正妻オーレリアの賜死、そしてハミルトン公爵家をはじめとする保守派貴族の一斉処刑。
それは、クインテラ王国の建国以来、後宮の頂点に君臨し続けてきた「絶対的階級制度」が、完全に崩壊した瞬間を意味していた。
翌朝、後宮の中心にそびえ立つ、かつては正妻の絶対聖域であった「黄金宮」。
その主を失い静まり返っていた大広間に、一人の女性が足を踏み入れた。
第一側室エレナ――。
彼女は、煤や血に汚れた過去のドレスを脱ぎ捨て、王国の最高位女性にのみ許される、目の覚めるような深い紫紺の絹のドレスを身に纏っていた。
その背後には、第二側室カタリナ、そして第四側室フィオナが、確固たる敬意を持って従っている。
「――本日より、私は正妻代行として、この後宮のすべての権限を預かります」
大広間に集められた数百人の侍女、内膳司の役人、そして近衛兵たちを前に、エレナは凛とした、しかし誰もが平伏せざるを得ない圧倒的な威厳に満ちた声を響かせた。
かつて「平民出身の泥」と罵られ、命を狙われ続けていた側室は、自らの知略と覚悟によって、ついに後宮の実質的なトップ(リーダー)へと上り詰めたのである。
「私たちが目指すのは、身分による抑圧のない、理知と平穏が統べる後宮です。……ですが、勘違いしないで。規律を乱す者、あるいは外部の勢力と結託してこの国の血統を脅かそうとする者には、私は前正妻よりも遥かに冷酷な鉄槌を下しますわ」
エレナの鋭い眼差しが全員を見据える。
その言葉の裏にある「本当の敵」が誰であるかを、居並ぶ者たちは本能的に察知し、深く頭を垂れた。
その日の午後、エレナは後宮の東翼にある「騎士療養所」を訪れていた。
白百合宮の炎上事件、そして先のロベルト医師を巡る暗殺未遂劇の中で、身を挺してエレナを守り、敵の魔術的な罠によって深い傷を負っていた第三側室ブリジェットが、そこに横たわっていたからである。
「――おいおい、そんなに暗い顔をするんじゃないよ、エレナ」
ベッドの上で、上半身に何重もの包帯を巻きながらも、ブリジェットは相変わらずの豪快な笑みを浮かべてみせた。
その蜂蜜色の瞳には、死線を潜り抜けた者だけが持つ、力強い生命の光が宿っている。
「ブリジェット様……! 一命を取り留めてくださって、本当に、本当に良かったですわ……」
エレナはブリジェットの無事な手を両手で握りしめ、目元を潤ませた。
普段は冷徹な戦術家であるエレナも、共に生死を共にしてきた最大の戦友の前では、一人の素直な女性に戻っていた。
「ハッ、私の身体を誰だと思っているんだい? バルトロメウスの血を引く、後宮最強の『戦乙女』だよ。あの雌狐の仕込んだ小細工くらいで、くたばるわけがないさ」
ブリジェットはクククと喉を鳴らして笑ったが、すぐに真剣な表情になり、エレナを見つめた。
「それより、聞いたよ。正妻派を完全に根絶やしにしたんだってね。……よくやった、エレナ。これで、アルフレッドの未来を阻む障害が、また一つ消えた」
「ええ。でも、まだ『最大の蛇』が残っていますわ」
エレナの表情が、再び新・リーダーの冷徹なそれへと引き締まる。
「リリィだね……」
ブリジェットが、包帯の巻かれた胸元を押さえながら、低く呟いた。
「はい。彼女は現在、医薬院の特別室に厳重に軟禁されています。カタリナ様の密偵と、ブリジェット様の騎士団の精鋭が24時間体制で監視していますが……彼女の『出産予定日』は、もう目の前に迫っていますわ」
正妻派という巨大な盾を失い、完全に孤立無援となったはずの第六側室リリィ。
しかし、彼女が未だに発狂もせず、静かにベッドの中で時を待っているという事実そのものが、エレナたちにとって最大の不気味さであった。
リリィは、自らの「偽装妊娠」というカードが破裂する最後のその瞬間に、すべてを逆転させるための最悪の奇策――【赤ん坊のすり替え計画】を、未だに諦めていないのだ。
数週間が経過し、後宮には表向き、かつてないほどの平穏が戻っていた。
エレナの差配により、内政の効率化が進み、侍女たちへの理不尽な罰や身分差別は撤廃された。
財務を司るフィオナ、情報網を統べるカタリナの連携は完璧であり、傷の癒えたブリジェットも徐々に前線へと復帰しつつあった。
