最年長側室の覚醒 〜身分の低い私の息子が世継ぎですか? 必ず命を狙われるので、死に物狂いで守ってみせます〜

第二側室ヴェロニカの失脚、そして彼女の実家である公爵家の一族郎党に下された「全財産没収と処刑」という容赦なき鉄槌。
それは、建国以来の大貴族たちが支配してきた後宮の歴史において、最大のパラダイムシフトであった。
これまで黄金宮の奥で絶対的な権力を誇ってきた正妻オーレリアは、右腕をもぎ取られたことで、もはや「正妻」としてのプライドすら維持できぬほどの、凄惨な狂気へと叩き落とされていた。

「エレナ……エレナ……! あの小汚い平民の泥泥め……! ヴェロニカを殺し、この私を孤立させ、今度は我が物顔で後宮を支配するつもりですか!?」

深夜の黄金宮。
オーレリアは、精緻な彫刻が施された姿見の鏡に向かって、狂ったように手当たり次第の調度品を投げつけていた。
ガシャーンと鈍い音を立てて鏡が粉々に砕け散り、彼女の美しい顔が、歪んだ破片の中に無数に映し出される。

「お、オーレリア様、お静まりくださいませ! 近衛の耳に入れば、また陛下が……」

残された老侍女たちが平伏し、涙を流して懇願するが、オーレリアの耳には届かない。

「うるさい! 陛下も陛下です! あの平民のガキを世継ぎに据え、白百合宮の妖狐に現を抜かし、この私を蔑ろにされるなど……! 認めない、絶対に認めないわ。クインテラ王国の正統なる血統は、我が公爵家と、私が産んだ娘だけ。……だったら、壊してしまえばいいのよ。すべてをね」

オーレリアは、砕けた鏡の破片を踏みつけながら、血の滲む足元を顧みず不気味に笑った。
その瞳に宿るのは、権力への執着を超えた、純粋な「破壊衝動」だった。
彼女は狂った頭脳で、ある恐るべき計画を弾き出していた。

(陛下がリリィの宮に閉じこもり、後宮の警備が乱れている今こそが好機。我が実家の私兵を、王宮の裏工作ルートを使って強引に引き入れる。そして……あの翡翠宮を、エレナごと、あの忌々しいアルフレッドごと、跡形もなく焼き尽くしてあげるわ!)

正妻オーレリアの、全財産と命を賭した「最後の暴走」が、静かに幕を開けようとしていた。



一方、その動きを、エレナ陣営が察知せぬはずがなかった。
紫水晶宮の地下書庫。オイルランプの微かな光の中で、第三側室カタリナが、密偵から届いた最新の報告書を広げていた。

「やはり、ネズミが動き出したわね」

カタリナは冷徹な翡翠色の瞳を細め、向かい側に座るエレナへと視線を向けた。

「オーレリア様の実家である最高位の公爵家が、秘密裏に領地から『精鋭の私兵三百』を動かしている。表向きは領内の治安維持とされているけれど、その実態は、王宮の地下水道を経由して後宮へ直入させるための特攻部隊よ。目的はただ一つ……翡翠宮の完全な抹殺」

「三百の私兵……。流石は大貴族の長ね、やることが派手だわ」

エレナは、手元のお茶を静かに口に含みながら、眉一つ動かさずに言った。その顔には、怯えなど微塵も存在しない。

「ハッ! 三百の雑魚どもが、この私を越えて翡翠宮に触れられると思っているのかい?」

部屋の壁に寄りかかっていた第五側室ブリジェットが、愛用の大剣の刃を指先で弾き、キィンと高い金属音を響かせた。
彼女の蜂蜜色の瞳には、猛獣のような狂暴な歓喜が宿っている。

「エレナ、私の実家の辺境伯軍から、腕利きの精鋭五十人をすでに翡翠宮の周囲に配置してある。王宮の地下水道の出口は完全に把握している。あいつらが這い出てきた瞬間、一人残らず首を刎ねて、中庭の肥やしにしてやるよ」

「頼もしいわ、ブリジェット様。ですが、力押しだけでは、正妻派の息の根を完全に止めることはできない」

エレナはカップを置き、カタリナとフィオナ(彼女は今、帳簿の整理で忙しく欠席していたが)から得た「王宮の全体図」をテーブルの上に広げた。

「オーレリア様は、この一戦に自らのすべてを賭けている。ならば、私たちはその悪意を逆手に取り、彼女が『国家逆逆の罪』を犯した決定的な現行犯として、陛下と審問院の前に引きずり出す必要があるわ。ブリジェット様、敵の半分は地下水道で仕留めて。けれど、残りの半分は……敢えて翡翠宮の敷地内まで『引き入れる』のよ」

「誘い込みか。面白いね、エレナ。お前、本当に平民の生まれかい? 悪魔の軍師のようだ」
ブリジェットがニヤリと不敵に笑う。

「すべてはアルのため、そしてこの狂った法律を終わらせるためよ」

エレナの瞳に、静かな魔女の炎が灯る。

「カタリナ様、王宮の防衛陣地である『近衛兵』の動きはどうなっていますか? 陛下には、この件は……」

「陛下には、敢えて伏せてあるわ」

カタリナが冷酷に言い放った。

「レオンハルト陛下は今、白百合宮でリリィの『帝国の暗殺部隊』を足止めすることに全神経を注がれている。私たちがここで正妻派を自ら片付ければ、陛下に対する最大の『手土産』となり、アルフレッド若君の王位継承の正当性は、大貴族たちにとっても不可侵のものとなる。……準備は整ったわね、エレナ様」

