゃない子が隣に並んでいて、そうじゃない方が自分の相手だと言われたら「いや、かわいいほうがいい」そう言うかもしれない。
「ハズレを引いたって思うだろ。……どうせ、姉妹だろ、外見以外たいした差なんてないんだから、変えてくれれば良いのに」
カルステンは忌々しげに言葉を吐き捨てた。
その態度は、婿入りする立場としては珍しい。しかし、それも両家の家格を考えれば無理はない。
彼は侯爵家の出身であり、一方の我がバルテル伯爵家としては、ぜひともその縁を得たいと考えている。
だからこそ、多少の要求であれば受け入れるしかない。
「……他の要求なら、のめる部分もあると思います。ただ長子相続はバルテル伯爵家の伝統なので……」
「……はぁ」
「……」
「わかった。なら、わかったよ。もういい」
そうしてカルステンは投げやりに言う。
「お前でいい。それ以外、ないんだろ」
アーデルハイトでいい、カルステンはそう言って妥協してくれた。
かわいいパトリシアとの未来を諦めてくれた。
だからアーデルハイトはそう言われて嬉しかった。
妥協でも、選んでくれたのだから。
自分が、誇れるような人間になればきっと、「アーデルハイトでいい」という言葉も変わってくるだろうと思って、いろいろなことを頑張っていこうと決意したのだった。
しかし、十六の春。
魔法学園から帰宅して、実家で過ごしていると、ばったりと妹の部屋からカルステンが出てくるところに遭遇した。
「……」
アーデルハイトはきょとんとして、パトリシアも驚いていたけれど、それからクスッと笑う。
「やだ、見つかっちゃった」
声は少し弾んでいる。彼女のそばに居るカルステンはバツが悪そうに視線をそらした。
「カルステン様、いいわ。行っちゃって、また会いましょうね」
「あ……ああ」
立ち止まったカルステンを促して、パトリシアは彼を返す。
それから、にこっと花が咲くみたいに愛らしく笑い、くりくりとした瞳をアーデルハイトに向けた。
「見られちゃったのは初めてね……でもそんなに驚くことぉ?」
「……だ、だって、まさか、考えもしていませんでしたから」
「考えても居なかった?」
「な、なんでこんなことを……」
「なんでぇ??」
動揺してうわずったアーデルハイトの言葉を面白おかしくまねて、パトリシアは「アハハッ」と軽快な笑い声を漏らす。
「なんでって、あの人が迫ってきたのよ? 結婚はお姉様でいいって妥協したけれど、愛までお姉様に与える義理はないもの。本当の愛は、お姉様よりずっとかわいいわたくしに」
パトリシアは自分の胸にそっと手を当てて頬を染めて微笑む。
彼女の緩くウェーブのかかった金髪がさらりと揺れる。
「普通のことじゃないのぉ。侯爵子息との結婚なんて、お姉様にはもったいない代物でしょう? なにより、わたくしを差し置いて、お姉様が選ばれるなんておかしいでしょう?」
「……」
「鏡を見たら?」
「……」
「持ってきてあげましょうか?」
「け、結構、です……」
アーデルハイトはつまり、思い上がっていたということだ。
妥協して結婚はアーデルハイトで良いと言ってくれただけで、たしかに愛してくれるとは言ってない。
筋は通っている。
最初からアーデルハイトは選ばれてなんか居なかった。妥協でも結婚してもらえるだけ温情なのだ。
だってこんなにかわいい子がそばに居るから仕方ない。
(「お前でいい」でも喜ばなくては、それが私が得られる最良の言葉……です)
呆然としながらそう自分に言い聞かせた。
「と、言うことがあったんです」
「は?」
「……え、と。面白くない話をして、すみません」
「いや、話それで終わり?」
「はい、おしまいです。まぁ、人生しょうがないことというものはあるものでして」
「いや、え?」
「……落ちが弱かったでしょうか」
「いや、落ちとかじゃないんだが」
長期休暇から学園へと戻った初日、せわしない午前中を終えて昼休憩。
なんとなしに教室へと戻る前に中庭の見えるベンチに座って、アーデルハイトとレオンハルトは話をしていた。
両親の口うるさい説教の話だとか、親類の集まりの話、そんなとりとめの無いことを友人として報告し合っていたが、そういえばと思い出してアーデルハイトはパトリシアとカルステンのことを話した。