しかし、その穏やかな空気の下で、不気味なまでの「静けさ」が後宮の底を流れていた。
夜が更け、翡翠宮のテラスに立つエレナのもとへ、カタリナが影のように寄り添う。
「エレナ様、動きがあったわ」
カタリナの声は、夜の冷気よりも冷たかった。
「リリィですね?」
「ええ。彼女のお腹の偽装を維持していた『マトリカの毒雫』の投与期間が、間もなく終了する。……つまり、彼女の計算上の『出産予定日』は、今から三日後。そして、その日はまさに、先王の法に基づき、全貴族が我が子の王位継承権の正当性を値踏みする【大御前審判】の当日よ」
エレナは月を見上げた。
三日後。その日の朝、リリィは必ず、外部から「本物の男児の赤ん坊」を密入国させ、自らの産んだ御子としてすり替える。そして、その赤ん坊を抱いて全貴族の前に現れ、アルフレッドを廃嫡へと追い込もうとするだろう。
「密輸ルートの監視は?」
「万全よ。カタリナの情報網が、内膳司の勝手口へ繋がるすべての物資搬入路を網羅しているわ。審判の日の朝、食材の木箱に隠されて運ばれてくる『生きた貨物』を、私たちはその瞬間に押さえる」
カタリナは不敵に微笑んだ。
「敵は、私たちがこの計画に気づいていないと思っている。リリィは完璧な勝利を確信して、部屋で静かに笑っているわよ」
「良いでしょう……」
エレナは、ドレスの袖の中で強く拳を握りしめた。
新・後宮のリーダーとして、そしてアルフレッドの母親として、この最後の戦いに負けるわけにはいかない。
「リリィが『偽りの御子』を抱き、全貴族の前で勝ち誇ったその瞬間に、すべてをひっくり返してあげるわ。……カタリナ様、ブリジェット様、フィオナ様。これが、私たちの最初の、そして最大の総力戦です。あの白い蛇の首を、今度こそ完全に撥ね退けましょう」
不気味な静けさに包まれた後宮。
三日後に迫る【大御前審判】と、その裏で決行される「赤ん坊すり替え計画」。
すべての因縁、すべての知略、そして女たちの命を賭けた復讐劇の決着の舞台が、ついに幕を開けようとしていた。
それは、クインテラ王国の建国以来、後宮の頂点に君臨し続けてきた「絶対的階級制度」が、完全に崩壊した瞬間を意味していた。
翌朝、後宮の中心にそびえ立つ、かつては正妻の絶対聖域であった「黄金宮」。
その主を失い静まり返っていた大広間に、一人の女性が足を踏み入れた。
第一側室エレナ――。
彼女は、煤や血に汚れた過去のドレスを脱ぎ捨て、王国の最高位女性にのみ許される、目の覚めるような深い紫紺の絹のドレスを身に纏っていた。
その背後には、第二側室カタリナ、そして第四側室フィオナが、確固たる敬意を持って従っている。
「――本日より、私は正妻代行として、この後宮のすべての権限を預かります」
大広間に集められた数百人の侍女、内膳司の役人、そして近衛兵たちを前に、エレナは凛とした、しかし誰もが平伏せざるを得ない圧倒的な威厳に満ちた声を響かせた。
かつて「平民出身の泥」と罵られ、命を狙われ続けていた側室は、自らの知略と覚悟によって、ついに後宮の実質的なトップ(リーダー)へと上り詰めたのである。
「私たちが目指すのは、身分による抑圧のない、理知と平穏が統べる後宮です。……ですが、勘違いしないで。規律を乱す者、あるいは外部の勢力と結託してこの国の血統を脅かそうとする者には、私は前正妻よりも遥かに冷酷な鉄槌を下しますわ」
エレナの鋭い眼差しが全員を見据える。
その言葉の裏にある「本当の敵」が誰であるかを、居並ぶ者たちは本能的に察知し、深く頭を垂れた。
その日の午後、エレナは後宮の東翼にある「騎士療養所」を訪れていた。
白百合宮の炎上事件、そして先のロベルト医師を巡る暗殺未遂劇の中で、身を挺してエレナを守り、敵の魔術的な罠によって深い傷を負っていた第三側室ブリジェットが、そこに横たわっていたからである。
「――おいおい、そんなに暗い顔をするんじゃないよ、エレナ」
ベッドの上で、上半身に何重もの包帯を巻きながらも、ブリジェットは相変わらずの豪快な笑みを浮かべてみせた。