「ええ。今夜、すべての決着をつけましょう」

その夜、クインテラ王国の夜空は、不気味なほどに星の光が遮られた漆黒の闇に包まれていた。
風が強く吹き荒れ、木々がザワザワと騒がしい音を立てる中、後宮の最奥に位置する翡翠宮は、まるで静まり返った墓標のようにひっそりと佇んでいた。

深夜の第二の鐘が鳴り響いた瞬間。
王宮の裏手にある古い地下水道の鉄格子が、内側から音もなく切断された。
闇の中から這い出てきたのは、全身を黒い夜襲用の甲冑で固めた、オーレリアの実家・公爵家の精鋭私兵たちだった。
彼らの手には、消音の魔法が施された短剣や、可燃性の高い油瓶が握られている。

「行け。翡翠宮の生存者は一人も残すな。ガキの首を最優先で確保しろ」

隊長の低い命令と共に、黒い影たちが一斉に翡翠宮の敷地内へと侵入していく。

しかし、彼らが前庭に足を踏み入れた瞬間、周囲の茂みから、突如として無数の「鋼の牙」が飛び出した。

「――ウギャアアアッ!?」

先頭を走っていた数人の私兵が、地面に隠されていた強固なトラップ(フィオナの財力で急遽買い付けられた最新の狩猟用罠)に足を挟まれ、骨の砕ける音と共に悲鳴を上げた。

「敵襲だ! 警戒しろ!」

隊長が叫んだ瞬間、前方の暗闇から、地響きのような地鳴りと共に、一人の巨大な影が突進してきた。

「遅いよ、雑魚ども! 辺境伯の武力、たっぷりと味わいな!」

ブリジェットだった。
彼女は身の丈を超える大剣を、まるで一本の小枝のように軽々と振り回し、一振りで三人以上の私兵をまとめて吹き飛ばした。
鮮血が夜の闇に飛び散り、大理石の床が赤く染まっていく。
ブリジェットの後ろからは、彼女が率いる辺境伯軍の精鋭たちが怒涛の勢いで躍り出、地下水道から次々と湧き出る私兵たちを、圧倒的な練度で各個撃破していった。

「くそっ、前線は囮だ! 別動隊、予定通り寝室へ突入しろ!」

乱戦の隙を突き、隊長率いる約五十人の精鋭が、翡翠宮の本体の建物の扉を蹴り破り、内部へと侵入した。

建物の内部は、不気味なほどに静まり返っていた。
侍女たちの姿もなく、ただ一本の長い回廊の奥に、仄かな明かりが灯る「主寝室」の扉が見える。

「あそこだ! 火を放て!」

私兵たちが油瓶を投げつけようとした、その時。

回廊の壁一面の隠し扉が開き、そこからカタリナが配置した密偵たちのクロスボウが一斉に火を噴いた。

「グハッ!」「ガハッ!」

次々と矢を放たれ、崩れ落ちていく私兵たち。
しかし、流石は最高位公爵家の私兵、生き残った隊長ともう十数人の手練れが、仲間の死体を盾にしながら、ついに主寝室の重厚な扉を力任せに踏み破った。

「平民の女、覚悟――」

隊長の叫びが、室内の光景を目にした瞬間、ピタリと止まった。

寝室の奥。豪華な椅子に、優雅に脚を組んで座っていたのは、第一側室エレナだった。
彼女は、まるで夜会の始まりを待つ女王のように、完璧に着飾った美しい姿で、侵入者たちを冷徹な目で見下ろしていた。
彼女の膝の上には、すやすやと眠るアルフレッドの姿はなく、ただ一冊の、王室の『法典』が置かれている。

そして、エレナの左右には、すでに審問院の長官たちと、事態を察知して駆けつけた王直属の近衛兵の将軍が、抜刀した状態で控えていたのだ。

「遅かったわね、オーレリア様の犬たち」

エレナは静かに立ち上がり、法典を机の上に置いた。

「貴方たちがここに足を踏み入れた瞬間、公爵家による『王宮への不法侵入』および『第一王位継承者に対する反逆罪』の現行犯が成立いたしました。審問院の長官様、ご覧の通りですわ」

「うむ……間違いない。これは明白な国家逆逆である」

長官が厳かに宣言する。

「な……嵌められたのか……っ!?」

隊長が絶望に顔を歪め、エレナに向かって最後の突撃を試みようとしたが、その背後から、血塗られた大剣を担いだブリジェットが、不敵な笑みを浮かべて立ち塞がった。

「そこまでだよ、隊長さん。お前の主人は、もう黄金宮で拘束されているはずさ」

その言葉通り、カタリナの密偵網によって「私兵を動かした決定的な命令書」を突きつけられた正妻オーレリアは、同時刻、黄金宮にて近衛兵たちによって完全に身柄を押さえられていた。

激しい夜の戦いは、エレナ陣営の「完全なる圧勝」で幕を閉じた。
前庭に転がる死体の山と、捕縛された私兵たちの群れ。
それは、長年後宮を支配してきた大貴族・正妻派の、文字通りの「完全崩壊」を意味していた。

夜明けの光が、翡翠宮のテラスを白く照らし出す中。
エレナは、怪我一つなく守り抜かれたアルフレッドを抱きしめながら、瓦礫の向こうに見える白百合宮を見つめた。

正妻派は消えた。
後宮の権力構造は、いまやエレナの手に完全に掌握された。
しかし、これによって、物語は最後の、そして最大の決戦へと突入する。
残された唯一の敵――王の寵愛を隠れ蓑に、国家の乗っ取りを企む帝国の蛇・リリィとの、命を賭けた最終決戦の火蓋が、ついに切って落とされたのである。