陽炎に揺れる夢

「俺さ、小さい頃から、色んな国に連れて行ってもらってたんだよね。
父親が大学教授で、仕事の資料集めでよく海外に行く人だったから。

いつの頃からか、ニューヨークやパリの街並みに憧れるようになっていて、その街の雑誌をよく見るようになってた。

ある時、見てた雑誌に日本人モデルの特集が組まれていてさ。

その人が、すごく格好良くて。
――それで、俺もモデルになりたいって思うようになった」

彼は、とても懐かしそうな顔をして微笑んだ。

「それから、牛乳をたくさん飲んだりさ。背が高くなるって言われてることは、片っ端から試した」

私は初めて委員会の集まりに行った日の、廊下で見た彼の後ろ姿を思い出していた。

「朝比奈君、背、高いよね」

そう言うと、朝比奈君は少し照れたように、でも誇らしそうに笑った。

「だろ?」

夢に向かって頑張ってきた、その成果は、ちゃんと彼の身体に表れている。

それなのに――。

私の中で、さっきよりも、ずっと大きな疑問が膨らんでいった。

「ただ……」

さっきとは違う表情で、朝比奈君はグラスを見つめた。
片手でそれを掴み、氷で汗をかいたグラスの水滴を、指先でなぞる。

「俺の父親が大学教授だって言っただろ。しかも、かなりいい大学を出てる人でさ」

少し間を置いてから、続けた。

「だから、母親は俺にも同じレベルの大学に行ってほしいって思ってたんだと思う。でも、母親自身は高卒なんだよね。
そのことを引け目に感じてるのかどうかは分からないけど……とにかく、すごく教育熱心でさ」

「小さい頃から、いろんな塾に行かされてて。毎日、夜まで勉強漬けだったんだ。
俺はそれが当たり前だと思ってたから、何も分からないうちはよかったんだけど……」

「小学生になって、周りの友達がテレビの話をしたり、放課後に遊ぶ約束をしてるのを見て、
『あれ? なんか違うぞ』って思うようになってさ……。

一応、私立の小学校だったから、周りのやつらもそれなりに塾で忙しそうではあったけど……」

少し言葉を探すように、間を置いてから、彼は続けた。

「……俺だけ、異常だったんだよ」

朝比奈君は、悲しそうな目をしてから、そっと瞼を閉じた。

「しかもさ、テストで少しでもミスすると、母はすごく怒るんだ。

今ならさ……母は、自分の血が混じってるせいで、俺がテストで間違えるんじゃないかって、怖かったんだと思う。
ある意味、可哀想な人なのかもしれない。

でも、当時はそんなふうに考えられなかったからさ。
ただひたすら、母に怒られないようにって……そのためだけに勉強してたんだよ」

朝比奈君は、苦痛に顔を歪ませた。

「俺さ……気づいたら、いつもビクビクして、人の目が気になるようになってた。
授業中の発表とか、人の前に立つと、言葉が出なくなってさ。大量に汗もかくし……」

「学校の先生に勧められて病院を受診したら、極度の『あがり症』だって診断されたんだ。
原因は、たぶん心的なものだろうって。

でもさ、その時母親は『心当たりはありません』って言ったんだ。学校に何かあるんじゃないかって。それで担任に問い詰めに行ったんだよ」

朝比奈君は、ぎゅっと唇を噛んだ。

「それから俺は、スクールカウンセラーに通うことになってさ。
カウンセラーの先生と話をして、そこでようやく、母の異常なまでの勉強への執着が、問題だってはっきりした」

「父はさ……俺がそんなふうになってるなんて、全然気づいてなくて。

知った時、すごくショックだったみたいで……『ごめん』って、泣きながら謝ってくれたんだ。
父は、俺に自由に、好きなことをしてほしかったんだってさ。

……そうだよな。だって、学歴とか関係なく母を選んだ人だもん。
きっと、最初からそんなこと、全然気にしてなかったんだと思う。

でも、母だけは……父に『自分はちゃんとした人間だ』って思ってもらいたくて。
だから、俺を“立派に育てなきゃ”って、必死になってたんだろうな……」

「母は、それからしばらく……壊れた人形みたいになっちゃってさ。
でも、父がずっと寄り添って、今もカウンセリングに通ってる。

少しずつだけど、家のこともできるようになって……
なんとか、人間らしい家族の形には戻ってきたんだ」

朝比奈君は、そこで言葉を切った。

「……でもさ。

俺は、まだ……人の目が、怖いんだ」

ファミレスの賑やかな音が、すっと遠のいた。
朝比奈君の周りの空気は、さっきよりもいっそう揺らめいている。

……わかった。

彼の、この陽炎の理由が。

憧れていた夢を、諦めざるを得なかった理由。
なんて、残酷なんだろう。

愛情が、彼を苦しめていたなんて。

形は歪んでしまっていたけれど……それでも、彼は確かに、愛されていたはずだったのだ。