死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない



「ここを貸す。気の赴くまま、霊草菓子を作ってくれ」

 台所での朔夜のその一言に、小春の心が大きく揺れた。思わず込み上げてくるものを必死にこらえる。溢れそうになる涙が、まつ毛の先できらりと光った。

 ──菓子を作っていい

 たったそれだけのことが信じられないほど嬉しかった。
 日々、自分の力を否定され心に積もった澱が、すうっと洗い流されていく。
 ここでは、小春の力が求められている。
 初めて居場所を与えられた気がした。
 小春はそっと手を揃え、深く頭を下げる。

「心を込めて、お作りいたします。朔夜様のために」

 顔を上げたときには、こらえきれなかった。涙の滲んだ大きな瞳のまま、弾けるような笑顔がこぼれる。

 その表情を見て、朔夜はわずかに目を細めた。胸の奥に、これまで覚えたことのない感情が広がっていた。
 温かいような、落ち着かないような、名づけられない感情だった。

(なんだ、これは)

 戸惑いを隠すように、かぶっていた官帽の鍔を指先で引き下げ、端正な顔を覆うようにかぶり直そた。

「……仕事へ行ってくる」
「お見送りします」

 小春の声は控えめでありながら、どこか弾んでいた。
 その音を背に受けながら、朔夜は廊下へと歩き出す。
 振り返ることはなかったが、胸に宿った温もりだけが、いつまでも消えなかった。


 朔夜を見送ったあと、小春はその足で台所へ向かった。
 戸を開けると、すでに志乃が流しの前に立っている。袖を軽くたくし上げ、野菜を洗う手つきは手慣れていて無駄がない。水の音が静かな台所に心地よく響いていた。

「あら、もういらっしゃったんですか」

 志乃が振り向き、事務的に言葉をかける。
 その志乃の先──調理台の上には、整然と並べられた道具と食材があった。
 小豆、餅米、砂糖、水飴。鍋や木べら、蒸籠に水瓶まで必要なものはすべて揃えられている。
「……こんなに」
 思わず呟くと、志乃は頷いた。

「小春様は朔夜様の菓子を任された。すぐに始められるように準備するのは当然でございます」

 淡々とした口調だが、実際に目の前のものを見ると、小春の心の内側がじんわりと温かくなる。

「今日は、何をお作りになるのです?」
 小春は一瞬だけ迷い、それから少しだけはにかんだ。
「……豆大福を作ろうと思います。私の得意な菓子なんです」
「そうですか……。昨晩の菓子は、見事に朔夜様をお助けになりました」
「はい。私も驚いています」
「小春様のお役目は、朔夜様のお命を預かるも同然です。どうか、お力をお尽くしください」
 志乃は一度だけ、手を止め小春を見る。その目は小春を一人の職人として見ているようだった。
「はい。朔夜様のためにも精一杯、お作りします」

 小春は早速、小豆を洗い始めた。水を替え、鍋に移す。火にかけると、やがて静かに泡が立ち白い湯気が立ち上っていく。焦がさぬように木べらでゆっくりと混ぜる。
 ことこと、と規則正しい音。その音に耳を澄ませながら、小春はふと昨夜の光景を思い出した。

「……あの、志乃さん」
「何でしょう」
 志乃は手を止めぬまま、声だけを向ける。
「朔夜様の……昨夜のご様子ですが、あの黒い……」
 言葉を選びかねていると、志乃が静かに続きを引き取った。
「瘴気、でございますね」
 小春は小さく頷く。
 志乃は手元の水気を払い、少しだけ視線を落とした。
「朔夜様は、もともとこの神社の跡継ぎなのです。代々、穢れを祓う力を受け継いでおります」
「穢れを……」
「ええ。人の世には穢れが確かに存在します。それを引き受け、浄化するのが当主様のお役目なのです」
 淡々とした口調の奥に、長年見守ってきた者だけが持つ重みがあった。

「ですが近頃は、その穢れの質が変わってきておりまして……」