陽炎に揺れる夢

二人きりの沈黙が、テーブルの上に落ちた。

私たちが座っているこの場所は、揺らぐ空気に包まれて、きっと周りからは見えていない。
まるで、世界から切り離されたみたいに。

もし、私と同じ感覚を持っている人がいるとしたら……。
…だけど。

「そんなわけでさ、モデルにはなれないんだよな。」

朝比奈君は無理に笑いながら言った。
それはひどく自分を傷つけているような笑い方だった。

「で、遠野。今度は俺からの質問。
どうして、俺が“諦めてる”ってわかったんだ?」

次は逃がさないぞ、と言わんばかりに、少しいたずらっ子みたいな目でこちらを見てくる。

「そ、それは……」

(陽炎の話なんてして、信じてくれるのかな……)

そう思うと、なかなか言葉にできなかった。

ちらりと、彼を窺い見る。

朝比奈君は、ただ静かに、私の話を待ってくれているように見えた。

(……朝比奈君は、自分のことを教えてくれたんだ)

(だったら、私もそれに応えなくちゃ) 

ぎゅっと、握った手に力を込める。

私は、この前髪とマスクの顔になった経緯を、すべて話した。

朝比奈君は、まっすぐに私を見て、時折「うん」「うん」と相槌を打ってくれる。

一通り話し終えると、

「そうだったんだな。遠野も、辛かったんだな」

そう言ってくれた。

でも、その顔には……まだ、どこか疑問が残っている。

「……それで?
似た境遇だなって思った、ってこと?」

朝比奈君は少し首を傾げて言った。

私は、一瞬、言葉に詰まる。

(……言ったら、変な人だって思われるかもしれない)

「……実は……」

膝の上で、指先をぎゅっと握る。

「信じてもらえないかもしれないんだけど……私、諦めてる人を見ると、その人の周りの空気が……ゆらゆらって、揺れてるように見えるの」

「えっ? 俺の周りも、そんなふうに見えるってこと?」

そう言って、彼は自分の腕や、周囲の空気をきょろきょろと見回した。

私は、小さく首を縦に振る。

「私は、勝手にそれを“陽炎”って呼んでるんだけどね」

「大抵の人は、何かが思うようにいかなかった、その一瞬だけ、ゆらっと見えるの」

「でも……」

そこで、少し言葉を探す。

「私みたいに、ずっと陽炎を身体中にまとってる人を、初めて見たの。
だから……朝比奈君のことが、気になってた」

恐る恐る、朝比奈君の表情を確かめるように、私は顔を上げた。

「そっかぁ。それで、俺が諦めてるってわかったのかぁ。なんか……すげーな」

そう言って、彼は天井を見上げた。

「……信じてくれるの?」

「これを信じないで、何を信じるんだよ。
俺らってさ、ほとんど話したことなかったじゃん。顔を隠してるから、似た境遇なんだろうな、くらいは思ってたけどさ。
何かを諦めてるなんて、普通わからないだろ?」

彼は、また少しだけ笑ってから、言った。

「だから、遠野の話を聞いて、なるほどって思った。……ちゃんと、納得できたよ」

嬉しかった。

誰かに、陽炎の話を初めて打ち明けた。
信じてもらえた。
そして何より、誰かとこうして、自分の思っていることを話すことができた。

「久しぶりに……誰かに、自分のことを話したよ……」

思わず、そんな言葉がこぼれた。

「俺も……」

朝比奈君は、その小さな声をちゃんと拾って、同じくらい小さな声で返してくれた。

家族以外と、こんなふうに言葉のキャッチボールをしたのは、何年ぶりだろう……。

そのことに気づいて、胸の奥が、少しだけ熱くなった。

「なぁ……たまにさ、こうしてこの場所で話さないか?
これから先の、トレーニングってことで」

朝比奈君は、少し照れたようにそう言った。

――これから先……。

私たちは、人前で顔を出せるようになるのだろうか。

(そうなれたらいいな…)

私は、小さく頷いた。