その蜂蜜色の瞳には、死線を潜り抜けた者だけが持つ、力強い生命の光が宿っている。
「ブリジェット様……! 一命を取り留めてくださって、本当に、本当に良かったですわ……」
エレナはブリジェットの無事な手を両手で握りしめ、目元を潤ませた。
普段は冷徹な戦術家であるエレナも、共に生死を共にしてきた最大の戦友の前では、一人の素直な女性に戻っていた。
「ハッ、私の身体を誰だと思っているんだい? バルトロメウスの血を引く、後宮最強の『戦乙女』だよ。あの雌狐の仕込んだ小細工くらいで、くたばるわけがないさ」
ブリジェットはクククと喉を鳴らして笑ったが、すぐに真剣な表情になり、エレナを見つめた。
「それより、聞いたよ。正妻派を完全に根絶やしにしたんだってね。……よくやった、エレナ。これで、アルフレッドの未来を阻む障害が、また一つ消えた」
「ええ。でも、まだ『最大の蛇』が残っていますわ」
エレナの表情が、再び新・リーダーの冷徹なそれへと引き締まる。
「リリィだね……」
ブリジェットが、包帯の巻かれた胸元を押さえながら、低く呟いた。
「はい。彼女は現在、医薬院の特別室に厳重に軟禁されています。カタリナ様の密偵と、ブリジェット様の騎士団の精鋭が24時間体制で監視していますが……彼女の『出産予定日』は、もう目の前に迫っていますわ」
正妻派という巨大な盾を失い、完全に孤立無援となったはずの第六側室リリィ。
しかし、彼女が未だに発狂もせず、静かにベッドの中で時を待っているという事実そのものが、エレナたちにとって最大の不気味さであった。
リリィは、自らの「偽装妊娠」というカードが破裂する最後のその瞬間に、すべてを逆転させるための最悪の奇策――【赤ん坊のすり替え計画】を、未だに諦めていないのだ。
数週間が経過し、後宮には表向き、かつてないほどの平穏が戻っていた。
エレナの差配により、内政の効率化が進み、侍女たちへの理不尽な罰や身分差別は撤廃された。
財務を司るフィオナ、情報網を統べるカタリナの連携は完璧であり、傷の癒えたブリジェットも徐々に前線へと復帰しつつあった。
しかし、その穏やかな空気の下で、不気味なまでの「静けさ」が後宮の底を流れていた。
夜が更け、翡翠宮のテラスに立つエレナのもとへ、カタリナが影のように寄り添う。
「エレナ様、動きがあったわ」
カタリナの声は、夜の冷気よりも冷たかった。
「リリィですね?」
「ええ。彼女のお腹の偽装を維持していた『マトリカの毒雫』の投与期間が、間もなく終了する。……つまり、彼女の計算上の『出産予定日』は、今から三日後。そして、その日はまさに、先王の法に基づき、全貴族が我が子の王位継承権の正当性を値踏みする【大御前審判】の当日よ」
エレナは月を見上げた。
三日後。その日の朝、リリィは必ず、外部から「本物の男児の赤ん坊」を密入国させ、自らの産んだ御子としてすり替える。そして、その赤ん坊を抱いて全貴族の前に現れ、アルフレッドを廃嫡へと追い込もうとするだろう。
「密輸ルートの監視は?」
「万全よ。カタリナの情報網が、内膳司の勝手口へ繋がるすべての物資搬入路を網羅しているわ。審判の日の朝、食材の木箱に隠されて運ばれてくる『生きた貨物』を、私たちはその瞬間に押さえる」
カタリナは不敵に微笑んだ。
「敵は、私たちがこの計画に気づいていないと思っている。リリィは完璧な勝利を確信して、部屋で静かに笑っているわよ」
「良いでしょう……」
エレナは、ドレスの袖の中で強く拳を握りしめた。
新・後宮のリーダーとして、そしてアルフレッドの母親として、この最後の戦いに負けるわけにはいかない。
「リリィが『偽りの御子』を抱き、全貴族の前で勝ち誇ったその瞬間に、すべてをひっくり返してあげるわ。……カタリナ様、ブリジェット様、フィオナ様。これが、私たちの最初の、そして最大の総力戦です。あの白い蛇の首を、今度こそ完全に撥ね退けましょう」
不気味な静けさに包まれた後宮。
三日後に迫る【大御前審判】と、その裏で決行される「赤ん坊すり替え計画」。
すべての因縁、すべての知略、そして女たちの命を賭けた復讐劇の決着の舞台が、ついに幕を開けようとしていた。



