死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない

 


 翌朝。
 空がようやく白みはじめた頃、小春は目を覚ました。

 すぐ隣で眠る朔夜の指先が小春の袖を掴んでいる。小春はその指先を名残惜しそうに見つめる。そして、自らの役割を思い出し、そっとその手を離した。
 朔夜を起こさぬよう静かに立ち上がり、そのまま外へ出る。
 手には木べらと小皿。

「いただくね」
『うまくいくよう祈る』

 榊の葉に宿る朝露を、そっと削ぎ取るように集めた。零れそうな雫を受け止めながら慎重に皿へと移した。

 それを大切に抱え、冷えた台所へ戻った。まだ火の入っていない竈に薪をくべ、火打石で火を起こす。ぱちりと火が走り、やがて小さな炎が鍋底を舐めた。

 前日に仕込んでおいた水飴を温め直す。ゆっくりと溶けはじめたところへ、朝露を少しずつ加えていく。緩みすぎないよう木べらで確かめながら。
 そのとき、不意に背後に気配を感じた。振り返ると、そこに朔夜が立っていた。

「どうだ調子は」
 低い声が落ちる。
「順調です。朝露は味がないので、ただ甘い飴になりますが……」
「味見がしたい」
 小春は頷き、飴の状態を見極めてから木の匙でひとすくいした。それを差し出すと、朔夜は迷いなく口に運ぶ。

 目を閉じ、ゆっくりと舌の上で転がした。
 飴が溶けるたび、白黒だった景色に小春の着物の色や台所に並ぶ野菜の緑がじわりと色づいていく。
 色を失っていた世界が、ゆっくりと息を吹き返していくようだった。
 やがて朔夜は目を開く。

「……いい甘さだ。癖もない」
「だから、毎日食べても大丈夫だと思うんです」
「これでいい」

 その一言に、小春の胸が弾んだ。
「鮮度が落ちると力も弱まります。毎朝、新しいものを用意しますね」
「頼りにしている」
 そっと目を細めるような柔らかな視線が、小春に向かって落ちる。
 小春はその視線を真正面から受け止めながら小さく拳を握った。

(これが、私の役割だから)

 小春の胸の奥に、誇りのようなものが静かに芽生えた。
 飴を一口大に整え、冷やして固める。
(これで冷えれば完成だわ)
「包装紙も用意しないと」
 小春は飴をのせた皿を台所の奥の棚へ置いた。


 小春が台所を離れるのを見計らうように、一人の影が忍び込んだ。
 その者は小春の作った飴を素早く拾い上げると、懐紙でグシャリと丸めて屑籠へと捨ててしまった。


 しばらくして紙を持って小春が戻ってくる。
 棚の皿を見ると飴が消えていた。
「え? どうして……」
(確かにここへ置いたのに)
 周囲の床を見回るが、落ちていない。

 台所をキョロキョロしていると、通りかかった志乃が声をかけた。
「今朝、作った朔夜様の飴がなくなってしまって。回復を助ける大事な飴なんです」
 眉を下げ小春は屈みながら床を見ている。
「朔夜様の菓子? それは小春様の大事なお役目ではないですか!」
 志乃の言葉が強い。
「す、すみません」
「ここから消えるはずはありません」
 志乃はすっと前に出る。
「ここへ置いたのは間違いありませんね?」
「朔夜様にも味見をしてもらいました」
「そうですか……昨晩も寝間着が破かれていたと朔夜様からお聞きしましたが、なぜ私に報告しないのです?」
 志乃は厳しい目で小春を見た。
「自分で縫えてしまったので……」
 小さく答える。
「それでは、困ります!」
 その声に小春の顔が跳ねる。
「小春様は御神影の正式な妻なのです。もっと意識を高くお持ちくださいませ」
 志乃の強い圧に小春は言葉が続かない。しかし、悪意は一切感じなかった。
「は、はい。気をつけます」
「小春様、すぐに飴を作ることはできますか?」
 志乃の眉間には深い皺が刻まれていた。
 小春は頷くしかなかった。


「あら、まだあるじゃないの」
 誰もいない台所で綾が棚の前で眉を顰めた。目の前には小春が作った飴玉が数個ある。菊乃が前に出る。
「え? 確かにさっき捨てました」
「あの女の困った顔、見れないじゃないの」
「ご、ごめんなさい。急いで捨てるわ」
 菊乃が飴を一つ掴み屑籠へ投げようとした。

「おやめください」
 振り返ると、台所の戸口に小春が立っていた。
「それは……朔夜様を救う大切な菓子です」
 捨てられそうになった飴を見た瞬間、大切なものを踏みにじられた悔しさに、小春の瞳に涙が溢れた。
「こ、小春様。あの……その……志乃さんの言いつけで」
 菊乃がしどろもどろで答える。

「私が、いつそのような命令を?」
 裏口の戸の後ろから、志乃が静かに入ってくる。志乃の手には、ぐしゃりと潰れた飴が握られていた。
「飴が捨てられていました。一体、どういうつもり?」
 綾の額に脂汗が浮かぶ。

「し、志乃さんだって、この人のこと認めていないと思って……」
「私が、なんですって」
 志乃の顔から表情が、血の気が引くようにすっと消え去る。
 凍りつくような沈黙が台所を支配した。

 菊乃の震える唇が開く。
「ち、違うんです。これは綾さんがやろうって」
「待ってよ。飴を捨てたら面白いって言ったのは菊乃でしょ!」
「やれって命令したのは綾さんじゃない!」
「何よ! あんたも笑ってたでしょう!」
 二人が言い合いになりそうになった時、志乃の鋭い声が割って入った。

「御神影様を守るとは、自分の感情で動くことではありません!」
 ピシャリと言った。
 綾の顔面が一気に蒼白になる。

「小春様の菓子は朔夜様の命です。私は、この目で見ました」
 志乃の低い声が続く。
「何を口にしても苦しみが消えなかった朔夜様が、小春様の菓子を召し上がった瞬間──穢れが浄化されたのを」
ようやく苦しみから解放されるのだと、どれだけ心が震えただろう。
 志乃は目を伏せた。再び顔を上げたその双眸には、主人を脅かす者を決して許さない凍てつくような怒りが満ちていた。

「お前たちは主人の命を危険に晒した」
 低く唸るような声。
「御神影家へ仕える資格はない」
 綾と菊乃が生唾を飲む。
「志乃さん! すみませんでした。反省しますから、どうかお許しを!」
 二人はその場で板間に額を擦りつけた。

 志乃はジリジリと近づく。
「お立ちなさい」
 二人は顔を明るくして身体を起こした。
「志乃さん! ありがとうございます!」
「そう。そのまま荷物を持って出て行きなさい」
「へ?」

「二人とも、クビです」