きっと、「まぁ、あの妹が相手じゃ仕方が無いな」と言ってくれると思って、話し出したのだが、レオンハルトの反応はまったく想定外のものだった。
「仕方ないで、終わり? アーデルハイトはそれでいいのかよ」
「良い悪い、ではなく世の中そういうこともあるよなぁと思っています」
「いや、ない」
「……無くはないでしょう。人間すべてが自分で問題を解決出来るわけではないのです」
「いや、ない。仕方なくない」
「……困りましたね」
レオンハルトは、かたくなに意見を曲げなかった。
果たして彼はそれほど頑固だっただろうか。
今まで、そうと思ったことは一度も無かったのだが、急に頑固になったように思う。
(よっぽど、浮気が嫌いなのでしょうか……)
そんなふうに彼の態度を考察して見るが、真偽はわからない。
ただ、ふと彼が受け入れられない理由が思いついた。
レオンハルトはまだ、アーデルハイトとパトリシアが並んだところを見たことがないのだ。
だから、常識の範疇ならあり得ないと思っているのかもしれない。
「きっと見れば、わかって頂けると思いますよ。レオンハルト。あなたとはまだ、学園外では交流が無いので、パトリシアを紹介できていません。だからこそ、見たらこれは仕方が無いと言うと思います」
「いや、見ても、仕方なくないって言うが」
「見ていないのに決めつけはいけませんよ」
「いや、アーデルハイトだって見たら仕方ないって言うって決めつけてんだろ」
「……たしかに……」
あっという間に彼に論破されてしまって、アーデルハイトは困ってしまって頬に手を添えて首をかしげた。
そうはいっても、親類達や家臣貴族はそのように言うことが多いのだ。
だから見ればわかってもらえるはずなのだが……。
「ってか、なんでアーデルハイトってそんなに自分より妹が圧倒的に勝ってるって思うわけ」
「他人から見た客観的な評価がそれだからです」
「いや、そんな外見だけで評価するような人間の価値観なんか気にすんなよ。アーデルハイトはさ、もっと、なんつうの。なんつうか」
「けれど多くの人が価値をつけるものこそ価値が高い、と思いませんか? レオンハルト、それをたった一人の個人の評価だけをくみ取って自分に都合の良い解釈をつけるのは視野が狭いと思います」
「っ、いや……あー、もう」
「だから、多くの人が欲しいと思うパトリシアをカルステンが選ぶのもまた必然的だと思います」
「……っ、へ、屁理屈!」
「……そうでしょうか」
パトリシアが選ばれることがいかに当たり前かをアーデルハイトが説明すると、彼はアーデルハイトの理論に反論を出来ず、アーデルハイトのスタンスに物申した。
たしかに少々理屈をこねすぎたかもしれない。
しかし、事実として、アーデルハイトが言われた言葉の中で一番良いものは「アーデルハイトでいい」という妥協だけだ。
妥協の上での関係だ。
だから理屈としても現実としてもそれがすべて。
彼も見たらきっとわかると言う、その考えは覆らない。
でも、なにもレオンハルトのことを怒らせたい訳ではない。
「そうかもしれません。すみません。あなたを否定したい訳ではないんです。あなたはパトリシアに会っても仕方なくないと言ってくれる可能性は確かにあります」
「……」
「それを決めつけて、結論を急ぐのは喜ばれる行為ではありませんね。許してくれますか」
「…………っ、あ、謝られることじゃない!」
「そうでしたか」
「アーデルハイトは……っ…………君は」
レオンハルトは、なにか言いたいことがあるようだったが、言葉にならずに、彼は額を抑えて黙り込む。
「…………」
「レオンハルト?」
「……俺も、パトリシアに会いたい」
長考の末に、レオンハルトは実際に会ってみて結論を出すことにしたらしい。
もちろん、この問答をすんなり終わらせるにはそれが一番だ。しかし少々手間がかかる。
「……かまいませんよ。バルテル伯爵領地のほうに来てもらうことになりますが、それで良ければ」
「いい。そのカルステンとか言う男がいるときに呼んでくれ」
そうして、レオンハルトに妹のパトリシアを紹介することになったのだった。
