死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない

 

 日が傾きかけた頃、屋敷の空気が動いたのがわかった。
 朔夜が戻ったのだと小春は気配で気づく。台所で手を動かしていた小春は思わず顔を上げた。次の瞬間、廊下の向こうに白い影が見えた。

 足音はほとんどしない。それでも、朔夜がこちらへ向かってくるのがわかる。
 ふいに朔夜と視線が合う。
 朔夜は確かめるように、小春の手元に並べられた菓子へと目を落とした。
 少しの沈黙が流れるが、何も言わずに視線を外すと朔夜はそのまま踵を返した。
 小春は呼び止めることもできず、ただ見送る。
 去り際に朔夜の短い言葉が残された。
「……ここで作ればいい」
 口にしたのはそれだけだった。
 けれど、その一言で小春の胸がほどける。
(……見に来てくださった?)
 自然と笑みが浮かび、小春は再び手元に意識を戻した。



 朔夜は自室で着替えをしていた。
 制服のボタンを外し衣を脱いだ腕に、ひび割れのような黒い血管が、じわりと浮かび上がっていた。
「……っ」
 思わず苦しげな息を吐く。
 朔夜は自身の腕を強く掴み、きつく目を閉じた。
 黒い血管が引くまでの時間が、以前より長くなっていた。内に残るものが確実に増えているのを認めざるを得ない。

(回復が落ちている……)

 淡々とした思考の裏で身体は確かに重かった。胸の奥が鈍く圧迫されるようで、意識をしなければ呼吸がうまくできない。それでも意識ははっきりしていた。ただ、放置すれば確実に悪化することも理解していた。

 
 夕餉の時間になっても、朔夜は食卓に現れなかった。
 小春は何気なく綾に尋ねる。
「朔夜様はお部屋にいらっしゃいます。どうも、お食事が進まないご様子で……」
 綾の言葉に小春の胸がざわついた。しかし、迷いは一瞬だった。
「様子を見てきます」
「志乃さんからは、しばらく様子をみるよう言われております」
「早い方が朔夜様も楽になると思いますので」
 小春は菓子をとりに台所へと向かった。
 

 小春は作り置いていた大福を皿に移した。それを持ち廊下を進み、朔夜の部屋の襖の前で足を止める。中から伝わる気配は、じっとりと重たさを孕んでいた。けれど昨夜のような制御を失ってはいない。
(……大丈夫。間に合うわ)
 小春はそう直感した。

「朔夜様……失礼します」
 返事はない。
 そっと襖を開けると、薄暗い室内で朔夜は座したまま動かずにいた。
 着物を崩したその肩や腕には、痛々しいほどに黒い血管が走っている。
 だが、その瞳はしっかりと焦点を結び、薄暗闇の中で小春の姿を捉えた。


「……来たか」