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「――で、また碧斗くんに何かされたわけ?」
夕食の後片付けをしながら、母が面白そうに笑った。老舗呉服屋の娘として育った母は、家族の着物を全て実家に仕立てさせるほどの拘りを持つ、優雅で少し茶目っ気のあって恋バナが大好きな人。
「何かされたわけじゃないけど……」
「あら、顔が赤いわよ」
からかうように言われて、私は慌てて頬に手を当てた。
「碧斗くんはね、美寿の誕生パーティーで会ってるのよ。幼稚園の頃だったかしら」
「誕生パーティー?」
「えぇ。そのパーティーでね碧斗くんは公の場に初めて出たの。その時にね、碧斗くんのお父様の郁斗さんと宗一郎さんは友人だったのもあって会わせようってなったのよ」
「覚えてない……」
「そりゃあ、幼稚園の年少の頃だし彼、初めて美寿に会ったときから目の色が変わってて驚いたのよ? 小さな頃から噂とかで知っていたけど、前に見た時は無表情で冷たい雰囲気だったから」
母の言葉に、私はふと引っかかりを覚えた。
「でも、それからもパーティーあったけど顔合わせても話したことなかったよ? 学校だって、一緒だったのに顔合わせまでは話さなかったのに」
そうなのだ。碧斗さまと初めて顔を合わせたのは、確か三年前――茶席の後だったはずだ。そのときが実質、初対面に近い出会いだった気がする。
あのとき、碧斗さまは確かにじっと私を見つめていた。今思えば、あれは初対面の相手に向ける視線としては、少し長すぎたかもしれない。
「詳しいことは私も知らないけど……あなたたちの縁談、随分とんとん拍子に決まったでしょう? あれ、月森さんの方から強く望まれてと宗一郎さんが言っていたわ」
「月森さんの方から……?」
初耳だった。てっきり、両家の家格を釣り合わせるために大人たちが取り決めた話だとばかり思っていた。
「詳しいことは、宗一郎さんに聞いた方が早いかもね。私も又聞きだから」
母はそう言って、話を切り上げるように微笑んだ。
気になって仕方がなくて、私はその足で父の書斎に向かった。障子越しに灯りが漏れているのを確認して、小さくノックをする。
「お父様、少しいいですか?」
「美寿? どうした?」
父は次の香席に向けて招待状を書いているところだったらしくて、筆を置くとこちらを見る。いつものようにニコニコ笑いながら、こちらへ来る。
「私と碧斗さまの婚約のことなんですけど……月森さんの方から、強く望まれてのことだったって、本当ですか?」
父は、手にしていた筆をゆっくりと置いた。
「……英那ちゃんから聞いたのか?」
父の言う英那ちゃんとは母のことだ。両親は今もラブラブ夫婦で、今も父は名前で呼ぶし母も名前で呼んでいる。父は母をとても溺愛していて、父の中では今でも子供の私よりも母が一番なんだと思う。
「はい」
私が頷けば、しばらくの沈黙があった。父が言葉を選んでいるのが、空気の張り詰め方で分かる。
「英那ちゃんは恋バナ好きだからなー……まぁ、本当のことだよ。だけど、詳しい経緯については私の口からは話せない」
「……どうしてですか?」
「それは、碧斗くん自身の問題だからだ。……彼には、彼なりの事情がある。きっと経緯については話してくれると思うよ。それに彼も百合乃さんには言ってないみたいだから」
百合乃さん……彼は、母親には知られたくない――その一言に、私の心臓がどきりと音を立てた。
私がまだ、未熟だからだろうか。まだ高校生だし、香道家としても奥伝にはまだまだ届かないから。
「碧斗さまが百合乃さまに、知られたくない理由って」
「それ以上は、私からは言えない。碧斗くんが、いずれ自分の口から話すべきことだからね……」
父はそう言うと、それ以上の追及を許さないとばかりに静かに机へと戻ってしまった。



