死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない

  

 綾と菊乃は二人で小春の寝具を朔夜の部屋へと運んだ。どさりと布団を下ろすと、綾は布団を足先で乱暴に踏みつけた。

「貧乏くさい女がどうして朔夜様の妻になれるわけ?」
「本当に。嫁入りの衣装も私たちの普段着のような召し物だったし」 
 菊乃は綾に同調する。
「朔夜様も女には無関心だったはずなのに、床を同じにするだなんて!」
 綾は小春の枕を爪先で小突くように蹴った。
「綾さんの方がよっぽど美人なのに、朔夜様はどうかしてますよ」
 菊乃の言葉に綾は一瞬、表情が緩む。
「あの女、私の言うことに逆らったのよ。腹立つわ!」

 しばらくしてから二人は部屋を出る。
 廊下の薄暗い闇の奥から、志乃が静かに二人を見送っていた。
 その表情は読めない。
 何も言わず、そのまま朔夜の部屋へ入っていく。



「こちらでございます」
 小春が志乃に案内された部屋には、寝具が二つ並べられていた。
「何かあればお申し付けください」
 志乃はそのまま静かに襖を閉めた。

 本当に隣で眠るだけ。
 行灯の淡い光のなかで、自分の心臓の音がトク、トクと大きく響いているような気がする。

 朔夜は戸惑う様子もなく羽織を脱ぎ、就寝の支度をしていた。
 小春はそっと用意していた大福──霊草菓子を枕元に置いた。
「あの……仕事は、大変ですか?」
 小春が沈黙に耐えきれず問いかける。
 朔夜の布団をめくる手が一瞬止まりかけたが、すぐに動く。
「与えられた役割をこなすだけだ」
 なんとも簡潔な返答だけだった。しかし、それが彼の本心だと理解できた。
「……そうですね」
(私は……支える役なんだ)
 そう思うと不思議と心が落ち着いた。

「……私も着替えてきます」
 準備されている寝間着を手に取ると、布が不自然にひらひらしていた。その場で広げると、裾から背中にかけて引き裂かれたような切れ目が入っていた。
「え?」
 小春は一瞬、息を止めた。
 裂かれた白い布地を見つめる小春の脳裏に、屋敷の人々の冷ややかな顔が、浮かび上がってくる。

──厳しい視線で自分を見る志乃。
──見下げるように、嘲笑を浮かべていた綾と菊乃。

(……やっぱり、私はここでも歓迎されていない)

 閉じ込められて育った小春にとって、「人から嫌われること」には、もう慣れっこだった。それが日常だったから。
 けれど、こんなに美しくて上質な手触りのいい布を、ただの嫌がらせのために傷つけ粗末に扱うことは、悲しくて堪らなかった。
 朔夜がその異変に気がつく。
「……不備だな。志乃を呼ぶ」
「お待ちください」
 慌てて首を振る。彼に心配をかけたくない。
 小春は込み上げる切なさをぐっと抑え込み、努めて明るい笑みを浮かべた。
「きっと糸が解れたんだと思います。これくらいなら簡単に縫い合わせますので」
「しかし……」
「私、家事、掃除、裁縫は一通りできるんです。だから、すぐに出来ます」
 数少ない嫁入り道具の一つに、使い古した裁縫道具はあった。
 小春は行灯の光のそばに腰を下ろし、針に糸を通す。
 一針、一針、裂かれた布地を丁寧に引き合わせていく。

(かわいそうに……。でも、大丈夫。私が綺麗に直して、大切に着るからね)
 布の温もりにそう語りかけるように、小春の手先は迷いなく動く。
 そして、十分もかからずに元通りに美しく縫い上げてしまった。
「……見事だな」
 隣でその手際の良さをじっと見ていた朔夜が、小さく感嘆する。
「上質な綿の布なので、大切に着ますね」
 小春は嬉しそうに、新しく生まれ変わった寝間着を胸に抱き寄せた。
 朔夜は珍しく頬を緩めた。そしてすっと立ち上がる。
「少し外に出ている」
「あ、ありがとうございます」
(私の着替えのために……)
 何気ないその気遣いが嬉しくて、小春はまた寝間着を抱きしめた。


 朔夜が戻り、行灯の灯りが落とされ静寂が満ちる。
 布団に入ってしばらくした頃だった。
 衣擦れの感触に小春はふと気づく。視線を横に移すと、布団の隙間から伸びた朔夜の指先が、そっと小春の袖を掴んでいた。

(……え?)

 驚いて息を飲み、顔を上げる。
 無意識なのだろうか。一瞬、身構える。
 しかし、朔夜の呼吸は深く規則正しい。眠りはとても穏やかだった。
 小春はそっと身を乗り出し、その寝顔を覗き込む。
 昼間に見せる張りつめた気配はどこにもなく、年相応の青年の顔に戻っていた。長い睫毛に縁取られた瞼を見つめ、それから袖を掴む手に視線を移す。

(……不安、なのかな)

 そう思った瞬間、胸の奥がやわらかく溶けそうになる。
 思わず頬が緩む。
 小春はその手を外さず、そっと身体の向きを整える。

(……このままでいいわ)

 無理に離す理由はなかった。むしろ、この距離のままの方が彼は安らかに眠れる気がした。 

 小春は静かに目を閉じる。
 袖を掴まれたまま寄り添うような距離で。
 そのぬくもりを感じながら、朔夜のための菓子を考える。
 鷹宮が飲んでいたように、日々を整える菓子を作りたいと。

 袖から伝わる体温を感じながら、小春もゆっくりと眠りに落ちていった。